家族に別れを告げる時
トパックの牢を後にしたコーデリアは、屋敷へと帰宅し妹の部屋へ足を向けた。
「いらっしゃい、コーデリアおねえさま。きょうはなにをしてあそんでくれるの?」
幼子のような笑みが、妹から向けられた。
無邪気で朗らかであどけなく――――――――幼子そのものの表情だった。
(やはり、何も思い出してはいないようね)
あの日、目を覚ましたプリシラは全てを失っていた。
髪は燃え落ち、自慢の美貌は焼け崩れ、記憶と人格までも失ってしまっていた。
妹は自身の美貌に、絶対の自信を持って生きてきた。
だが、今やその右顔面には包帯がまかれ、焼けただれた皮膚が元に戻ることは無いらしい。
その事実と、顔を焼かれる痛みと衝撃に耐えかね、妹は記憶と正気を手放してしまったようだった。
(…………つまり、私が15年間接してきたプリシラは、死んだも同然ということ)
今のプリシラに鏡を近づけると、ひどく暴れ手が付けられなかった。
どうやら、無残に火傷の残る自らの顔を認めることを、本能的に拒絶しているらしい。
医師の見立てに寄れば、記憶が戻るかは五分五分らしいが、
(プリシラはもともと、自分に都合のいいことしか見ようとしなかった性格だもの………)
この先妹が記憶を取り戻すことも、精神が幼子から成長することも無いのだろうと、姉のコーデリアは確信していた。
そんな妹の様子を観察しつつ、絵本などを読んでやっていたところ、
「コーデリアっ!! 何をしにきたのよっ⁉ またプリシラを傷つけるつもりっ⁉」
母が怒鳴り込んできた。
少し前までは、プリシラと姉妹と間違われるほど若々しかったが、今や眼窩が落ちくぼみ深いしわが刻み込まれ、祖母と言われた方がしっくりくる老け込み方だった。
「出て行って‼ 私にプリシラを返しなさいよっ!! 」
「――――――そこまでにしておけ! コーデリアに当たり散らすんじゃない!」
こちらも一気にやつれた父が、コーデリアへと掴みかかる母の腕を掴んだ。
プリシラは状況が理解できず、ただ母の剣幕に怯え縮こまっていた。
「コーデリア、おまえは何も悪くないんだ。罪があるとしたら、プリシラを甘やかした私達両親と………そして嫁姑間のすれ違いに気づかなかった、夫である私だからな……………」
「お父様………」
「幸い、プリシラはおまえの妹であるということ、トパックと違い偽証には加わっていないこと、………そして、顔を焼かれるという罰を受けていたことで…………謹慎程度で留め置かれたんだ。これからはしっかりと私がプリシラを見張るつもりだ。だからこちらのことは気にせず殿下と―――――――」
「許さないわっ!!」
母が叫び、父の手を振り払い飛び掛かってきた。
「私からプリシラを奪ったあなたが‼ お義母様そっくりのあなたが‼ 憎いあなたが幸せになるなんて絶対に許さな―――――――――っ!!」
「奥様、いい加減になさいませ」
きっちりと髪を整えた使用人たちが、母を取り押さえ口を塞いでいた。
2人の男性使用人、そして1人の侍女が、母へと冷ややかな眼差しを向けている。
領地の屋敷で働いていたところを、コーデリアが呼び寄せた使用人たちだった。
「コーデリアお嬢様、遅れてしまい申し訳ありませんでした」
「ありがとう、助かったわ。無茶を言って呼びつけてしまって、ごめんなさいね」
「お嬢様のお力になれるなら本望です」
そう言って、コーデリアへと礼をする使用人たち。
彼らはみな優秀で、領地での雑務の一部を任せていたのだ。
そんな多忙なところを、王都の屋敷へと出張してくれたのだから、感謝してもしきれなかった。
「よぅ、コーデリア。久しぶりだな」
「ごきげんよう、ジスト。あなたも来てくれたのね」
朗らかに挨拶してきたのは、従兄の青年。
父の姉の次男であり、二つ年上のジストだ。
彼には昔から可愛がってもらっており、コーデリアにとって兄のような存在だった。
「伯爵領の引継ぎのために、色々打ち合わせしなきゃいけないだろう? おまえは忙しいだろうし、俺の方から来ることにしたんだ」
「ありがとう、本当に助かるわ」
「………念のためもう一度聞くが、伯爵家の後継者は、本当に俺で大丈夫なのか?」
「えぇ、問題ないわ。領主としての資質も人柄も信頼しているし………最大の障害だった私のお母様の反対は、もう気にする必要が無くなったのだもの」
コーデリアはほろ苦く笑い、自分とジストへと憎しみの籠った瞳を向ける母親を見た。
母親は父方の親族とみな仲が悪く、ジストのことも嫌っていた。
コーデリアの祖母は息子の教育には失敗していたが、他の娘たち、父親の姉と妹は、立派な淑女として育て上げている。
父親の姉妹は祖母と仲が良かったし、コーデリアのことも可愛がってくれていた。
父方親族は、コーデリアとプリシラを差別する母へ、何度も苦言を呈していた。
しかし父が、「愛そうのいいプリシラを、妻がより可愛がってしまうのは仕方ない。口うるさい親族から、妻を守れるのは自分だけだ」と斜め下方向にはっちゃけ、その忠告を聞き入れようとしなかったのである。
そんな父も、さすがにレオンハルトの言葉を聞き入れ改心したようであるが、それもレオンハルトが王子という地位にあったからこそに違いなかった。
「………おまえの母親はこれから、領地の別邸で死ぬまで軟禁だからな。俺もしっかりと監視するつもりだから、安心してくれ」
「厄介ごとを押しつけてしまって、申し訳ない限りだわ………」
「おまえの18年間の苦労を考えれば安いものだ。おまえの母親とはいえ、あの女はどうしようもなく酷い人間だったからな………」
眉をしかめるジストに、コーデリアは苦い記憶を思い出した。
『なんであなたが生きてるのっ⁉ プリシラの代わりに、あなたが顔を焼かれれば良かったのにっ!!』
顔を焼かれたプリシラを見た母は狂乱し、コーデリアへと熱い紅茶を浴びせかけようとした。
憎悪に歪んだ顔は醜く、とても腹を痛めて産んだはずの娘へと向ける目とは思えないものだった。
使用人たちに制止されてなお、娘へと呪詛を吐き続ける母の姿に、さすがのコーデリアの父親も目が覚めたらしい。
妻を盲目的に愛すことはなくなり、責任を取って妻とプリシラを引き取り、領地の別邸の中で生涯面倒を見ると決めたのだ。
母親への処置に、母親の父母、コーデリアの母方祖父母はこちらへと文句を言ってきたが、
『ご不満なら、娘に熱湯を浴びせ殺そうとした罪で、母親を公に告発しましょうか? そうすればあなた方は、人殺しをもくろんだ娘を育てた親という汚名を被ることになりますよ?』
と告げた途端、潮が引くように帰っていった。
母方祖父母はあの母親を育てた人間だけあって自分に甘く、責任を取ろうとはしない人間だった。
「コーデリア、おまえはあの家族たちに囲まれ、18年間努力してきたんだ。後のことは俺に任せて、レオンハルト殿下の元に行くといい。殿下のおまえへのご寵愛はたいしたものだと噂になっているくらいだから、きっと大切にしてもらえるはずだ」
そう言って頭を撫でるジストの手の下で、コーデリアは複雑な顔をしていた。
ジストの応援は嬉しい。とても嬉しい。
だが、レオンハルトから自分への溺愛が、王都の外にまで噂になっていると聞くと、やはり気恥ずかしいものだった。
赤くなりそうな顔を誤魔化すため、コーデリアは口を開いた。
「ありがとう、ジスト。だけどごめんなさい、少し中座させてもらうわね。この後少し、客人に会う予定になってるの」
「あぁ、わかった。ちなみにどんな相手だ?」
「裏切り者………かもしれない人間よ」
「裏切り者とは、また物騒だな。俺も同席しようか?」
「大丈夫よ。相手と二人っきりで、じっくりお話したいことがあるもの」
にっこりと笑って言うと、ジストが目を反らした。
「…………おまえはそうやって笑っている時が、一番恐ろしいかもしれないな。邪魔するつもりはないから、思う存分語り合ってくるといい」
「ありがとう。それじゃあ、失礼させてもらうわね」
ジストに手を振りつつ、コーデリアは部屋を出た。
するとその背中を追うように、低くくぐもった母の怨嗟の声が響いた。
「…………さようなら、お母さま。愛したかったし……………愛されたかったです」
最後までわかりあえなかった母へと別れを告げ、コーデリアは歩き出したのだった。