狐に獅子の咆哮を
「ザイード殿下、もう間もなく、王都警備隊の本隊が到着するそうです」
兵士からの報告を、ザイードは上機嫌に聞いていた。
王都警備隊の目の前で、紋章具により水道橋を倒壊させる計画だ。
炎を現出させる紋章具は特注で、とても破壊力が大きい一品である。
吹きあがる炎は、きっと王都からさえ見える程。
炎は断罪の使徒となり、王都の人々にも、レオンハルトの悪行を印象付けるはずだ。
そう悦に入り、自らの計画を確認していたザイードだったが、
「………おい、あれは何だ………?」
「謀反人の女と、それにあの後ろにいるのは………」
兵士たちのざわめきが耳をひっかく。
何事かと見ると、屋敷の二階、バルコニーにいたのは――――――――
「………獅子?」
堂々たる体躯の黄金の獅子が、コーデリアを守るよう立っていたのである。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
こちらを見上げる多くの兵士たちの視線に、コーデリアは一つ息を吸い込んだ。
今から口にするのははったり。
綱渡りの連続だ。
右足の痛みをわずかにも表情に出さず、コーデリアは悠然と微笑んだ。
「――――――――皆様、こちらをご覧ください。私から皆様に、お伝えしなければならないことがございます」
「コーデリアっ!! 貴様、どうやって縄から抜け出した!?」
叫ぶザイードを、コーデリアは静かに見下ろした。
「そんなの簡単です。私には、聖獣様がついていますもの」
「聖獣………?」
「まさか、あの後ろにいるのが………?」
「確かに、伝説の通りの立派な姿の獅子に見えるが………」
兵士たちに動揺が広がっていく。
「でたらめを言うなコーデリアっ!! どうせ魔術によるこけおどしか何かだ! 矢をかけ射落とせっ!!」
ザイードの指示に、弓兵が矢を引き絞る。
数十本の矢が、コーデリアに向け放たれ―――――――
「なっ⁉」
そのことごとくが、炎に焼かれ消え失せる。
「愚かな真似はよしてくださいませ。そんな弓矢程度、聖獣様の加護を得た私には通じません」
コーデリアは言い放つと、背後から黄金に輝く一振りの剣を取り出した。
レオンハルトの力の一部である聖剣は、重さなど感じさせないように軽やかだ。
打ち合わせ通りレオンハルトの力で、刀身に炎をまとわりつかせてもらい、高く天へと掲げ持つ。
「これこそが、建国伝説に謳われる炎の聖剣。私が聖獣様の加護を受けた証です」
厳かに言い切ると、コーデリアは兵士たちの反応を観察した。
「あの剣と炎は………!」
「俺、建国祭で祀られてる聖剣を見たぞ!! あのこしらえ、本物で間違いないっ!!」
「だが聖剣は、もう数百年誰も抜けなかったはずで…………」
「聖剣を抜けるのは聖獣である初代国王と、その加護を受けた聖女様だけ……………」
「つまり…………」
「聖獣の伝説は、真実だったということか………!」
兵士たちの瞳に畏怖と感嘆の光を確認し、コーデリアが口を開いた。
「私は二月ほど前、偶然にも聖獣様に出会いました。そして幸運なことに聖獣様に気に入っていただけ、加護を受けることになりました。今までは、国政に混乱をまねくまいと口をつぐみ秘密にしていましたが、ザイード殿下の謀を止めるため、公表することにいたしました」
「黙れっ!! おい誰か、屋敷に入ってあの女を黙らせて来いっ!!」
ザイードが喚いたが、兵士たちはコーデリアと獅子の姿に釘付けにされ、誰も従おうとしなかった。
コーデリアはザイードに構うことなく、ゆったりとした手つきで獅子の背を撫でた。
獅子はレオンハルトであり、肩には矢傷があったが、幸いたてがみに隠れる位置だ。
巨大な獅子に億すことなく触れ、従えるコーデリアの様子は、兵士たちに『聖獣の加護』を確信させるのに十分なようだった。
「私は聖獣様の加護を得ました。そしてそのことを、今は矢傷で寝込んでいるレオンハルト殿下も、偶然お知りになったのです。……………そしてだからこそ殿下は、ただの伯爵令嬢にすぎない私に目をかけ、共に思いを育むことになったのですわ」
「なるほど、そういうことか………」
「あぁ、それなら、レオンハルト殿下が執着なさるのも当然だな………」
深く頷き納得する兵士たちを、コーデリアは内心複雑な思いで見つめていた。
『なぜかレオンハルトに気に入られていた伯爵令嬢』から
『聖獣の加護ゆえにレオンハルトに気に入られて当然の伯爵令嬢』へと、認識を反転させるはったりだった。
「私も、レオンハルト殿下のお人柄に感銘を受け、聖獣様の力と共に、この国を守っていくつもりでした。………ですがそれを知ったザイード殿下は、不満に思っていたようです」
「何だとっ⁉ でたらめを言うなっ!! 俺は今まで、その聖獣もどきの姿など一度も見たことが無かったぞ!?」
「ザイード殿下が、私たちを疎ましく思うのもわかります。聖獣様は初代国王の化身、王権そのものを象徴するも同然です。そんな存在が、弟であるレオンハルト様についたとしたら、内心穏やかでは無かったと思います……………」
悲し気にうつむき、コーデリアは眉を寄せ口を噤んだ。
敵対するザイードにさえ哀れみを見せるその姿に、兵士たちも心動かされるものがあったようだ。
「そうか、ザイード殿下は、ご自身の王太子の地位が脅かされると思って…………」
「レオンハルト殿下を潰すため、冤罪を被せようということか…………」
潜められた声が、兵士たちの間で交わされていた。
兵士たちは今や、ザイードへと非難の目を向け始めている。
(………風向きが変わったようね)
そもそもの話、ザイードの語った計画はかなり強引で、粗が目立つやり方だ。
兵士たちだって、心の底からレオンハルトを疑い、憎んでいたわけでは決して無いのだ。
ザイードの命令に不信感を抱きながらも、王太子である彼に逆らうことができなかっただけである。
そこへ、より王族として格上の『初代国王の化身である聖獣』を従えたコーデリアが現れたのだから、ザイードへの不信や不満が噴出するのは自然な成り行きだった。
ザイードは確かに王太子だが、彼本人が王太子の位に相応しいかは別の話だ。
『王太子の位』という『虎』を。
虎の威を借るのが、ザイードのやり方なのだとしたら―――――――
(真の王者たる獅子をぶつけるまでよ)
――――それが、コーデリアの考えた策だ。
獅子の姿のレオンハルトを人々に見せ、こちらにこそ聖獣の加護があり、王族として格上だと。
そう喧伝する、いわば博打のようなやり方だ。
最初に考えついた時、まさか使う機会がくるなんてとは思っていたが、上手くいったようで一安心だ。
「っ貴様ら目を覚ませっ!! そこの女は罪を逃れるため、口から出まかせをしゃべっているだけだっ!?」
今やザイードの命令に、従う兵士はいなかった。
むしろ、彼がわめけば喚く程、悠然としたコーデリアとの落差が際立ち、人心が離れる一方だ。
趨勢がこちらへと傾いたのを確認しつつ、コーデリアはもう一つの案件を片付けることにした。
「すみませんが、そこの水道橋の橋げた近くにいる方。少し下がっていて下さい」
コーデリアが声をかけると、橋げたに仕掛けられた紋章具に張り付いていた兵士が、慌ててその場をどいた。
「では殿下、お願いしますね」
小声でコーデリアが呟いた次の瞬間、紋章具が燃え上がり、瞬時に跡形もなく消え去った。
炎は紋章具のみを正確に焼き、橋げたには焦げ跡一つついていなかった。
「な、なんだとっ⁉ 貴様何をしたっ⁉ あの紋章具は、生半可のことでは破壊されないという触れ込みで手に入れた品で――――――――」
ザイードが慌てて口を閉じた。
しかし、時は既に遅い。
紋章具を用意したのが自分であるという失言に、兵士たちも罪人が誰か確信したようだった。
「ザイード殿下っ!! 今橋げたからあがった炎は何ですか?」
ちょうどその時、木立から武装した一団が姿を現した。
剣と槍を携えた彼らは、ザイードが呼びよせていた王都警備隊の一団だ。
「っ!! 謀反だっ!! あそこにいる女が、俺を騙し陥れようとしたんだ!!」
まだ事情が呑み込めない警備隊を味方につけようと、ザイードが必死に言い立てる。
警備隊も半信半疑ながら、王太子である彼の命令に従う姿を見せたが―――――――
「聞きなさい!! ザイード殿下は偽りを申しています!! 私達にはこの国を、皆様を害する意思などみじんもありませんっ!!」
「あの女の言葉に惑わされるな!! 早く切り殺して――――――――」
「その証拠を、今ここでお見せします!!」
コーデリアが叫ぶと、獅子が堂々たる足並みで、彼女の前へと進み出る。
獅子はたてがみを揺らし喉をそらし、大きく息を吸い込むと――――――
「~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」
巨大な咆哮。
魂まで震える程に圧倒的な咆哮が、その場の全ての人間の体を揺さぶった。
強く気高く、轟轟と響き渡る獅子の吠え声とともに、空に大きな炎の輪が現出した。
王都からさえ目視できるであろう、巨大な炎の輪だ。
金色に燃える円環は、炎で象られた王冠のように美しく、人々の瞳へと刻み付けられた。
「―――――――――おわかりいただけましたか? これが、聖獣様の力の一端です」
コーデリアが唇を開くと、獅子が咆哮を止め、炎の王冠も幻のように消え失せる。
「私たちにザイード殿下や水道橋を害する意思が本当にあったらとしたら、今頃とっくに、塵さえ残さず消えていたはずなのです」
全てはこちらの掌の上。
正しさも強さも全てがこちらが上だと、そう宣言する最後の駄目押しだったが、
「おい貴様らっ!! 何を呆けているんだ⁉ さっさとあの女を取り押さえろっ!!」
ザイードは未だ状況を受け入れようとせず、警備隊に当たり散らしていた。
(…………これはもうザイードの髪の毛でも燃やさない限り、黙りはしないのでしょうね)
そんなことを考えていると、ザイードへと近寄る影があった。
「ザイード殿下、一つお聞かせいただきたいことがあります」
「アーバード公爵かっ⁉ ちょうどいい、さっさと兵を動かしあの女を叩きき――――――」
「でしたら、先に私の質問に答えてください。謹慎していたカトリシアを連れだしたのは、殿下の手の者ですな?」
「あぁそうだ!!それがどうしたっ⁉」
「殿下はご自身の野心のためだけに、カトリシアを利用したということですか?」
「利用? ふざけるなっ!! あいつは全く仕事を果たさなかったぞ!! そのせいで俺の計画が崩れたんだ!! なのにあの女、勝手に死体になって転がっ――――――――――――え?」
ザイードの胸に、煌めく刃が突き立てられていた。
「な………どうして、おまえが…………」
「カトリシアは、馬鹿な娘でした」
短剣を握ったアーバード公爵が、
「愚かな娘でした。わがままな娘でした。幾度も罪を犯した娘でした」
「っがぁっ⁉」
「――――――――でも、たった一人の、私の可愛い娘だったんですよ」
刃を捻り、深く深く突き刺した。
ザイードが痙攣し、血を吹きこぼしながら地面に崩れ落ちる。
―――――――――弟に嫉妬し、多くの人間の運命を狂わせたザイード。
断罪されてなお非を認めなかった王太子は味方の裏切りによってついに、その生と悪行に終止符を打たれたのだった。