因果応報なのだとしても
「コーデリアぁぁっ!!」
獣のごとき咆哮が、コーデリアの鼓膜を殴りつける。
「カトリシア様っ⁉」
罪人として囚われていたはずのカトリシア。
髪は乱れ目元は落ちくぼみ、公爵令嬢として振る舞っていた時とは変わり果てた姿だ。
「あは、うふふ。あははははっは!! ようやく会えたわねコーデリアっ!! ザイード殿下の仰ったとおりね!!」
「あなたも、ザイード殿下にそそのかされた口かしら?」
「殿下は仰ったわ!! コーデリアとプリシラを殺せば、正妃の位を下さるって!! 私こそが国母にふさわしいと認めてくださったわっ!!」
ゆらりと持ち上げられたカトリシアの手で、短剣が鈍い光を放った。
(そういうこと‼ プリシラとトパックをそそのかし私を連れだして、私達姉妹に恨みを持つカトリシアに、まとめて処分させるつもりね!!)
いくら王太子であるザイードとはいえ、無実のコーデリアの暗殺を任せられるような子飼いの手駒は、持ち合わせていないのだろう。
その点カトリシアなら、少し都合のいい嘘を吹き込めば、即席の殺し屋として使えるということだ。
ザイードへと悪態をつきながら、コーデリアは身構えた。
「死ねっ!! 私と国のために死になさい!!」
「ひいいいいいいいいっ!!」
悲鳴をあげ、トパックが逃げ出した。
そんな彼には目もくれず、カトリシアはコーデリアへと向かってきた。
「っ!!」
必死で避けると、血走った目がこちらを見上げた。
「っちぃっ‼ ちょこまかとっ!! なら先に妹の方からっ!!」
「いやぁっ!! こないで!! ちょっとあなた、私の盾になりなさいよっ!!」
「離してください!! お嬢様の身代わりなんてごめんですっ!!」
プリシラの手を振り払い、侍女が走り出す。
侍女とトパックはプリシラ達を見捨てると、部屋の入口から逃げていった。
「あはははははははははっ!! 無様ねプリシラぁっ⁉」
「いやぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「死にな――――――――――ぎゃあっ⁉」
カトリシアの頭に、コーデリアの投げた燭台がぶち当たる。
光源を失い暗闇に沈む部屋に、狂乱するカトリシアの声が響いた。
(どこに逃げればっ………⁉)
暗くなる直前に確認した、部屋の入口の方からはカトリシアの叫びが聞こえている。
活路を探し見回す。反対の壁に一条、暗闇に差し込む光の直線が見えた。
光へと駆け寄り壁に手を当てると、ドアノブのような突起が手に当たる。
押し開けると、眩しい光が飛び込んできた。
「っ………!! ここ、二階だったのね!!」
扉の先は、手すりのつけられた広いバルコニーのような場所だった。
地面は遠く、着地に失敗すれば骨の1、2本は折れてしまいそうだ。
「お姉さま‼ どうすればいいのっ⁉ 早くカトリシア様をやっつけてくださいっ!!」
遅れて逃げてきたプリシラが、無責任にこちらへわめきたてる。
「無理よ。危ないけど注意して、ここから飛び降りるしか無いわ」
「ふざけてるんですかっ⁉」
「私は逃げるわ」
背後にカトリシアが迫っているのだ。
妹に構っている時間はない。
手すりに足をかけ、つま先から飛び降りようとしたところで、
「いやっ!! いかないでお姉さまっ!!」
「なっ⁉」
「きゃあぁぁっ⁉」
背後からの衝撃に、体勢が崩れ虚空へと傾く。
ドレスの裾をつかんだプリシラもろとも、二階から地面へと落下した。
「…………っ、プリシラ、無事?」
なんとか頭から落ちることは免れたが、右足に激痛が走り、立ち上がれそうになかった。
痛みをこらえつつ頭を上げると、一目散に逃げるプリシラの背中が目に入る。
「プリシラっ………!!」
ふざけるなと。
この時コーデリアは初めて、心の底からプリシラに怒りと憎しみを抱いた。
「私から命まで奪うつもりなのっ⁉」
叫びに振り返ることもなく、プリシラの背は小さくなっていく。
コーデリアも早く逃げなければ、後ろからカトリシアが追ってくるはずだ。
痛む足をひきずり、どうにか立ち上がろうとしたところで、
「え?」
赤い花が、プリシラの銀の髪に咲いていた。
「熱い⁉ どうし――――――――ぎゃぁぁぁぁぁぁあぁぁぁっ⁉」
炎が燃え上がり、プリシラの頭部を焼き焦がす。
「あぁぁぁああっぁっぁぁ―――――――――――‼」
熱と炎に炙られ、プリシラが絶叫し倒れ込む。
衝撃で炎は消えたようだが、妹は倒れたまま、ぴくりとも動こうとしなかった。
「プリシラ………」
「あはははははっ!! 黒焦げでいい気味ね!! 私から逃げようとするからよっ!!」
バルコニーから、狂気を孕んだカトリシアの哄笑が響いた。
(そうだっ………!! カトリシア様は炎の魔術をっ………!!)
短剣から逃げるのに必死で、すっかり失念していた。
頭上から放たれる火球を、コーデリアは腹ばいで必死に避けるしかない。
「あははははははっ!! おもしろいわ!! 芋虫みたい惨めでおもしろいわね!?」
「ぐっ………!!」
詠唱に引き続き、いくつもの火球が間近に着弾する。
直撃はしなかった。
どうやらカトリシアは、コーデリアをいたぶることに決めたらしい。
「思い知れ思い知れ思い知れっ!! 公爵令嬢たる私を馬鹿にした罪‼! しっかり刻み込んであげるわ!!」
絶叫したカトリシアは、一際長い詠唱へと入った。
その手の先で特大の炎が膨れ上がるのを、コーデリアは絶望と共に見上げた。
(こんなところでこんな女にっ…………!!)
せめて悲鳴だけはあげまいと、強く歯を食いしばり―――――――
「コーデリアっ!!」
迫りくる火球が、煙も残さず消え失せる。
「――――――――レオンハルト殿下⁉」
駆け寄ってきたレオンハルトが、優しくコーデリアを助け起こした。
「大丈夫かっ⁉」
「ありがとうございます。右足をくじいた他は無事で――――――」
「どうしてよっ⁉」
レオンハルトとの再会を、カトリシアの金切り声が遮った。
「なんで殿下がここにいるのよっ⁉ なんで私の魔術がきかないのよっ⁉」
悲鳴に呪文の詠唱が続き、火球がこちらへと放たれる。
しかしレオンハルトに近づいた途端、火球は全て虚空へと散逸した。
(先祖返り………)
カトリシアは強い魔力の持ち主だが、ただの人間にすぎなかった。
王家の祖である聖獣は、炎を司る精霊。
先祖返りであるレオンハルトもまた、炎を従える主としてこの場に君臨しているのだった。
「……………コーデリアを傷つけたのは貴様か?」
「ひいっ⁉」
レオンハルトの、炎の王の視線に晒され、カトリシアがすくみあがる。
殺意ではなく恐怖から、震えながら呪文を唱えたカトリシアだったが―――――――
「ぎゃあっ⁉」
恐怖のまま感情のまま、制御を失った魔術が術者へと牙をむく。
ドレスを焦がす炎を消そうと、狂乱し手足をばたつかせていた。
「殿下‼ お願い消してくださいっ!!」
「――――――――仕方ないな。君が望むならそうしよう」
レオンハルトの一瞥に、カトリシアの炎が消え失せる。
だがしかし、すぐにはカトリシアの混乱はおさまらず――――――――
「危ないっ!!」
手足を振り回す勢いのまま、手すりをこえ体が宙に踊る。
「っぎゃあぁ―――――っ⁉」
悲鳴が途切れ、肉を打つ音がした。
倒れ伏すカトリシア。
その首は、あり得ない向きへとねじ曲がっていた。
「…………カトリシア様………」
どうしようもなく愚かで、殺人未遂を繰り返したカトリシアだったが、罪人が裁かれるべきは法廷だ。
自業自得とはいえ目の前で死なれると、さすがに後味が悪かった。
物言わぬ彼女に無言で祈りを捧げると、コーデリアはレオンハルトを見上げた。
「レオンハルト様、すみませんがプリシラの元まで運んでもらえませんか?」
「君を見捨てて逃げた妹を、君は助けるつもりかい?」
「……………あんな妹でも、お父様とお母さまにとってはかわいい娘なんです」
母には虐げられてばかりでいい思い出がないが、父には幼い頃、わずかだが可愛がってもらった記憶がある。
コーデリア自身はプリシラに完全に愛想が尽きていたが、父の悲しむ顔は見たくない。
助かる命ならば助けたいと。
そんなコーデリアの思いをくみ取り、レオンハルトが体を抱き上げてくれた。
小さく黒煙を上げる妹の、その頭部が見えてきたところで、
「コーデリア、君は見ない方がいい」
「………殿下、手を外してください。私には同じ伯爵家の人間として、見届ける責任があります」
やんわりと手をはらい、妹の姿を見る。
「……………酷い」
自慢の銀の髪は残らず焼け落ち、頭部にまで火傷が及んでいた。
額から眉、そして顔の右半分が無残にも焼け爛れており、コーデリアは軽く吐き気を覚えた。
「…………あの火傷では、いかな名医にかかろうと元に戻ることはないだろうな………。呼吸は安定しているから、口内や内臓に火傷は無いはずだ」
「……………命が助かっただけ幸運だと、妹にはそう納得してもらうしかありませんね」
ため息をつくと、右足が鋭く痛んだ。
「私は右足だけですんで助かりました。もし殿下がいらっしゃらなかったら、今頃は丸焼きになっていたはずです。殿下は、どうやってこの場所へ?」
周囲を見渡すとまばらな木立と、そびえたつ水道橋が目に入る。
王都の外れにある林のようだ。
時刻はもうすぐ夕刻と言ったところで、昼過ぎに自邸から拉致されてから、まだ半日も経っていないようだった。
「もしかしてここまで、私の匂いを追って………?」
「いや、さすがにそれは俺にも無理だよ。君が危ないと、そうこの場所を知らせてくれた人間がい――――」
「きゃっ⁉」
強い衝撃。
レオンハルトはよろけながらもコーデリアを下ろすと、地面へと膝をつき倒れ込んだ。
その右肩、首との付け根のあたりに、一本の矢が深々と突き刺さっている。
「殿下っ…………⁉」
「そこを動くな、レオンハルト。貴様を反逆罪の現行犯として捕えさせてもらおう」
黄昏へと向かう林から。
兵を引き連れたザイードが、姿を現したのだった。