頭が痛くなりそうです
「コーデリアお嬢様、トパック様がお見えになっています」
「トパックが?」
書類をめくる手をとめないまま、コーデリアは問い返した。
レオンハルトの告白を受け、今日で5日目になる。
彼の求婚を将来的に受け入れるためにも、一度伯爵領へ帰る必要があった。
そのために、王都の屋敷での雑事を処理していたところだ。
「この後予定があるから、後にしてもらえるかし――――――」
「コーデリアっ!」
不躾な足音とともに、トパックが書斎へと入ってきた。
「トパック、無作法よ。出直してちょうだい」
「聞いてくれ。君に話があるんだ!」
「悪いけど、私は忙しいの」
「プリシラのことだ! 君の妹だろう!?」
わめきたてるトパックは、頑なに引き下がろうとしなかった。
コーデリアはうんざりとしつつ、応接間の準備と茶菓子の手配を命じたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「………本当にプリシラは酷い人間だよ。綺麗なのは顔だけで、僕のことをちっとも思いやってくれないんだ」
くたびれた様子のトパックが、長々とプリシラの悪口をこぼしていた。
妹の性格の悪さについては同意しか無いが、だからといって彼に愚痴をぶつけられるのもうっとうしい。
「妹の悪口を言いたいだけなら帰ってくれるかしら? 私は愚痴のごみ箱じゃないわよ」
「…………僕は、プリシラとの婚約を解消するつもりだ」
「そう。どうぞご自由に」
本来、身内に関わる婚約破棄は止めるべきだが、なにせ相手がプリシラだ。
妹はもはやトパックなど眼中にないようだったし、これ以上婚約関係を続けていたところで泥沼で、好転する兆しは皆無だった。
「……………君は、反対しないんだな?」
「プリシラ本人が納得してるなら、私に止める理由は無いわ」
「良かった。ならばもう一度、僕と婚約を結びなおしてくれるよな?」
「はい?」
驚き、危うく紅茶のカップを取り落としかけ、コーデリアは少し慌てた。
「寝言は寝てからにしてもらえるかしら?」
「僕は本気だ。君だって、僕のことが嫌いで婚約破棄したわけじゃないだろう?」
「嫌いよ」
「へっ?」
ばっさり切り捨てると、トパックが口をぽかんと開けていた。
「な、何を言うんだコーデリア⁉」
「少しはこちらの事情も考えられないの? 一方的に婚約破棄を押し付け、その後始末をさせ迷惑をかけ通して、どうして嫌われないと思ったのかしら?」
「それはその、不幸な行き違いというかっ………!!」
「用件がそれだけなら、私は下がらせてもらうわ。もうすぐ画家の友人が訪ねてくる予定で忙しいの」
席を立つと、トパックが追いすがるよう腕を伸ばした。
「待ってくれ!! 全部レオンハルト殿下のせいなのかっ⁉」
「なんでそこで殿下が出てくるのよ?」
「君が殿下に気に入られてるのは知ってるんだ!! 君、思い上がっているんじゃないか? 殿下と君じゃ不釣り合いだ。伯爵令嬢の君は、同じ伯爵家の僕がふさわし―――――――」
「ふざけないでくれるかしら?」
「っ!!」
冷ややかなコーデリアの目に、トパックが尻込みをした。
「殿下は関係ないわ。殿下が例えいなくても、今後私があなたを好きになることは無いと断言できるし、婚約なんて真っ平ごめんよ」
言い捨てたコーデリアは、今度こそ応接間を出ようとしたが―――――――
(えっ?)
視界が歪む。
膝がおれ、立っていられずに倒れ込む。
(気持ち悪い、これ、薬か何か―――――――)
狭まっていく視界に、焦るでもなく、こちらを見下ろすトパックの姿が映った。
(そういう、こと。プリシラへのわるぐちをつづけていたのは、くす、りがまわる、のをまって――――――)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「…………それで一体、ここはどこなのかしら?」
次に目覚めたのは、見知らぬ一室だった。
これといった調度品も無く、燭台が一つおかれているだけだ。
部屋の隅に転がされていたようで、幸い手枷や足枷の類ははめられていなかった。
「油断してたわね………」
まさか自邸で一服盛られるとは、さすがに警戒していなかった。
この場所まで気絶していた自分を運んだのは、トパックが乗ってきた馬車だろうが――――――
「お姉さま、目が覚めたんですか?」
「……………プリシラ」
扉が開き、笑顔の妹が姿を現した。
その背後には少し気まずそうなトパックと、妹と懇意にしている侍女の姿がある。
「プリシラ、あなた、侍女まで巻き込んで薬を盛って私を連れだして………何がしたいのよ?」
「もうっ、怖い顔しないでくださいよ。これも全部、お姉さまのためなんですよ?」
「……………頼むから、人間の言葉を話してくれないかしら?」
人を拉致しておいて、何を言っているのだろうか?
薬の影響か、本気で頭痛がしそうだった。
「トパック、通訳して。説明してくれるわよね?」
「………君のため、というのは正解だ。コーデリア、君は本当に自分が、レオンハルト殿下に相応しいと思いあがっているのか?」
「外野のあなたに口出されるいわれはないわ」
「っ!! 僕は、君の婚約者だろう!?」
「元・婚約者よ。事実を捻じ曲げないでもらえるかしら?」
「思い違いは君の方だ!! ザイード殿下は、僕と君との再婚約を認めてくださったんだ!!」
「ザイード殿下が?」
不愉快な名前に、コーデリアは眉をひそめた。
「いつの間に、ザイード殿下と知り合いになっていたのよ?」
「トパック様とお芝居を見に行った日ですよ」
にこにこと笑顔の妹が、話に首を突っ込んできた。
「あの日、ザイード殿下は私に声をかけ、その後私を追ってきたトパック様とお話したんです」
「プリシラの言う通りだ。ザイード殿下はプリシラを見て、その美しさを認め………そして、特に取り柄の無い君より、美貌のプリシラこそが王族であるレオンハルト殿下に相応しいのではないかと、昨日僕に相談してくださったんだ」
「……………なるほど。だから今プリシラは、そんなにも上機嫌なのね」
頭痛をこらえつつ、コーデリアは声を絞り出した。
「はい、お姉さま。お姉さまより私の方が、レオンハルト殿下に相応しいと言われました」
「………あなた、忘れたの? レオンハルト殿下はあなたのこと、はっきり嫌いだと仰っていたわよね?」
「そんなの気の迷いですよ。私と一緒にすごせば、お姉さまより私を選んでくれるに決まっています」
満面の笑顔のプリシラに、コーデリアは深い脱力感を覚えた。
血を分けた妹がここまで馬鹿だとは、信じたくないことだった。
「………プリシラの言い分はわかったわ。それでトパック、あなたまでなんで、こんな馬鹿なことに加担しているのかしら? 百歩譲って、私への婚約復縁を迫るにしても、その私に薬を盛るなんて………あなたへの感情が、嫌いが大嫌いに悪化するだけだと思わない?」
「君は意地っ張りだから、じっくり話し合う必要があるだろう?」
「拉致監禁して、私が首を縦に振るまで帰さないつもり?」
「…………僕は、ザイード殿下の勧めに従っただけだっ!!」
「全部他人のせい? 最低ね」
「っ、どうしてそんなに冷たいんだ⁉ 僕の行動は、全て君への思いが高じたもので――――――」
「嘘をつかないでくれるかしら?」
コーデリアは、汚物を見る目でトパックを見た。
「私への恋だとか愛だとか、そんなもの欠片も持っていないでしょう? あなたはただ、プリシラのわがままに耐えられなくなっただけ。そして今更妹との婚約を破棄したところで、姉妹二人を立て続けに捨てたあなたに、まともな縁談が来るはずないと悟ってしまっただけじゃない」
「そ、それはっ………」
「だからこそ、元婚約者である私にすがったんだろうけど……………恥という概念は無いのかしら?」
「………黙れっ!!」
「奇遇ね。私もあなたと口なんてききたくないわ」
トパックは恨めし気に、こちらを睨みつけるだけだった。
どうせ彼は、易きに流されるだけの人間だ。
ザイードの威を借り強気になっていたところで、一たび言い負かされると、それ以上こちらを阻む気力は無いようだった。
情けないばかりの元婚約者の姿に、コーデリアがため息をついたところ――――――
「コーデリアぁぁっ!!」
憎悪に塗れた叫びが、背中を震わせたのだった。