八つ当たりに巻き込まれました
「彼女が、あの噂の………」
「……妹に、婚約者を奪われたんですって?」
「………しかも四度も。姉妹でなんともお盛んなことね……」
含み笑いを孕んだ呟きが、緩やかな楽の音の合間に耳をかすめていく。
真昼のごとく明るい、シャンデリアと燭台に照らし出された舞踏会。
公爵家お抱えの楽師たちの演奏に混じり聞こえる、コーデリアをあざ笑ういくつもの声がある。
(毎度毎度、よく飽きないものね…………)
一度目の婚約破棄の時は、外野からのあざけりも、それなりに堪えたものだ。
だが、しょせんは外野だ。
嘲笑と哀れみの視線を向けられようが、実害を発生させる妹と比べれば、羽虫のようなものだった。
我ながら、嫌な意味で図太くなったなと思う。
だが、伯爵家の仕事を実質一人で背負っている以上、コーデリアに悲劇に酔っている暇はない。
煌びやかな燭台の間を、ドレスの裾をたなびかせながら周り、知人たちの姿を探す。
「おや、コーデリア嬢ではないですか。…………今回のことは、その、残念でしたな…………」
声をかけた知人の男性貴族から帰ってきた挨拶は、なんとも歯切れの悪いものだった。
婚約破棄の件で気を使われているのはわかるが、これはこれで面倒である。
知人たちに今回の婚約破棄の一件を告げ、近況報告と情報交換をしていく。
あいさつ回りを終えた頃には、コーデリアは地味に精神力を削られていた。
一息つくため、公爵家の侍従からグラスを貰い、口に含んだワインを味わっていると、
「よっ、コーデリア様。今度は何か月だと思いますか?」
「……………へイルート」
口中の液体を嚥下し、親し気に話しかけてきた青年の名を呼んだ。
青みがかった黒髪が、同色の瞳にかかっている。
人なつっこい猫を思わせる、画家を生業にしている青年だ。
貴族ではないが、パトロンに連れられ、社交場に顔を出すことが多かった。
コーデリアの家も、二年ほど前、彼に肖像画を依頼したことがあった。
…………肖像画のモデルはプリシラ一人で、コーデリアの分はなかったが、それはいつものことだ。
それ以降、ヘイルートとは地味に親交が続いており、知人以上、友人未満のような付き合いだった。
「何か月って、いきなり何よ? また何か、賭け事の話かしら?」
「話が早いといいですね。妹君のことですよ」
「プリシラの?」
「妹君が、新しい婚約者と何か月間続くか……。酒の肴は今、その話題で持ちきりですよ」
「酒の肴……。よりにもよって、それを私に直接聞くの?」
「今オレに答えておけば、他の奴に聞かれた時にも、余裕をもって模範解答を返せるでしょう?」
悪びれることなく、ヘイルートが答えた。
……確かに、下手に野次馬にいきなり問われるより、先にヘイルートが言ってくれたのはマシな気はする。
「模範解答、ね。それを私から聞いて利用して、あなたは賭け事で儲けるつもりかしら?」
「次にコーデリア様と会う際の、手土産が豪華になるかもしれませんね」
へにゃりと笑うヘイルートに、コーデリアも肩の力を抜き苦笑した。
下手に気遣われたり陰口を叩かれるより、いっそ笑い話の一つにでもしてくれた方が気が楽だ。
「私の予想だと、四か月くらいかしら? トパックは行動が遅いから、それくらいはかかると思うわ」
「予想の自信のほどは?」
「さぁ? どうでしょうね。とりあえず、次に会う時の手土産を楽しみにしておくわ」
茶化しつつワインを飲むと、先ほどより少し美味しい気がした。
こくりと喉を鳴らしていると、ヘイルートがじっと見つめてきた。
「……コーデリア様、変わりましたね」
「そうかしら?」
「今まで婚約破棄された後は、もう少し落ち込んでられたでしょう?」
「さすがに慣れたわ。それにね、もう諦めたのよ」
ヘイルートが、無言でコーデリアの言葉の続きを待っていた。
彼は軽薄なようでいて、意外と間や空気が読める人間だし、口も堅いと知っている。
「私ね、今まで甘えていたと思うの。いつか素敵な婚約者が夫になって、妹を中心に回る伯爵家に風穴を開けてくれるんじゃないかって、心のどこかで期待していたのよ」
くるりと、手にしたワイングラスの中の液体を回した。
「でもね、そんな私の甘えが、四度もの婚約破棄の原因の一つになったかもと思ったのよ。だってそうでしょう? 私は婚約者に恋の一つもせず、貴族の義務としての婚姻と、私自身の無責任な期待を相手に求めていたんだもの」
苦笑すると、コーデリアはグラスの中身を飲み干した。
「…………苦いわね」
皮肉なことに、コーデリアとプリシラの内面は似ているのかもしれなかった。
婚約相手自身を見ず、身勝手な欲望を投射し、期待している。
外見は似ていなくても、血のつながりというのは、馬鹿にできないのかもしれなかった。
「だから、もう諦めることにするのよ。婚約も結婚も、私にはもうごめんだわ。伯爵家の未来や私の将来も、自分自身でどうにかするしかないって、ようやく理解できたのよ」
そう覚悟を決めると、婚約破棄の件で悩むのが、ますます馬鹿らしくなったのだ。
元より両親から、期待や愛情の類はかけられていなかった。
ならば、自分のやれる方法で、やりたいように伯爵家のために動くべきだと、そう腹が据わったのだ。
コーデリアはグラスを、戯れにヘイルートの持つグラスへと打ち鳴らした。
「私の新たな門出に乾杯、っと」
婚約破棄されたばかりの身には相応しくない祝い文句だが、コーデリアの心は晴れやかだ。
しかし一方、ヘイルートの反応は予想とは異なっていた。
てっきり、コーデリアのおふざけの乾杯にのっかり、軽く返してくれると思いきや、唇を閉じたままだ。
「ヘイルート?」
「婚約も結婚ももうごめん、ですか…………」
「えぇそうよ。何か問題でも――――――」
「泥棒猫の姉が、よく舞踏会に顔を出せませたわね」
コーデリアの言葉をかき消すように、冷ややかな声が響く。
声の主は、かつかつとヒールを鳴らし近づいてくる、くるりと巻いた金髪が豪奢な令嬢だ。
公爵令嬢カトリシア。
取り巻きの令嬢達を連れたカトリシアは、威圧感たっぷりにコーデリアを睨みつけていた。
「妹が妹なら姉も姉ですわね。婚約破棄されて間もないというのに、さっそく別の男を侍らせてるだなんて、姉妹揃って、なんて恥知らずなんでしょうね?」
悪意と敵意をふんだんにまぶしたカトリシアの挑発に、コーデリアはため息をついた。
理不尽だ。
この上もなく理不尽だ。
――――カトリシアの婚約者の男性が、プリシラに片思いしているのは、社交界では公然の秘密だった。
プリシラは物おじしない性質だ。
男性相手にも馴れ馴れしく接し、相手を勘違いさせることが多々あった。
プリシラの異性関係はコーデリアの頭痛の種だったが、妹はもう15歳、成人だ。
いくら妹に苛立ったからと言って、こちらに八つ当たりされても困る。
「妹のことは、同じ伯爵家のものとして謝罪します。ですが私に怒りをぶつけても、意味がありません。文句なら、妹に直接言ってやってください」
「あら? 妹を庇うことなく、こちらに差し出すというの? 薄情ね。やはりあなたも、あの女の姉ということかしら?」
「無意味だと言っているだけです。そんなに妹を罵倒したいなら、妹がわが家の屋敷にいる日に、そちらに招待状でも送りましょうか?」
淡々と言い返すと、傍らのヘイルートが口を開いた。追撃の援護射撃だ。
「へぇ、それは面白そうだな。その日は、ぜひオレや、オレの友人も招待してくださいよ」
「…………っつ!!」
カトリシアが、忌々しそうに唇を噛みしめた。
「……結構ですわ!! わたくしに、わざわざ泥棒猫の巣におもむく趣味はありませんわ!!」
鼻息も荒く言い捨てると、取り巻きたちを連れて去っていく。
残されたコーデリアには、野次馬たちの視線が突き刺さっていた。
カトリシアは高慢だが、貴族令嬢として、最低限の損得勘定は働く人間だ。
プリシラは、その並外れた美貌故に、ひそかに片思いをしている男性は多かった。
直接プリシラを虐めれば、そんな男性たちを敵に回すことになる。
プリシラは憎いが、自分の評判を大きく落とすことも避けたいという打算。
結果的に、プリシラの姉である自分が八つ当たりの対象にされており、嫌がらせを受けていた。
一気に疲労感を覚えたコーデリアだったが、更なる災難が、彼女を襲い掛かることになる。
「お姉さま‼ 見て見て‼ このドレス、素敵でしょう!?」
「プリシラ⁉」
いるはずのない妹の姿に、コーデリアは思わず彼女へと詰め寄った。
「どういうこと、プリシラ? 今日の舞踏会、あなたは留守番のはずでしょう?」
「なぜ留守番してなきゃいけないのですか? お姉さまばっかりズルいです。私、ダンスは得意なんです。少し踊るくらい、許してくれたっていいでしょう?」
……舞踏会のことを、ただの気楽なお遊戯会だとでも思っているのだろうか?
あいかわらず、妹の目には、自分の見たいものしか映っていないらしい。
プリシラは、姉から四人目の婚約者を奪った妹として、人々の目下の注目の的だ。
舞踏会は見てくれこそ華やかだが、その実熾烈な、貴族同士の駆け引きの場でもある。
そんな場所に、無邪気に失言を繰り返す妹を連れてきたら、どうなることか恐ろしかった。
今、プリシラを舞踏会に出せば、彼女自身も伯爵家の威信も、大きく傷つく可能性がある。
コーデリアは、そう言って両親を説得し、舞踏会に出たいとごねる妹を阻止したはずだ。
妹が勝手に参加しない様、舞踏会に着ていくための格式のあるドレスも、全て隠させていたはずだったのだが。
「プリシラ、もしかして、そのドレス……」
「トパック様に買ってもらったんです。レースワークが凝っていて素敵で、私に似合っているでしょう?」
その場で、華麗に一回転をするプリシラ。
彼女の言葉通り、繊細なレースが華奢な肢体を引き立て、とても似合っていたが。
(一体そのドレス、いくらしたのよ……)
高級レースをこれでもかと贅沢に使った一品だ。
安く見積もって、二十万ギルといったところだろうか?
今コーデリアの着ているドレスが、軽く十着は買える計算だ。
そんな高価な品を、婚約者とはいえ他人であるトパックにねだる妹も。
妹のわがままを聞いたトパックのことも。
コーデリアには理解できないし、したくなかった。
呆れかえるしかなかったが、今はまず、どうにかプリシラを家に帰す必要がある。
妹が、これ以上この場で、問題を起こすことなどないように――――――
「プリシラ……?」
地の底から轟くような声が、妹の背後から聞こえてきた。
カトリシアだ。
時すでに遅く、彼女の目を誤魔化すことは出来なかったらしい。
憎いプリシラを目にし、カトリシアの眉が急角度に吊り上がるのが見える。
カトリシアはそばにいた人間からワイングラスを奪い取ると、一直線にこちらへと迫ってきた。
ドレス姿にしては、驚異的な早足だ。
(ちょっと、まさか、そのワインをこっちへぶちまける気!?)
確かに先ほど、文句があるならプリシラに直接ぶつけろと告げたのはコーデリアだ。
(だからと言って、カッとなって物理的な嫌がらせをするなんて、幼稚すぎるわよ!)
カトリシアがグラスごと、右腕を大きく振りかぶるのが見えた。
向かう先はきょとんとした表情で、レースたっぷりのドレスをまとったプリシラだ。
(あの高価なドレスを汚させるわけには……!)
妹のドレス、推定二十万ギル。
自分のドレス、十分の一以下の数千ギル。
グラスが宙を飛び、迷う時間などなく。
プリシラの前へと飛び出して。
ばしゃり、と。
ぶちまけられた液体を被ったのはプリシラでは無く。
ーーーーそして、コーデリアでも無かった。
「え……?」
真紅の雫が、金の髪から滑り落ちていく。
コーデリアを庇うようにした青年が、ワインを滴らせながら立っていた。
「あなたは……?」
「ひっ……!?」
甲高い悲鳴が、カトリシアから飛び出した。
いつも高慢な彼女が、顔を青ざめさせ震えている
「そんな…………! どうしてレオンハルト殿下がっ!?」
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