気にならなくなりました
「女のくせに本にかじりつくとは、小賢しいおまえらしいな」
「……………ザイード殿下、ごきげんよう」
読んでいた本から顔を上げ、コーデリアは挨拶を述べた。
王宮の敷地内にある図書館で座っていたところだ。
本はレオンハルトのおすすめなだけあり興味深い内容で、読書を楽しんでいたのだが―――――
(最悪ね)
ザイードの登場に気分は急降下、警戒心は上昇する一方だ。
周囲を見ると、ザイード派の貴族の男性がこちらの様子をうかがっていた。
彼から情報を受け、ザイードはこちらに会いにやってきたのかもしれない。
「殿下、本日はどのような書物をお求めでいらしたのですか?」
「おまえを救ってやるためだ。感謝するといい」
つながらない会話に、見下してくる視線。
「………殿下、どういうことでしょうか?」
「おまえは近頃、レオンハルトに気に入られ調子にのっているだろう?」
「レオンハルト殿下からの求婚は、丁重にお断りしています」
「嘘をつくな。弟は近頃、浮かれっぱなしだぞ? 隠しているつもりのようだが、兄である俺の目は誤魔化せないからな」
鼻で笑うザイード。
彼はこれでも兄として、レオンハルトを幼い頃から知っているのだ。
兄弟姉妹とはやはり厄介なものだな、と。
コーデリアはプリシラの顔を思い浮かべた。
「レオンハルト殿下のお心はともかく、私に求婚を受けるつもりはありませ――――――――」
「口では何とでも言えるものだ。王子である弟に気に入られ、貴様も内心いい気になって増長しているのだろう? でなければ、この俺の手をふりはらうなどあり得ないからな」
罵られ勘違いされ、酷い誤解をされていた。
(………あなたが王太子じゃなかったら、口もききたくないくらい嫌いよ)
ふつふつと沸き上がるザイードへの怒りと嫌悪感を隠しつつ、コーデリアは席を立った。
「失礼します。帰らせてもらいますね。私にはザイード殿下の手も、そしてレオンハルト殿下の手も、どちらも取る気はありませんので」
「逃げるな」
ザイードが強引に、右腕を強く掴んだ。
「痛いです。やめてください」
「おまえは俺に感謝し、求婚を受け入れるべきだ」
「離してください。私の心は私一人のものです」
「………っ、またも断るとは、妹とそっくりの愚かな女だな………」
ザイードが何かつぶやいたが、コーデリアには内容が聞こえなかった。
「殿下、何かおっしゃいましたか?」
「っちっ‼ 何でも無い。………四度も婚約者を奪われた惨めで馬鹿な女。貴様の男を見る目の無さは、いっそ哀れみさえ覚えるほどだぞ?」
「哀れんでいただかなくても結構です」
「貴様は今、弟の上辺のよさに騙されているだけだ」
「レオンハルト殿下が、何を騙すというのですか?」
「ははっ、その反応は、やはり知らされていないようだな?」
ザイードの唇が、嗜虐心を刷き歪んだ。
「弟はかつて、俺の婚約者を奪った恩知らずだ」
「…………え?」
「病弱だった弟を可愛がってやっていたにもかかわらず、弟は俺の婚約者を奪いとったんだぞ? 卑怯者の弟に騙されている哀れな貴様だが、俺を選ぶなら改心の機会を与えてやってもい―――――――」
「殿下は一体、何をおっしゃってるんですか?」
早口で語るザイードとは裏腹に、コーデリアは冷静な表情だ。
レオンハルトが兄から婚約者を奪ったと言われ、一瞬驚いたのは認めるが、
「殿下には三年前に結ばれた正妃様以外、婚約者はいなかったはずです」
「公にされた情報のみに囚われる、底の浅い女だな。俺にはかつて婚約者にと用意された女がいて―――――」
「兄上っ⁉」
レオンハルトだ
彼の登場にザイードが気を取られた隙に、コーデリアは素早く腕を引きはがした。
「コーデリアとこんなところで、何をしているのですか?」
「貴様の悪行を、この女に教えてやっていたところだ」
ザイードがレオンハルトに、優越感と憎悪のあふれる瞳を向けた。
「コーデリア、俺の手を取れ。貴様を騙していた弟から、俺が救ってやると言っているんだ」
こちらへと手を伸ばすザイードを、
「お断りします。私にはレオンハルト殿下が、そんなことをする酷い方とは思えません」
「………俺の言葉が信じられないのか?」
「今まで接してきた、レオンハルト殿下のお人柄を信じているだけです」
コーデリアは礼をし今度こそザイードに別れを告げると、速足で駆け出した。
「ふざけるなよコーデリアっ!! よりによって貴様がっ!! 妹に奪われ続けてきた貴様が‼ 俺から婚約者を奪ったレオンハルトを選ぶというのかっ⁉」
怨嗟に満ちたザイードの叫びが、背中へと響いたのだった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「ここまでくれば、兄上も追いかけてはこないはずだ」
レオンハルトが足を止めたのは、周囲に目隠しの木がならぶ、王宮の庭園の外れだった。
「兄上に怒鳴られていたが、大丈夫だったかい?」
「腕を掴まれたくらいです。殿下のおかげで助かりました」
「よかった………。王宮を歩いていたら君の気配を感じたから、こっそり顔をのぞこうと思って抜け出してきたんだ。…………まさか兄上が、あぁも強引に君に迫るとは思い至らず、すまなかったな………」
「殿下は悪くありません。…………ですが一つ、お聞かせいただいてもよろしいでしょうか?」
「…………兄上が、俺に婚約者を奪われたと言っていた話か?」
コーデリアは頷いた。
「…………いつかは君にも、話さなければいけないことだからな。あれは十一年前のことだ――――――」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
十一年前、先祖帰りの影響で虚弱だった九歳のレオンハルトは、多くの時間を寝台の上で過ごしていた。
自由に歩き回ることもできない彼を哀れんだのが、当時ザイードの婚約者候補だったテレーズだ。
テレーズはザイードの元を訪れた帰りに、レオンハルトの遊び相手になってくれていた。
心優しい彼女に、幼いレオンハルトも懐いていったが――――――――
「だが、テレーズは優しすぎた。王太子の婚約者という重い立場を、受け入れることはできなかったんだ」
王太子であるザイードは他者に高慢な、当たりの強い性格をしている。
そんな彼と、優しいが気の弱いテレーズの相性は、お世辞にも良いものでは無かったらしい。
ついにはテレーズ側からの断りにより、婚約は結ばれることなく消滅したのだ。
「正式な婚約が結ばれる前とはいえ、それはもう兄上は怒り狂ったよ。だが、兄上が怒れば怒るほど、テレーズは委縮し、心が離れて行ってしまったようだった。そしてどうにか兄上を諦めさせようと、ついこう言ってしまったんだ」
――――――――あなたと共に生きることはできません。どうしても王家との婚姻が必要というならば、私はレオンハルト殿下の婚約者になります、と。
「…………それは、ちょっと………。彼女の気持ちもわかりますけど………」
コーデリアは眉を寄せた。
ザイードの執念深さは、つい先ほど経験したばかりだ。
だが、いくらザイードから逃れるためとはいえ、当時9歳のレオンハルトの名前を出すのは、少し酷いと思ったのだった。
「…………彼女の言葉に、兄上の怒りは俺に向かうことになったんだ。『おまえがテレーズをたぶらかし俺から奪った』と責められ、現在に至るまで仲直りできていないからな………」
「それって完全に、ザイード殿下の逆恨みじゃないですか………」
「だが結果的に、兄上が婚約者候補を失ったのは事実だ。…………俺は兄上からテレーズを奪う気は欠片も無かったと誓えるが………………君にも信じて欲しいんだ」
「もちろんです。殿下が、自身の兄から婚約者を奪えるような方には見えませんもの」
コーデリアは深く頷いた。
(これですっきりしたわね。いくら殿下が虚弱だったとはいえ、どうしてザイード殿下にあぁも引け目を感じているのか不思議だったのだけど………)
きっとレオンハルトは、テレーズの件でザイードに責任を感じているのだ。
「コーデリア、すまなかった。このことを告げたら、君に嫌われてしまうかもと思って、なかなか言い出せなかったんだ」
「私が、嫌う?」
「………君は妹に、婚約者を奪われているだろう? その傷跡を、思い出させてしまうかもと怖かったんだ」
コーデリアは自身の心の内側をのぞきこんだ。
かつての婚約者に棄てられた時、それなりに胸は痛んだ。
だが、それはもう過去のこと。
とくについ最近、レオンハルトに出会ってからは――――――
「―――――――――殿下にまたたび扱いされているうちに、そんな傷、なくなってしまっています」
王子である彼に求婚され、またたび扱いされ、散々振り回されているのだ。
ささいな過去の痛みを思い出す暇もなく、騒々しくも楽しい毎日だったのである。
レオンハルトと過ごした日々を思い微笑むと――――――――
「…………やはり、たまらないな…………」
レオンハルトの手が、そっと頬へと添えられた。
愛おしそうに一撫ですると、レオンハルトは意を決したように口を開いた。
「コーデリア、聞いてくれ。俺にはもう一つ、黙っていたことがあるんだ」