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殿下は諦めてくれないようです



「そろそろ、レオンハルト殿下がいらっしゃる時間ね」


 書類仕事を切り上げると、コーデリアは机から立ち上がった。


レオンハルトから手袋を受け取ってから、三十日ほどが過ぎている。

 その間何度か彼と会っており、今日もこれから彼が訪ねてくる予定だ。


 向かう先は、屋敷の一階の外れにある一室。

 入り口が壁に偽装された隠れ部屋だ。


 なかなかに偽装の完成度が高く、コーデリアもつい先日まで気づかなかったほどである。

 レオンハルトに贈られたドレスを、プリシラに強引に奪われないようにと、置き場所として父に与えられた部屋だった。

 その性質上、使用人に清掃を任せることもできないため、コーデリアは手早く部屋を整えた。

 

 最後に小さな隠し窓を開けると、長椅子に座しレオンハルトを待つ。


(殿下と、今日は何をお話しできるのかしら)


 心を浮き立たせるコーデリアだが、思い浮かべる内容は、艶っぽさとは無縁の事柄だった。


 隣国との共同採掘場の建設、王都に新設された運河のもたらす影響、伯爵領の産業振興の未来図……


 国を取り巻く政治事情、そして伯爵領の統治について、レオンハルトと意見を出し合うのは楽しかった。

 伯爵令嬢にすぎない自分が、王子である彼と政治経済を論じるなんて、と。

 最初こそ腰が引けていたコーデリアだったが、彼と語り合ううち、すぐに夢中になっていった。


 レオンハルトは博識であり、王族教育を受けた者ならではの見解は興味深いものだった。

 彼はコーデリアの意見を柔軟に受け入れ、対等な話し相手として扱ってくれている。

 二人の考えが食い違い、時にぶつかることもあったが、それすら楽しく刺激的で、とても充実した時間を過ごせていた。


(本当に殿下は、私にはもったいないくらい素晴らしいお方よね………)


 しみじみとコーデリアは思った。

 優れた頭脳に穏やかな人当たり、他者を受け入れる器量を持ち、王族としての威厳も兼ね備えている。

 コーデリアに対する扱いだって、婚約を無理強いすることもなく、こちらの家族事情を慮ってくれていた。


 二人きりの時だって強引に迫られることはなく、こちらの興味にあわせた話題をふってくれている。

 彼と語り合うのは楽しかったし、合間にこちらに向けてくる瞳の優しさに、時折心臓が騒ぐのも感じていた。

 婚約者としてもこれ以上なく魅力的な、素敵な男性だと思うけれど――――――― 


(でも、またたびなのよね……………)


 またたび。

 その一言が、コーデリアを現実へと引き戻した。


 彼の人柄を知り共に過ごすほど心が傾いていったが、決して忘れてはいけないのだ。


(殿下が私に好意を持ってくれている理由は、私がまたたびだからよ…………)


 『匂いのようなもの』

 そんな曖昧なものに、レオンハルトは惚れこんでいるのだ。

 いくら彼が力説しようと、コーデリアは自身の持つ『匂いのようなもの』の魅力はわからなくて、実感として理解することは出来なかったのである。


(これがいっそ顔に惚れられたとかなら、まだ努力のしようがあるのだけど………)


 例えばもし、君の顔が好みでたまらないと言われたとしたら。

 生活習慣を整え化粧に気を使い、外見を維持するよう努力することができる。

 

 だが惚れた理由が『匂いのようなもの』と言われては、コーデリアには打つ手がないのだった。

 自分では知覚できないまま、自らの放つ『匂いのようなもの』が変化し、レオンハルトの好みから外れ、彼の熱が冷める可能性だって十分ある。


(……………それは嫌だし、怖いわ)


 コーデリアは自らの恐れを認めた。

 もし求婚を受け入れ、その後彼に棄てられてしまったらと想像すると、今まで経験した婚約破棄とは比べ物にならない痛みを感じる。

 それに加えて現実問題として、王子と伯爵令嬢という身分の壁がそびえたっているのである。

 自分の感情のみを優先して飛び越えるには、あまりにも高い壁だった。 


(こんな私じゃ、とても殿下の求婚をお受けすることは出来ないわ……………)


 コーデリアは自嘲すると、気分を切り替えるよう頭を振った。

 こんな情けない姿を、レオンハルトの前に晒したく無いのだ。


 コーデリアが顔をはたき気合を入れていると、庭に面した壁が叩かれる音が響いた。


「殿下、いらっしゃいませ」

「ぎみゃっ‼」


 隠し窓から、小さな子獅子が部屋へと入ってきた。

 子獅子はコーデリアの膝の上に飛び乗り、ごろごろと嬉しそうに喉を鳴らしている。

 丸い耳がぴこぴこと揺れ、柔らかな毛並みが腕に触れくすぐったい。


 ……………愛くるしい姿だが中身は人間。

 中の人はレオンハルトだ。

 意識するとたまらず、頬が赤くなってしまいそうだった。


「……………殿下、本日のまたたび扱いは、これくらいで勘弁してください」

「―――――――あぁ、すまないなコーデリア。つい今日も、夢中になってしまっていたようだ」


 膝から飛び降りた子獅子が、人の姿となり床を踏みしめ口を開く。

 その素早い変化に、コーデリアは瞳を瞬かせた。


「……何度見ても、一瞬目を疑ってしまいますね」

「人が獣に姿を変えるなんて、そうそうお目にかかることはないだろうな」


 隠し窓を閉めつつ、レオンハルトが今日も極上の笑顔を向けてきた。


「俺のように人と獣の二つの姿に変化できる存在は、かなり希少なはずだからな」

「希少………。それはもしかして裏を返すと、殿下以外にも、同じように獣に変じられる人間がいるということですか?」

「過去のうちの王家には、俺と同じように獅子の姿に変ずる方がいらしたし、体全体の変化は無理でも、瞳や耳とか、一部だけを獅子のものに変えられる人間もいらしたらしい」

「体の一部を………」

「あぁ。それに現在の大陸にも俺以外、獣の姿に変化する人間は何人かいるよ」

「……………それは、他国の王族の方のことですか?」


 このライオルベルンの建国伝説と同じように、獣の姿をした精霊が建国に関わる国はいくつもある。

 狼、虎、鹿、それに蛇と言った精霊を祖とする王家が、大陸には存在しているのだった。


「だいたいそんなところだ。王家や、いずこかの時代に王家の血が混じった家系では稀に、先祖返りし獣の姿に変じることができる人間が生まれるらしい」

「そうだったんですね………」


 興味深い情報だが、あまり突っ込んで聞くと、他王家の機密にまで触れることになりそうだ。

 コーデリアはすっぱりと話題を切り替え、レオンハルトとの会話を楽しむことにした。


 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



「―――――――と、このように、兄上が完成を急がせた王都の新運河の開通は、五大公爵家のうち二家にとって望ましいもので――――――――」


 語るレオンハルトの言葉が、小さく聞こえた鐘の音に途切れた。


 楽しい時間はあっという間に過ぎるもの。

 王都に鳴り響く鐘は夕刻を告げ、レオンハルトと過ごす時の終わりを示していた。


「殿下、今日もありがとうございました。とても楽しかったです」


 若干の喉の疲れを感じながらも、コーデリアは満足げに微笑んだ。

 名残惜しいが、レオンハルトを留めるわけにはいかなかった。

 子獅子の姿で会いに来てくれているおかげでプリシラの癇癪や、宮廷雀の噂話は避けられているが、そもそも彼は、王族として忙しい身の上だ。


「俺の方こそ、君の言葉は興味深いものが多くて、聞き入ってしまっていたよ。今日の話の続きだが、次は何日後に―――――――」

「殿下、すみません。次回のお約束は、もう出来そうにありません」


 寂しさをこらえうつ、コーデリアは言葉を続けた。


「私はそろそろ、伯爵領でたまる仕事をこなすため、領地に帰らなければなりません。カトリシア様との件の事後処理も一段落したので十日後に王都をたつ予定ですし、それに………」


 少し言いよどむ。


「………………私はやはり、殿下の求婚をお受けすることは出来ません。これ以上二人きりで会うことも、殿下にお時間を割かせることも、するべきでは無いと思います」


 今までずっと、レオンハルトと共に過ごす心地よさに甘えてしまっていたけれど。

 彼の求婚を受け入れる気が無い以上、伯爵領に帰る前にしっかりと別れを告げるべきだ。


 胸に鈍い痛みを感じつつ、恐る恐るコーデリアはレオンハルトの反応をうかがった。


「………コーデリア、ならば俺は――――――――」

「別の道を進むべきだと思います」

「――――――何年だって待つつもりだ」

「…………はい?」


 レオンハルトは、全く諦めていないようだった。


「申し訳ありませんが、求婚はお受けできなくて――――――――」

「知っているさ」


 少し切なそうに、レオンハルトが笑った。


「今君が、求婚を受け入れる気が無いのはわかっているよ。だが一度や二度断られたくらいで、俺は諦めるつもりは無いんだ」

「殿下…………」

「婚約を無理に押し進めるつもりも、君を困らせることもしないと約束する。だから、君が伯爵領や家族の問題を片付け、心と時間に余裕が出来たらもう一度、俺の求婚を考えてくれ」


 レオンハルトは自らの思いを告げると、静かに長椅子から立ち上がった。


「………そろそろ時間だな。…………明後日にでももう一度だけ、子獅子の姿でこの屋敷にきても大丈夫かい? さきほどの会話で俺が文章を引用した本を読みたがっていただろう? 君が伯爵領に帰る前に、俺の部屋から持ってこようと思うんだ」

「本を、殿下が、子獅子の姿で?」


 想像する。

 丸っこい子獅子が背中に本を背負い、短い足を一生懸命に動かし歩くその姿。


(和むわね…………)

 

 思わず唇がゆるんだ。

 だが冷静に考えると、重い本を背負わせるのは動物(?)虐待ではないだろうか?

 それに王子である彼を使い走りのように扱うのは、恐れ多い限りである。


「殿下、その本でしたら大丈夫です。明日にでも王立図書館に赴き、目を通してみたいと思います」


 忙しいが、それくらいの時間はねん出できるはずだ。


 ここしばらく、伯爵家ではいくつもの変化が起こっていた。

 まず一つ目、父にもようやく伯爵家当主の責任が芽生えたようで、コーデリアから実務の手ほどきを受けていた。

 父と娘。

 普通は教師と生徒役が逆ではと思ったが、それでも父の変化は嬉しかった。


「でも、穏やかなことばかりでもないのよね………」


 子獅子の姿で窓から出ていくレオンハルトを見送った後、コーデリアはひとり呟いた。

 父が職務に励んだ結果、妹や母に構う時間が少なくなり、二人は不満を募らせている。

 特にプリシラは、レオンハルトに拒絶された不満を爆発させいつも以上にわがままになっていたが、そのわがままの多くを、今の父は受け入れようとはしなかったのである。


 結果プリシラと、妹を甘やかしたい母の二人が父とぶつかり、連日諍いが絶えない毎日だった。


(お父様が伯爵家当主として目覚めてくれたんだから、これ以上プリシラが無茶を通せるとは思わないけど…………)


 考えつつ、隠し扉に手をかけ外の様子を観察し、そっと部屋から出る。

 扉を閉め、少し歩いて廊下の角を曲がったところで、


「ヘイルート?」

「おや、コーデリア様。今日お会いするとは思いませんでしたね」


 彼は今日、父と話し合いに訪れていたはずだ。

 プリシラのわがままで購入した絵画を売り払うため、画商の情報を教えてもらいに呼んでいた。

 だから彼が、この屋敷にいることはおかしくないのだが――――――


「なんでこんな、屋敷の外れの方まで?」


 隠し部屋があるのは、屋敷の奥まった一角、物置などが集められた廊下だ。


「ちょっとした散歩ですよ。伯爵家の内装や飾られている絵画がどんなもんか気になって、画家としての本能ってやつですかね?」

「………そう」


 気まぐれと言うことだろうか?

 もしや、隠し部屋から声が漏れバレたのではと心配になるが、扉の偽装は万全だ。

 防音もそれなりで、大きな声を出さない様気を付けていたから、音で気づかれることも無いはずである。


 コーデリアはそう自身を納得させると、ヘイルートと無駄話をしつつ歩き出したのだった。




 

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