久しぶりに目があいました
「コーデリア、入りなさい」
「失礼します、殿下、お父様」
部屋の中からの呼びかけに、コーデリアは扉を開け入室した。
レオンハルトと父の男同士の話し合いが終わったらしい。
スカートの裾をさばきながら、コーデリアは長椅子へと腰かけた。
すると隣に座る父が、わずかに身じろぎ口を開いた。
「…………コーデリア、そのドレスはおまえのものだ。プリシラに譲れと言って悪かったな」
「………お父様?」
ばつの悪そうな父の言葉に、コーデリアは瞳をまたたかせた。
「元より、このドレスを譲る気はありませんでしたが…………。いきなりどうしたんですか?」
「おまえには、甘えっぱなしだったと気づかされたからな……………」
今まですまなかった、と。
そう聞こえたのは、コーデリアの気のせいだろうか?
「………すまないが、退席させてもらうことにする。コーデリア、殿下のお相手を頼んだぞ。………どうやら私には、少し考える時間が必要なようだからな」
父の青色の瞳が、コーデリアの同じ色をした青の瞳と視線を合わした。
(久しぶりね…………)
父が自分を正面から見たのは、何年ぶりのことだろうか?
そう感慨に耽る間もなく、ふいと視線が逸らされてしまった。
父はレオンハルトに向かい頭を下げ、無言で退室していく。
いつもより一回り小さくなったような父の背中を、コーデリアは静かに見つめた。
「……………殿下、父と何をお話しになられたんですか?」
「持ってきた資料を見せて、話し合っただけさ。詳しくは、娘である君が伯爵から直接聞いた方がいいはずだ。今の彼なら君の言葉も、少しは届くようになっているだろうからな」
まさか念のためと用意していた資料が役立つとはね、と。
レオンハルトが軽く肩をすくめていた。
「ありがとうございます、殿下。私のためにと、ドレスの件で父を諭してくれたのですね」
「感謝されることじゃないよ。俺は特別なことは何もしていないからな。当たり前の物事の道理を、わかりやすいように説明しただけだけさ」
「…………あの父に道理を説くのは、とても難しかったと思います………」
なんせ、伯爵家当主とは信じられない程、貴族としての自覚や常識が欠如している父なのだ。
コーデリアだって昔は苦言を呈していたが、全て右から左に聞き流されてしまっている。
もし父が身内ではなく赤の他人だったら、とっくに見捨て縁を切っていたに違いなかった。
「君の苦労は察して余りあるな………」
「ありがとうございます。でも、殿下のおかげで助かりました。父が、殿下の言葉を聞き入れる気になったのは、殿下のお言葉がまっすぐで、誠実なお人柄が表れていたからだと思います」
「案外こういうことは、部外者である他人に指摘されると、あっさりと目が覚めることもあるものさ。親子や兄弟姉妹と言う間柄では、その関係が歪んでいても、当事者では自覚できないことも多いからな…………」
兄弟関係に関しては俺も人のことを言えないのだがな、とレオンハルトが苦笑している。
「……………さて、ずいぶんと待たせてしまい悪かったな。約束通り、今日は手袋を持ってきたんだ。サイズがあっているか念のため、確認してもらえるかい?」
長椅子の背後に立つ従者から、レオンハルトが小包を受け取った。
薄く透ける化粧紙の中身は、手袋だけにしては大きい気がした。
「殿下、これは? 手袋だけではありませんよね?」
「お茶菓子だよ。せっかく君の家に招かれたんだ。さっそく二人で食べようじゃないか」
小包を受け取ったコーデリアは、リボンをほどき中身を確認した。
中に入っていたのは手袋と、王都有名店の高級な焼き菓子の箱だ。
もっとも高級と言っても、伯爵家でも十分手が届く程度の品ではあるのだが―――――――――
(これ、私の好きなお菓子よね。殿下に直接教えたことは無かったはずなんだけど………)
彼は王族の一員なのだから、コーデリアの身の回りや経歴について、不穏なものが無いか調査していてもおかしくはない。
だが、コーデリアが彼に気に入られてから、まだ十日と少ししか経っていないのだ。
にも関わらず、ちょっとした好物まで把握され、準備されるとは驚きだ。
そんな感想を抱きつつ、じっとお茶菓子を見つめていると、
「…………何やら、部屋の外が騒がしいな」
レオンハルトが小さく呟いた。
耳を澄ませると、やがてコーデリアにも、廊下をこちらへと近づいてくる足音が聞こえた。
「―――――――レオンハルト様っ!! いらっしゃいますか⁉」
「プリシラっ⁉」
現れたのは、いるはずのない妹の姿だった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
時間はしばし遡る。
トパックらに連れられ劇場に座るプリシラは、不満げに可憐な唇を歪めていた。
貴族や富裕層向けの二階席からは、舞台上の演劇がよく見える。
しかしプリシラの瞳は舞台俳優たちを見ることも無く、退屈そうに細められていた。
「……………飽きました。このお芝居、つまらないです」
「プリシラっ!!」
不平をこぼすプリシラを、トパックが小声で咎めたてる。
プリシラは声を潜めるでもなく、飽きた外に出たいと連呼している。
周囲の観客が、迷惑そうにこちらを睨みつけているにも関わらず、だ。
「プリシラ、どうしてそんなことを言うんだい? このお芝居は、君が見たがっていたものだろう?」
「今は見たくありません」
「わがままを言わないでくれ。せめて終演まで我慢してくれないか?」
「でも、私もう飽きました。こんなところより、早く家に帰りたいです」
楽しんでいる舞台を『こんなとこ』呼ばわりされた周囲の観客の視線が、より一層冷たくなった。
トパックはへこへこと周りに頭を下げつつ、プリシラを恨めしそうに見つめる。
………実際のところ、今回の演劇は一般的には十分面白い部類のはずだ。
脚本は王道だがしっかりと練られており、舞台演出や俳優陣の演技も高水準である。
大人気という売り文句に恥じない、上質な演劇だったのだが――――――――
(でも、違うわ。こんなものより、レオンハルト様の方がずっと素敵よ)
プリシラの心を占めるのは、金髪の王子の姿だった。
今まであったどんな男性より麗しく、傍らのトパックとも比べ物にならない程かっこいい王子様。
思い出すのは、彼と初めてあった舞踏会。
そして家の庭先で、カトリシアから姉を守るように立ちふさがる彼の姿だった。
姉を見つめる彼の瞳は甘く蕩ける様に優しくて。
どうしようもなくプリシラの心を捕えて離さなかったのである。
(………殿下はあんな素敵なのに、お姉さまはずるいわ)
プリシラの心の中で、不満と癇癪が膨れ上がっていった。
プリシラから見た姉は、いつだってずるい人だった。
寝台に縛り付けられていた幼い自分を尻目に、健やかに歩き回っていたコーデリア。
自由に動く手足が羨ましくて、健康な体が妬ましくて、姉が抱えたぬいぐるみがかわいらしく見えてたまらなくて。
だから欲しくなって、譲ってくれと口にしたのだ。
姉はいつだって、たくさんの素敵なものを持っているように見えた。
人形、お菓子、ぬいぐるみ、ドレス、宝石、トパック………。
だからこそ全て譲ってもらったのに、手に入れた途端に石ころのようになってしまっていた。
(お姉さまは、ずるいわ)
姉は最後には折れ、いつもプリシラに譲っていてくれていた。
だがそれは優しさではなく、『譲ってくれたもの』が魅力的では無くなったのだと、姉自身も気づいていたからに違いない。
そのせいで、プリシラはいつだって満たされなかったし、姉のずるさを思い知らされてきたのである。
(でも、今度こそ…………)
しかし、レオンハルトは違う気がした。
今までの婚約者とは格が違うと、そして何よりコーデリアからの扱いが違うと、プリシラは感づいている。
彼を手に入れればきっと満たされるはずと、心がうずいてたまらなくなったのだ。
以前彼と会った時は、不幸な偶然か、彼はこちらを見ようとはしなかった。
だが自分のことをよく知れば、きっとレオンハルトだって、こちらを選んでくれるはずだ。
プリシラは自らの外見の良さを十分理解していたし、性格も両親から『無邪気で明るいかわいらしい妖精』と褒められているのだ。
(だから私は、さっさとレオンハルト様のところに行かなきゃいけないのに………)
不機嫌さを隠すことも無くトパックを睨みつけると、プリシラは勢いよく座席から立ち上がった。
「プリシラ、どこへ行くつもりだ⁉」
「外の空気を吸ってきます」
言い捨てる。
観客席を出て、演劇場のロビーへと駆け出した。
上演中で人気の無いロビーを出口へと急ぐプリシラだったが、すぐさま前方に従者たちが回り込んできた。
「何するの⁉ 早くどいてっ!!」
「いけません、プリシラお嬢様。どうか席にお戻りください」
制止する従者たちは、父の差し金だ。
レオンハルトへの道を邪魔をする彼らを怒鳴りつけようとしたプリシラだったが――――――
「もしやと思って追いかけてみたが、プリシラということは、やはり貴様がコーデリアの妹か。付き合いできた観劇だが、思わぬ拾い物のようだな?」
低い男の声とともに、手首を掴まれ引き寄せられた。
「っ!! 何するんですか⁉」
『コーデリアの妹』呼ばわりされ、ただでさえ低下していたプリシラの機嫌は、今や最悪になっていた。
癇癪にまかせ振り向くと、黒髪の美貌の青年が、じっとこちらを覗き込んできていた。
男は唇を歪めると、プリシラの従者に命令を下し、二人きりにするよう下がらせた
「噂には聞いていたが……………。なかなかに美しい顔立ちをしているな。その顔なら俺の側妃…………は無理だが、妾ぐらいにならしてやってもいいぞ?」
「―――――離してくださいっ!!」
顔を近づけてきた男を、プリシラは思いっきり突き放した。
「貴様、何をするっ⁉」
「どいてください!! 私今急いでいるんです!!」
「このっ、貴様、この俺の美貌が、王太子の地位が目に入らないのかっ⁉」
「それがどうしたんですか⁉ 今はレオンハルト様の方が大切です!!」
邪魔をするなと、プリシラは男の手を払いつつ叫んだ。
プリシラはそのまま、勢いよくホールの出口へと走り出した。
男が従者を下がらせてくれたおかげで、今やプリシラの行く手を遮る者はいなかった。
「待っててくださいレオンハルト様っ!!」
甘い衝動に身をまかせ、一目散に駆けていく銀髪の美少女。
彼女に振り払われた黒髪の男――――――王太子ザイードが、暗い炎を瞳に宿し歯を食いしばった。
「レオンハルトだと……? 姉だけでなく妹までも俺の手を拒絶し、奴を選ぶと言うのか………?」
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