それはわがままではないはずで
コーデリア達が退室すると、一気に部屋が寂しくなったようにレオンハルトは感じた。
部屋に今いるのは三人。
レオンハルトとグーエンバーグ伯爵、そして無言で佇むレオンハルトの従者だ。
「………殿下。本日我が家においでいただいたのは、大変嬉しいのですが………」
「何だ? 話したいことがあるなら、遠慮しないで言ってくれ」
言いよどむ伯爵を、レオンハルトは笑顔で促した。
ただしその笑顔は、コーデリアに向けるものとは違う、穏やかだが実の無い社交用の表情でしかない。
コーデリアの父親である伯爵だが、レオンハルトは伯爵自身に好感情を抱いてはいなかった。
「……………では、お言葉に甘えまして。…………なぜ、コーデリアなのですか? なぜ殿下は娘のことを、そんなにも贔屓にしてくださっているのですか?」
「それなら、先ほど答えたはずだぞ? 彼女の人柄、その心の在り方に惹かれているんだ」
「……………殿下、今ここにコーデリアはいません。無理に娘のことを、持ち上げる必要はありません」
「俺のコーデリアへの思いが、嘘やお世辞だとでも言うつもりか?」
一段低くなったレオンハルトの声に、伯爵が慌てて頭を振った。
「め、めっそうもありません!! 殿下の娘へのご厚情、まことにありがたく思っております」
「ならば何故、俺の言葉を疑うんだ?」
「………………コーデリアだからです」
レオンハルトと視線を合わせることなく、伯爵が語りだした。
「わが娘ながら、コーデリアは特別華やかなところもない、ごくありふれた娘です」
「……………コーデリアが、凡庸だと?」
「はい。とてもではないですが、殿下とはつり合いが取れていないように感じるのです」
「王族の俺と伯爵令嬢のコーデリア。確かに身分に隔たりがあるのは認めるが、それ以外にも問題があると言うのか?」
「問題と言うとその、言葉が悪いのですが、その……………」
歯切れの悪い伯爵の口から、小さな呟きがこぼれ落ちる。
「………これがコーデリアではなく、プリシラならばわかるんです」
「どういうことだ?」
「プリシラは親の欲目を抜きにしても、大変愛らしい顔立ちをしておりますし、性格も明るく無邪気で魅力的です。そんな妹と比べると、コーデリアはその、あらゆる面で地味と言いますか…………」
「………………」
「コーデリアは真面目と言えば聞こえがいいですが、気が強くかわいげのない発言も多いでしょう? 外見だって十人並みでしゃれっ気もなく、どうして殿下がお気に留めているのかがわからなくて…………」
「……………わかった。もういい」
「殿下?」
レオンハルトの声色から、温度が剥がれ落ちていた。
「俺にもやっと、実感として理解できたよ」
「何を、でしょうか?」
「コーデリアが今まで、家族にどれほど苦労してきたかと言うことだ」
冷ややかな声に、伯爵が少したじろいだ。
「殿下、いきなり何を仰るのですか? もしやコーデリアは殿下に私達家族の愚痴をぶつけ、私たちを罰するよう願い出ていたのですか?」
「彼女はそんな卑怯なことはしないよ」
「本当にですか? コーデリアを庇う必要はありません。最近娘は調子に乗り見苦しい言動が目立ちます。もし殿下へ失礼な言動があったのなら、まことに申し訳ないです」
「……………コーデリアが、調子に乗っている?」
「はい。望外の幸運で殿下のご厚意を受けたおかげか、娘は少し増長し、わがままになっています。今朝だって、プリシラからの願い事を拒絶し、妹を悲しませていました。おしゃれに興味など無いはずなのに、安物のドレス一着をわがままを言って手放そうとせず――――――――」
早口で不平を垂れ流す伯爵だったが、
「――――――わがままだと?」
「ひっ⁉」
レオンハルトの一声に、びくりと背を揺らし黙り込んだ。
伯爵を見るレオンハルトは笑顔だが、瞳は欠片も笑っていなかった。
「自分のために贈られたドレス一着を、妹に譲りたくないと願う。その程度を、わがままだと断罪し糾弾するのか?」
「で、ですが殿下! コーデリアは今までいつだって、プリシラの願いは快く叶えていたはずで――――」
「それがおかしいと、前提から間違っていると、なぜ理解できないんだ?」
歪だな、と。
レオンハルトがため息をつき呟いた。
「コーデリアが、心の底から喜んで妹に譲っていたと、本気でそう信じているのか?」
「それはその………。確かに嫌がることもありましたが、最後には笑顔で受け入れてくれていて――――――」
「受け入れざるを得ないように、あなたたちで追い込んだからだろう?」
伯爵の弁明を、レオンハルトがばっさりと切り捨てた。
「わがままばかり言うプリシラも問題だが………。彼女を甘やかし、コーデリアに負担を押し付けたあなたたち両親にも、責任があると思わないか?」
「な、なぜいきなり、わが家の家族関係に口を挟むのですか? 可愛い娘の願い事を叶えてやるのは、親として当然のことでしょう?」
「コーデリアだって、あなたの血を引く娘のはずだ。彼女のことは可愛くなかったということか?」
指摘すると、伯爵が後ろ暗そうに顔を反らした。
伯爵は幼いコーデリアを、祖母もろとも領地の別邸に追いやった過去がある。
さすがに少しは引け目に感じていたのだなと、レオンハルトは乾いた目で伯爵を見ていた。
「そ、そんなことはありません。確かに、幼い頃のプリシラは病弱で私達もかかりきりで、そのせいでコーデリアに寂しい思いをさせてしまったのは認めますが………。ですがコーデリアは、私の母である祖母にとても懐いていました。祖母と共に生活させ、伯爵令嬢として恥ずかしくないよう、きちんと教育だって受けさせたつもりです」
「両親が自分を見てくれなかったからこそ、祖母に懐いたのだと思わないのか?」
「それはその、そういう一面があることは否定できませんが………。コーデリアと祖母は真面目で気の強い、よく似た性格をしています。だからこそ気が合い、お互い一緒にいて楽だったのだと思います」
「真面目で強気、か………」
いつだって背筋を伸ばし、真面目で責任感の強いコーデリア。
凛としたその立ち姿は、レオンハルトが彼女に惹かれた理由の一つでもあったけれど―――――――
「コーデリアが強さを身につけたのは、きっとあなたたち両親のせいでもあるのだろうな」
「私たちの?」
「強く在らなければいけないと、自らを律することをコーデリアは選んだんだ。そうしなければ、あなたたち両親と妹に伯爵家を食いつぶされてしまうと、幼い身で理解してしまったのだろうな」
「なっ⁉ いきなり何を言うのですかっ⁉」
いきり立つ伯爵を前に、レオンハルトは従者へと手を伸ばす。
従者から手渡された書類入れから、一束の書類を伯爵の前に差し出した。
「この書類は………?」
「それを見て、何か思い至ることはあるか?」
書類の上部には、林檎の収穫量に関する年推移について、とのみ簡潔に書かれていた。
その下にここ20年ほどの年数表記が縦に並べられ、それぞれの横に5桁前後の数字が記されている。
「………いきなりなんですか、これは? 殿下は林檎に興味があるのですか?」
「本当にわからないのか?」
「何を、ですか? いじわるはやめてくださいませ」
「……………その書類は、あなたがたの伯爵領に関するものだ」
「えっ?」
ぽかんとする伯爵に、レオンハルトは呆れた視線を向けた。
「数字を見れば、12年前と2年前に、顕著に収穫量が落ち込んでいるのは明確だ。12年前の天候不順は王国全土で見られたものだが、2年前の林檎の伝染病と不作は、伯爵領にのみ見られた現象だ。そこからくる特徴的な数字の推移を、あなたは思い至らなかったのか? 林檎産業は、伯爵領を支える重要な収入源の一つのはずだろう?」
「い、言われてみればそうですが、そんないきなり話を出されましても……………」
「試すような真似をしたことは謝ろう。だがこの問いかけ、コーデリアなら間違いなく正解していたぞ?」
なにせ、と。レオンハルトは言葉を続けた。
「2年前の伝染病の疫病対策に奔走したのも、収穫量の減少に対応し税率を調整したのも、税の減収を補うために伯爵領の予算を見直したのも、全てコーデリアが指示したものだからな」
少し伯爵領の内情を調べれば、すぐにわかったことだった。
実際に果樹畑を走り回り、細かな予算案を詰めたのは伯爵領の領民や役人たちである。
だが彼らの訴えを取りまとめ、全体の指揮をとったのは、当時若干16歳のコーデリアだったのだ。
「コーデリアが林檎の不作に対応している間、あなたは何をしていたんだ?」
「私だって、伯爵家の当主として――――――――」
「当主として、コーデリアのまとめた書類に判を押しただけだろう? 実務は全て彼女に丸投げして、プリシラを甘やかし趣味に興じていたんじゃないのか?」
少しでもまともに伯爵領の統治に関わっていたら、先ほどの林檎の書類を見過ごすはずがないのだ。
伯爵家当主としてはあるまじき怠慢だが、伯爵には否定することもできないようだった。
「私は…………」
「林檎の件だけではない。ここ数年、あなたの母が体を壊し亡くなってからの伯爵領の運営は、実質コーデリア一人で担っていた状態だ。そのことを、あなたはどう考えているんだ?」
「それは、コーデリアがやりたくてやっていたことですから………」
非を認めようとしない伯爵に対し
「それは本気で言っているのか?」
「ひっ⁉」
レオンハルトの琥珀色の瞳が眇められ、鋭い光を宿した。
「グーエンバーグ伯爵。あなたが王国より伯爵位を認められているのは、伯爵領の領民をよく治めるため、ひいては国のためにと与えられた爵位だ。その義務を放棄した身で、今更何を弁明しようというのだ?」
王族として、国を預かる一族としてのレオンハルトの指摘に、伯爵は今度こそ深く、心の底から恥じ入ったようだった。
「…………申し訳ありません。全く言い逃れできません………」
「…………情けないな。………あなたがそんな風だから、コーデリアは強くならざるをえなかったのだろうな」
コーデリアにだって人並みに両親に甘え、恋やおしゃれを楽しみたいと願った時期はあるはずだった。
しかし、彼女の両親と伯爵令嬢と言う身分が、コーデリアが子供のままでいることを許さなかったのだ。
「伯爵家と領民を思ったコーデリアは、強くなるしかなかったんだ。そして幸か不幸か、その意思を現実のものにするだけの知性が彼女に宿っていたからこそ、伯爵家の経営も両親の不甲斐なさも妹のわがままも、全て彼女一人が背負い込むことになってしまったということだ」
「コーデリアが、一人で…………」
そんなこと考えたこともなかったとでも言いたげに、伯爵がぼそりと呟いた。
その姿に、レオンハルトは思った。
――――――――伯爵は悪人なのではない。
ただ単に鈍感で、とんでもなく無神経なだけ。
コーデリアを愛していると口にしつつ、平然と面倒ごとを押し付ける。
そして厄介ごとを押し付けているという自覚さえないから、コーデリアを凡庸だの可愛げがないだの、散々こき下ろすことができるのだ。
伯爵がもし、コーデリアへの一片の愛情も無い人間だったら、さすがにコーデリアだって家族を見捨てていたはずだ。
しかし質の悪いことに、伯爵自身はコーデリアを愛しているつもりだし、おそらくプリシラと比べればはるかに小さいだけで、コーデリアへの愛情も持ち合わせているのだ。
伯爵はきっと、伯爵家当主という器には相応しくない、自分に甘い凡庸な人間なのだ。
その証拠に、レオンハルトに対し、伯爵は媚を売ることは無かった。
娘が王子に見初められたと知ったら、なんとか王家とのつながりを作ろうと、必死になる貴族が多いのに、だ。
そういった強欲な人間をレオンハルトは好かないが、その心情が理解できなくはなかった。
貴族の当主は、多くの一族を領民の運命を背負っているのだ。
だからこそ権力を望むし、少しでも王家の覚えをめでたくしようとするもの。
反対に、伯爵がレオンハルトにおもねる気配が無いのは、自分が多くの命をあずかる伯爵家の人間であるという自覚が無いからであるはずだ。
それも当然で、伯爵家の実務をこなしていたのは彼の父母や娘のコーデリアであり、彼本人は娘を甘やかし趣味に興じるばかりで、自分に心地いいものしか視界に入れようとしなかったのだ。
「伯爵、もう一度聞かせてもらえるか? あなたはコーデリアのことをしゃれっ気がないと非難していたが、プリシラの浪費でひっ迫した伯爵家の財政を誰より良く知るコーデリアが、自分のドレスを購入できる人間と思うか?」
「…………」
「コーデリアは、自分専用のまともなドレス一着持っていなかったんだ。そのことを、少しあなたは考えた方がいい」
「ドレス一着持っていない……………」
もしや伯爵は、そんなことさえ気づいていなかったのだろうか?
レオンハルトは失望と怒りを覚えつつ、静かに伯爵へと告げた。
「今更あなたが態度を改めたところで、コーデリアは喜ばないかもしれないが……。だが少しでも彼女のことを愛しているつもりなら、彼女の強さに甘えることはやめてやってくれ」