わがままを言ってみました
「お姉さま、私、そのドレスが欲しいわ」
その日、朝食の席で顔を合わすなり、プリシラが『お願い』をしてきた。
コーデリアが着ているのは、レオンハルトに贈られた臙脂色のドレスだ。
(………目ざといわね)
このドレスは、カトリシアとの一件があった日以来、袖を通していなかった。
今日はレオンハルトが手袋とともに訪ねてくる日だから、せっかくだからと着てみたところだ。
その途端、プリシラが欲しがってくるとは、油断も隙もないとしか言えないのだった。
「いきなりどうしたのよ、プリシラ。あなたが好きなのは、淡い色のドレスのはずでしょう?」
「素敵なドレスなら、私はなんだって好きですよ? 譲ってくれますよね?」
譲ることを決定事項のように語るプリシラに対して。
「嫌よ」
「え?」「な?」「えっ?」
コーデリアが断ると、三つの声が返ってきた。
一人目はプリシラ。
そして二人目と三人目は、コーデリアの持ち物をねだるプリシラを、いさめるでもなくいつものことと傍観していた両親たちである。
三人ともコーデリアの拒絶に驚き、まばたきを繰り返し固まっていた。
「………お姉さま、なんでいじわるを言うんですか?」
「嫌なものは嫌だからよ」
言い切ると、コーデリアは優雅に紅茶のカップを傾けた。
(自分の意思を我慢せず口にするのは、やはりすっきりするものね)
爽やかな心持で紅茶を味わっていると、プリシラが懲りずに食い掛ってきた。
「どうしてですか? お姉さまはドレスになんて、興味がないはずでしょう?」
「そうだぞコーデリア。おまえにしゃれっ気など無かっただろう? プリシラを困らせるのはやめなさい」
妹と父から矢次早に非難されるが、コーデリアの心が動くことは無かった。
「私にだって、好みの服くらいあります。今まで好みを表に出さなかったのは、プリシラの衣服費が膨れ上がっているせいで、私の衣服費にまわすだけの余剰が無かったからです」
「コーデリア、いきなりお金の話を持ち出すなんて、はしたないですよ」
母に眉をひそめられる。
一見それらしいことを言っているが、プリシラに浪費を許した張本人は父と母である。
「私は、伯爵家の現状を告げただけです。家族の間なのですから、これくらいで目くじらを立てられても困ります」
「そうだとしても、言い方と言うものがあるでしょう?」
「では、言い換えましょうか? プリシラは既に、たくさんの豪華なドレスを所持しています。なのに何故これ以上、私のドレスを欲しがるんですか?」
「私、今日のお姉さまのドレスのような色のものは持ってませんよ?」
プリシラが頬を膨らませた。
「お姉さま、いつもは快く譲ってくれるのに、おかしいです。 そんなにそのドレスが大切なんですか? そのドレス、布地も仕立ても、いつもお姉さまが着てるドレスと、たいして変わらない値段ですよね? どうして譲ってくれないんですか?」
「物の価値は、金銭だけでは決まらないものよ。何度も言うけど、嫌なものは嫌なのよ」
頑として譲らないコーデリアに、両親が顔を合わせた。
今までコーデリアは、プリシラに請われれば持ち物を譲ってきたのだ。
時に反発することもあったが、ここ数年は最終的にいつもコーデリアが折れていた。
おもちゃも、絵本も、宝石も、そして婚約者でさえも。
いつだって譲ってきたコーデリアが示した明確な拒絶に、両親たちは理解が追い付かないようだった。
「…………コーデリア、わがままを言って、プリシラを傷つけるのはやめるんだ」
――――――――わがままを言っているのは、プリシラの方でしょう?
(なんて言っても、お父様は納得しないでしょうね)
コーデリアは諦めの境地に達しつつ、最後のパンを飲みこんだ。
会話をしつつ、その合間に下品にならないよう食物を胃に収めるのは、密かなコーデリアの特技だった。
「ごちそうさまでした。私は用事があるので、これで失礼しますね」
「コーデリア、まだ話は終わっていな――――――」
「私は忙しいんです。このドレスを借りた方に、正式にお礼状を出す手配もまだすんでいません」
「そんなことより、今はプリシラの話を――――――――」
「お話の続きなら、明日お聞きしますから、お待ちください。今日は本当に時間が無いんです」
約束すると、さすがに両親も引き下がったようだった。
食卓を去るコーデリアの背後から、必死にプリシラをなだめる声が聞こえる。
両親たちの声が聞こえなくなると、コーデリアはほっと胸を撫でおろした。
(良かった。このドレスの出どころについて、疑われてはいないみたいね)
ドレスの本当の贈り主はレオンハルトだが、それを明かすと、芋づる式でレオンハルトが森にコーデリアを助けに来たことまで話さねばならなくなってしまうのだ。
それはマズイということで、あの日レオンハルトと顔を合わせたのは、自宅の庭先でが初めてと彼と口裏を合わせていた。
『森から一人で脱出したあと、知り合いの家でドレスを借り、自宅に向かった。レオンハルトはコーデリアを訪ねて庭先にいたところ、偶然カトリシア達の騒動に巻き込まれた』
ということになったのだ。
(………そんな筋書きを、あっさり信じてくれたのは良かったのだけど)
信じたとしたら通常、ドレスの借り主である知人が誰なのか、両親はコーデリアに問うはずだった。
しかし実際、両親はコーデリアの交友関係などには興味がなく、素通りしただけだった。
本当ならドレスを借りたお礼状は、伯爵家当主である父も一筆書くべきだが、父はここ数年コーデリアに事務仕事を丸投げしていた。
おかげで、知人の身元について追及されることも無く誤魔化しやすかったが、あまりにも放任主義すぎる両親に、コーデリアも苦笑いするしかないのだった。
(お父様もお母さまも、興味があるのは可愛いプリシラと、狩りや演劇と言った自分の趣味だけで、貴族としての職務も私のことも、眼中に入っていないのでしょうね)
両親の望みは、ただプリシラを愛で、機嫌を取るために甘やかすことだけ。
そんな両親に見切りをつけ、乾いた心でプリシラの『お願い』を受け入れてきたコーデリアだったが。
(そんな私達家族の事情で、殿下からの心遣いを無駄にしたくはないもの)
あのドレスは、レオンハルトがコーデリアのためにと選んでくれたものだった。
そんなドレスを妹に渡すのは失礼だと、嫌だと、珍しくわがままを言いたくなったコーデリアなのであった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
その後コーデリアが雑務を片付けているうちに時間がすぎ、レオンハルトが訪ねてくる時刻となった。
(よし、何とか準備が間に合ったわね。プリシラも無事なんとか、送り出せたことだし………)
予想通り、プリシラは直前にかなりごねた。
元より、ドレスの一件でご機嫌斜めだったため、それはもう不服そうな顔だったのだ。
しかし今日プリシラが屋敷に居て困るのは、両親も同じなのである。
両親と、そして演劇に同行するトパックとの四人がかりで、どうにかプリシラを説得させ成功した。
演劇に同行させる従者には、くれぐれもプリシラが抜け出さないよう父が命令していたから、これでもう心配ないはずだった。
コーデリアが身支度を整え窓辺に佇んでいると、馬車止まりへとレオンハルトの馬車が入ってくるのが見えた。
さっそく玄関まで出迎え、両親と共に歓待することになる。
レオンハルトは穏やかな雰囲気を崩さず、またたび扱いしてきた時の危うさは影を潜めていたのだった。
(他人の目があるところでは、殿下は自重できる方よね………)
…………だからこそ、二人きりになった時の残念さが際立つのだが。
そんなことを考えつつ、当たりさわりの無い談笑を繰り広げているうちに、話題が先日のカトリシアの件へと移り変わった。
「殿下のおかげで助かりました。本日お訪ねいただいたことといい、当家にはもったいないお心使いです」
「コーデリアのためならば、これくらいお安いご用だよ」
恐縮しきった父の言葉を、さらりとレオンハルトが打ち返した。
コーデリアへの好意を隠そうともしないレオンハルトに、父親もどう対応すればいいか決めかねているようだった。
「……………なぜそこまでうちのコーデリアのことを?」
「彼女の人柄に惚れこんでいるからさ。グーエンバーグ伯爵も、先日公爵令嬢であるカトリシア相手に一歩も退かなかった、コーデリアの勇姿は見ていただろう?」
「…………あの日私は、外出していましたので………」
口ごもる父を、レオンハルトが目を細め見ていた。
「殿下、あの日のことで、いくつかお聞きしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「あぁ、構わないよ。俺もそのつもりできたからな」
「ありがとうございます。それでは二人きりで、少しお話させていただけますでしょうか?」
「二人で?」
「えぇ。伯爵家の当主として、身内とはいえ他人には、少し聞かれたくない事柄もありますので……」
父が目線で、コーデリアと母に退出を促した。
(伯爵家の当主として? 実務には関わっていないお父様が、殿下と何を話したいというのかしら?)
コーデリアは訝しんだ。
事件について聞きたい、と言うのは口実のように思えた。
父は父なりに、コーデリアに接近してきたレオンハルトの真意を、確かめたいということなのだろうか?
疑いつつも、レオンハルトもまた退出を求めてきたため、コーデリアと母は席を立つことになった。