駆け抜ける世界はとても綺麗で
(殿下、結構くせ者よね………)
コーデリアは胸中で呟きつつ、レオンハルトとこれからの行動を小声で相談していった。
あまり打ち合わせが長くなっても不自然なため、おおまかに骨子のみをすり合わせ、行動に出ることにする。
「パメラ、服を整え終わったから、こっちを向いても大丈夫よ」
声をかけると、恐る恐るといった様子でパメラが振り向く。
彼女はレオンハルトを前にすると怯えてしまうため、コーデリアが説明に当たることになった。
「待たせて悪かったわ――――――――」
「コーデリア様っ!! すみませんでしたっ!!」
パメラが、深々と頭を下げていた。
「…………いきなりどうしたの?」
「全部です!! 船に穴を空けたことも、騙したことも、どうか謝らせて欲しいんです!!」
震え今にも泣き出しそうな表情で。
しかし涙は見せまいと瞼をひくつかせながらも、パメラが謝罪を口にした。
「謝って、許してもらえることじゃないのはわかっているんです!! 私はコーデリア様に、とても酷いことをしてしまいましたっ!!」
「………………その通りね」
「カトリシア様の命令だったから……………だから許してと、だから悪くないと………そう思い込むようにしていたんです……」
でも、と。
自らの体をかき抱くようにして、パメラの震えが強まった。
「でも、そんなだから、罰が当たってしまったんだと思います」
「罰?」
「先ほど、私に襲い掛かろうとした獅子の幻は、きっと………。浅ましく情けない私を改心させるために、聖獣様が姿を現してくださったんだと思ったんです」
………獅子に、レオンハルトに、そんな意図は無かったと思うのだが。
(言わぬが花、というやつね………)
王家の祖とされる獅子は国の行く末を見守るため、時に国民の前に姿を現すという伝説がある。
コーデリアはあまり信じていなかったが、いまだ貴族や平民たちには、根強い崇拝の感情が残っていた。
「もちろん、本物の聖獣様が、私なんかの元にあらわれるわけないって、ちゃんとわかっています。…………だからあの幻はきっと、私の思い込みです。醜く言い訳ばかりだった私を止めるために、私の罪悪感が、聖獣様の姿を借りて目に映ったんだと思います…………」
目元に力をこめ涙をこぼさないようにし、パメラがコーデリアを見上げた。
「だから、もう私は、カトリシア様の命令には従いません。これだけで許してもらえるとは思いませんが………これが私にできる、コーデリア様への精一杯のお詫びです」
再び、勢いよく頭が下げられた。
「…………頭を上げてちょうだい。その言葉が本当なら、いくつか頼みごとを聞いてもらえるかしら?」
「は、はいっ!! 私にできることであればっ!!」
許しをこうように見るパメラに、コーデリアはいくつかの指示を出していった。
(口先で謝るだけなら、どうとでもできるものだけど………)
あぁも謝られ震えられると、弱いもの虐めをする気になれないのは事実だった。
ならば、彼女はこちらに罪悪感を抱いているようだし、怒りは脇に置き、利用させてもらうだけだ。
『溺れかけたパメラを助けたのはコーデリアである』
『この場にはパメラと従者、コーデリア以外誰もいなかった』
『水を飲み弱ったパメラに助けを呼ぶため、コーデリアは森の中へ歩いていった』
………という筋書きをパメラに説明し、コーデリア達はこの場を立ち去ることにした。
「それじゃぁパメラ、カトリシア達に会ったら、今言ったようにお願いね」
「わかりました、コーデリア様、レオンハルト殿下。お二人はこの後どうなさるのですか?」
「森を抜けて、湖とは反対方向に向かうつもりよ。悪いけどしばらくの間、目をつむっていてもらえるかしら?」
「目を?」
「今から私達が行くのは、殿下や限られた方しか知らない、秘密の獣道なの。あなたが言いふらすとは思わないけど、念のため見ないでいて欲しいわ」
「わかりました。お気をつけてくださいね」
パメラが反対方向を向きしっかりと目を覆ったのを確認すると、コーデリアはレオンハルトを見上げた。
「………では殿下、すみませんが」
「あぁ、まかせてくれ」
コーデリアの前でレオンハルトの輪郭が滲み、淡い光が放たれる。
まばたきの間にそこには、艶やかな毛並みの黄金の獅子の姿があった。
「失礼しますね」
獅子の背に手を置き、コーデリアはしばし悩んだ。
乗馬は嗜んでいるが、獅子に乗るのは当然初めてである。
馬と同じように跨るには、いささか難しそうな体格だった。
「殿下、横すわりでも大丈夫ですか?」
「うがっ」
小さく鳴き、レオンハルトが頷いた。
了承の意を受け、コーデリアはゆっくりと背中に腰を下ろした。
たてがみに掴まっても大丈夫と言われていたため、ありがたく掴ませてもらうことにする。
(………落ち着かないわね)
だが、人間姿のレオンハルトにお姫様抱っこされたまま、森を突っ切るより遥かにマシだった。
今のレオンハルトは人間ではなく獅子、つまりただの獣。
森を抜けるため、獅子の背中を借りるだけだと……そうコーデリアは自分に言い聞かせたのだった。
「それでは殿下、お願いします」
「がうっ‼」
しなやかな四本の足が動き、レオンハルトが森へと駆け出した。
(気持ちいいわね………)
風を感じながら、コーデリアは髪を押さえた。
乗馬経験があるとはいえ嗜み程度であり、早駆けの経験はない。
足を動かさずとも左右の景色が移り変わっていくのも、頬にあたる風も新鮮で、なかなかに愉快な感覚だった。
獅子は本来、草原に住む生き物だと聞く。
だが、森をゆくレオンハルトの足取りに危うさはなく、自然な動きで木立をすり抜け駆けている。
走りは滑らかで、鞍もあぶみもない横すわりにも関わらず、体が大きく揺れることも無く快適だ。
(殿下、かなり気を使ってくれているのかしら)
申し訳ないやら恥ずかしいやら。
コーデリアにできることは、しっかりと体に掴まり、邪魔にならない様するだけだ。
あとどれ程で森を抜けられるだろうかと前方を見ると、いくつもの小さな金色の炎が瞬くのが見えた。
(至れりつくせりね………)
金の炎は進行方向の葉や小枝を焼き、コーデリアの体に当たらない様してくれているようだった。
王家の祖である獅子は、炎を司る精霊であったと伝えられている。
特殊な炎であるおかげか山火事の心配もないようで、レオンハルトは次々に炎を出し駆けていた。
(綺麗)
美しい獅子の背で、灯っては消える金の炎を道しるべのように駆け抜ける。
まるで絵本のような光景に、コーデリアは感動に浸っていた。
……………もっともその感動は、獅子こそがレオンハルトであるという現実から、少しでも逃避するためでもあったが。
そんな風に感動半分、現実逃避が半分のまま背に揺られていると、やがてレオンハルトが歩みを止めた。
「殿下、ありがとうございました」
ドレスの裾を直しつつ降りると、獅子の体が揺らぎ、人の姿が現れた。
「じきに森の出口と言うことですか?」
「気配を感じたからだ。俺の従者が、もう少しすると来るはずだからな」
「殿下が獅子の姿を取れることを、従者の方たちはご存じないのですか?」
「ああ、知らせていないよ。俺の獅子の姿を知っているのは父上に母上、それに乳母と、あと二人ほどだ」
「そうでしたの………」
つまり、自分は6人目ということか。
従者さえ知らない秘密を明かされたなんてと、コーデリアは胃が重くなるのを感じた。
(………ご両親に乳母はわかるけど、あと二人は誰なのかしら………?)
少し気になるが、聞けば藪蛇になるかもしれなかった。
誰なのだろうと、あてどなく考えていると―――――――
「………っ、そこにいらっしゃるのはっ⁉」
近くの木立がゆれ、レオンハルトの言った通り、従者が姿を現したのだった。