背中に乗れと言われましたが
「俺のまたたび…………いや、妃になってくれ、コーデリア」
「またたび扱いはお断りします」
レオンハルトからの情熱的な求婚(?)を、コーデリアは間髪入れず拒絶した。
きっぱりと言い切ると、レオンハルトが目をしばたかせている。
「………まさかコーデリアは、またたびが嫌いなのか?」
「好きとか嫌い以前に、私はまたたびではありません」
『私はまたたびではありません』
…………我ながら意味不明なセリフである。
人生においてまさかこんな断り文句を使う日が来なんてと、コーデリアは遠い目をした。
そんなコーデリアの内心を知ってか知らずか、レオンハルトが熱に浮かされたかのように唇を開いた。
「すまない、俺の言葉が悪かったようだな…………。またたびというのは比喩だ。コーデリア、君は俺にとってまたたび以上に愛らしい、とても素晴らしく魅力的な存在なんだ」
違う、そうじゃない。
ツッコミを入れたくなるのを、コーデリアは全力で我慢した。
(というかそもそも、『またたびより愛らしい』というのは誉め言葉になるのかしら……?)
ならないはずである。
自分の思考に駄目だしをしつつ、コーデリアが口を開こうとしたところ―――――――
「コーデリア、しばらく今の話は後だ。彼女が意識を取り戻しそうだ」
レオンハルトが声を潜め、木によりかかる令嬢を見やった。
人より優れた聴覚で、令嬢の様子に変化を感じ取ったらしい。
その表情に、つい今までコーデリアへと向けられていた甘やかな熱は欠片も無く、穏やかだが感情のうかがえない笑みが浮かべられている。
彼の表情制御術に無言で拍手を送りつつ、コーデリアも令嬢の姿を見守った。
「……んっ………」
ゆっくりと、令嬢のまぶたが持ち上がる。
目を開いた令嬢はまばたきをしつつ、数度ゆっくりと首を振った。
「私は………なぜ、こんなところに…………?」
答えを探しさまよう視線が、コーデリアを見て固まった。
「っひっ!! コーデリアっ⁉」
令嬢の声がひっくり返る。
どうやらまだ錯乱状態が続いているようだ。
瞳に恐怖を滲ませ、あえぐように唇を開閉させている。
どうなだめたものかとコーデリアが思い悩んでいる前で、顔を青くした令嬢が絶叫を放ち―――――
「子爵令嬢パメラ、その口を閉じるんだ」
凛とした声が響き、悲鳴が断ち切られた。
レオンハルトだ。
大声を出したわけでも、声が荒げられていたわけでもなかったが、彼の言葉には人を従わせる確かな力があった。
いつも穏やかで人当たりがよく、コーデリアの前では甘く優しいレオンハルトだが、彼はれっきとした王族の一人である。
その事実を再確認しつつ、コーデリアは真っ青な顔で震えているパメラへと声をかけた。
「パメラ、落ち着いて。怯えなくても大丈夫。殿下は溺れていたあなたを助けてくれたのよ」
「殿下が、溺れた私を………?」
パメラの瞳が、記憶を確認するように閉じられた。
「私、ボートから落ちて、溺れて――――――――っ」
パメラは立ち上がると、慌てて周囲を見渡した。
「獅子よっ!! 溺れる私に獅子が襲い掛かってきたのよっ‼ どこにいったのっ⁉」
「パメラ、落ち着け」
レオンハルトの命令に、パメラが再び固まった。
「獅子なんていない。君が見たのは幻だ」
「そ、そんなわけっ…………!!」
「君は水を大量に飲んでいたんだ。苦しさのあまり、幻を見ていたに違いない」
「でもっ、あんなに近くで、私のドレスが引っ張られて………!!」
「それも全て幻だ。こんな王都の近くに、獅子がいるわけがないだろう?」
「殿下のおっしゃるとおりよ、パメラ。私も見ていたけど、獅子なんてどこにもいなかったわ」
コーデリアも加勢すると、さすがにパメラも納得したようだった。
「…………そ、そうですよね。もし本当に獅子がいたなら、コーデリア様だって噛みつかれて死んでしまって、無事ではいられないものね」
「……………その通りね」
…………獅子にじゃれつかれまたたび扱いされ求婚され、ある意味全く無事では無かったのだが。
そんな事実はおくびも出すことなく、パメラを安心させるように、コーデリアは微笑んだ。
どうやらパメラもだいぶ落ち着いてきたようで、コーデリアへの敬称が復活していた。
「でも、獅子がいなかったなら、コーデリア様のそのドレスはどうしたんですか?」
「あなたを助けるため、湖に飛び込もうとして――――――――」
「その件なんだが、まずはパメラ、目を覆い向こうを向いていてくれないか?」
レオンハルトが、コーデリア達のいる方向と反対方向を指し示す。
パメラは反射的に指示に従いつつ、不安そうに声を上げた。
「レオンハルト殿下、どういうことですか?」
「コーデリアはちょうど今、服の乱れを整えようとしていたところなんだ。相手が同性であれ、他人に着替えや身支度は見られたくないものだろう?」
「す、すみませんでしたっ!!」
「気にすることは無い。コーデリアがいいというまで、君は目をつぶり反対方向を向いていてくれ」
両手で目を覆ったまま、パメラがこくこくと首を振った。
それを確認したレオンハルトがコーデリアへと近寄り、小声で話しかけてきた。
「さてコーデリア、これからどうするかなんだが…………」
「殿下はここにはいなかった、と言うことにして、彼女にも口裏を合わせてもらうべきですね」
レオンハルトが助けに来たと公表すれば、色々とめんどうなことになることは間違いない。
ザイードの関与といい、説明の難しい件が多すぎる。
「いつここにパメラや私の従者たち、それにカトリシア様がやってくるかわかりません。殿下は早くこの場を離れてた方がよろしいかと」
「その通りだな。ではコーデリア、この後で俺の背中に乗ってもらえるか?」
……………はい?
この殿下は一体何を言っているのだろうと訝しんだところで。
(あ、そういうことね。獅子の姿になるから、背中に乗れということ………?)
意味するところは理解できたが、レオンハルトの真意は読めなかった。
「無理です。獅子の殿下を乗り物がわりにするなんて、私にはとてもできません」
「相手が君なら、俺は大歓迎だよ?」
「私が恐れ多いです」
「気にしなくても大丈夫。君は羽のように軽いからな」
麗しい笑顔で断言するレオンハルトに、コーデリアは頭痛を覚えつつ口を開いた。
「そもそも、獅子の殿下に騎乗する必要性がわかりません」
「人間の姿の方がいいのか? ならば君を、両腕で抱き上げて行こうか?」
森の中は危ないから、君を歩かせるわけにはいかないよと、レオンハルトが当然の顔をして言っている。
「………なぜこれから私が、殿下と行動を共にする前提になっているのですか?」
「当然だろう? カトリシアは君を憎んでいるんだ。そんな彼女がやってくるかもしれないここに、君一人を残して帰るわけにはいかないじゃないか」
「殿下、ご心配はありがたいのですが、カトリシア様くらい私一人で―――――――」
「コーデリア」
びくりと跳ね上がりそうになる肩を、意思の力で押さえつける。
レオンハルトの声は静かだが、どこか恐ろしく熱を帯びた響きがこもっていて。
まるで大型の獣ににらまれたように、心臓が早鐘を打つのがわかった。
「君は俺のまたたびだと、そう告げたはずだ」
「またたび……………」
レオンハルトの指がコーデリアの手首に触れ、捕らえる様に握りしめた。
「獅子は獣で、そして猫の仲間だ。またたびである君を置き去りにするなんて、できるわけがないだろう?」
獅子は獣。
その言葉を証明するかのごとく、レオンハルトの瞳には獰猛な光が煌いているようだった。
「………コーデリア、君の選択肢は2つだ」
手首が解放され、レオンハルトが人差し指と中指を立てた。
その瞳から、つい今しがたの危うい光は消えている。
肩の力を抜くコーデリアの前で、レオンハルトは人差し指を折った。
「1つ、獅子の姿の俺に騎乗し、森を突っ切って俺の乗ってきた馬車へと向かう」
続いて中指が折られた。
「2つ、俺とともにこの場に残り迎えに来たボートにのり、伯爵家の屋敷までむかう」
差し出された選択肢に、コーデリアはそっとため息をついた。
(そんなのは最初から、二択として成立してないじゃないの)
2番目を選んだ場合。
レオンハルトがコーデリアの元に駆け付けたと、カトリシアを筆頭に多くの人間に知られることになる。
しかも不可抗力とはいえ間が悪いことに、コーデリアのドレスは脱げかけで乱れ切っている。
レオンハルトのお気に入りと噂されているコーデリアが、肌もあらわな状態で彼と共にいた。
…………そんな状態を他人に見られたらなんと噂されるか、火を見るよりも明らかである。
コーデリアにレオンハルトの求婚を受け入れる気が無い以上、2番目の選択肢は存在しないも同然だ。
「……………わかりました。恐れ多いことですが、獅子の殿下に乗らせてもらいますね」
「君なら、きっとそちらを選んでくれると信じていたよ」
いい笑顔のレオンハルトに対し、
(殿下、結構くせ者よね………)
コーデリアは心の中で呟いた。
いつもこちらに対し優しく甘く、またたびを前にした猫のようだったレオンハルト。
………だが彼は決して、優しく穏やかなだけの男性ではなかった。
彼は王子であり、獅子でもあるのだ。
パメラに見せた支配者たる王族としての顔や、肉食獣のごとき威圧感を放つ瞳の持ち主だ。
――――――――きわめてめんどくさい相手に、またたび認定されてしまったコーデリアなのであった。
お読みいただきありがとうございます。
感想欄への返信と、指摘いただいた誤字を訂正させてもらいました。
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