猫ならば愛らしいと思いますが
「獅子…………?」
呆然と、コーデリアは呟いていた。
美しい獣だ。
黄金色の毛並みは艶やかで、水を滴らせてなお、優美な気品を放っていた。
堂々たる体躯に、頭部を覆う豊かなたてがみ。
神々しささえ感じるほどの、圧倒的なたたずまいで湖に君臨している。
突然出現した猛獣に、しかしコーデリアは怯えてはいなかった。
その理由は、獅子の瞳だ。
どこか見覚えのある琥珀色の瞳が一瞬、こちらを向き優しく細められた気がした。
それに加え、獅子が令嬢を助けようとしていたからである。
頭部が水に浸かるのも気にせずボートの下に潜り込み、令嬢を引っ張り上げようとしてるように見える。
獅子の後ろ脚が湖面を跳ね上げ、水しぶきが宙へと舞い上がる。
水中の様子が見えないコーデリアが不安げにしていると、一際大きいしぶきと共に、獅子が水面から顔をのぞかせた。
口元には、令嬢のドレスがしっかりと咥えられている。
獅子はそのまま手足を動かし、ドレスに絡まったボートごと陸へと引きずりあげてきた。
力強い外見の通り、獅子は人間とは比べ物にならない筋力を誇っているようだ。
「大丈夫っ⁉」
助け上げられた令嬢へと、コーデリアは急いで走り寄った。
令嬢はえづきせき込み、激しく水を吐き出している。
苦し気な表情のまま目を閉じていたが、命に別状はないようだ。
胸元が規則的に上下し、呼吸がゆるやかなものになったをのを見て、コーデリアはほっと安心したのだった。
「…………あなたは…………?」
そうなると気になるのが、突然現れた金色の獣だ。
外見はおおよそ、絵物語で見た獅子に似ていたが、獅子はこの辺りに生息していなかったはずである。
「レオンハルト殿下、なのですか……………?」
突如あふれ出た光。姿の見えない王子。湖から令嬢を助けた獣。
つまりこの美しい猛獣こそが、レオンハルトということなのだろうか?
コーデリアの疑問を肯定するように、獣が小さく鳴いた気がした。
湖水を滴らせながらも悠然としたたたずまいは、なるほど百獣の王と謳われるのも納得の姿だった。
「きゃっ!」
――――――――ぶるるるる、と。
体を乾かそうと身をよじる獣から、水滴が弾となり飛んできた。
冷たさに悲鳴をあげると、獣がぴたりとその動きを止め固まった。
「ぐぅぅぅぅっ………」
すまないと、そう謝罪するように一声鳴いた獣の体が、強く金色に輝き始めた。
「まぁ……………」
感嘆のため息を漏らす。
ゆらゆらと揺れる黄金と白金の炎が、獣からあふれ出てきた。
炎はマントのように毛皮を覆うと、まばゆい光を放ちかき消える。
「綺麗ね………」
光がおさまると、すっかりと身を乾かした獅子の姿がある。
体毛はより一層艶やかに、たてがみが空気をはらんでたなびいてた。
今のは、魔術か何かの類だろうか?
目の前の獅子が幻でないと確認するように、コーデリアは恐る恐る手を伸ばした。
「…………柔らかい…………」
さらさら、もふもふと。
毛足の長いたてがみと、その下にある綿毛のような感触。
滑らかさと柔らかさの二つの触り心地を備えた毛並みが、優しくコーデリアの手を楽しませていた。
たてがみに指を埋め堪能していると、獅子が頭をすり寄せてくる。
何度も頭頂部をこすりつけるようにして、こちらへと身を預けてきた。
(くすぐったいわ………)
目を細め、しきりに体を寄せてくる獅子の姿に、唇から小さく笑いが零れた。
(立派な体をしてるけど、こうしていると可愛らしいわね)
手を伸ばすと、肉厚な舌が指を舐める、ざらりとした痛かゆい感触が返ってくる。
ごろごろと喉を鳴らしながら、一心にこちらへとじゃれつく姿は、まるで子猫のように愛らしかった。
(そういえば獅子は、猫の仲間であると聞いたわね…………)
猫は猫でも、野良猫でも山猫でも無く、ご主人様大好きな飼い猫だ。
無邪気に戯れる獅子の様子に、コーデリアはそう結論づけたのだった。
……………だがいくら行動が愛らしくとも、獅子はやはり獅子である。
猫の十倍はある巨大な体躯にじゃれかかられ、バランスを崩し倒れ込んでしまった。
「いたたたた……………」
腰をさすっていると、獅子がはっとしたように飛びのいた。
腰を低くし、耳がぺたりと垂れたその姿は、反省と共にしょぼくれているよう見える。
知性の片りんをのぞかせる獅子に、コーデリアはもう一度問いかけることにした。
「やはりあなたは、レオンハルト殿下なのですか………?」
「ぐがぁぅうっ……」
「今もこちらの言葉が理解できるなら、三度鳴いてもらえますか?」
「がうがうがうっ!!」
今度こそはっきりと、獅子………レオンハルトが答えを返してきた。
こちらの声に尻尾を振る姿は猫というより犬のようだなと、ぼんやりと頭の片隅で思う。
嬉しそうに尾を振り寄ってこようとするレオンハルトを、コーデリアは手を伸ばし押しとどめた。
「殿下、駄目です。それ以上近寄らないでください」
先ほどは思わず撫でまわしてしまったが、相手はレオンハルトだ。
獅子が彼だという確信を得た今、ただの獣相手と同じ距離で接することは許されないはずだった。
「ぐううぅぅっ…………」
尾を垂れ俯く姿に罪悪感が刺激されるが、ほだされることはない。
断固として拒絶の姿勢をとっていると、諦めた様にレオンハルトが遠ざかる。
(まるで、またたびを取り上げられた猫みたいね……)
そう考えると哀れみを誘われたが、今は話が別だった。
またたびにじゃれる猫は愛らしいが、彼はれっきとした人間だ。
執着の対象がコーデリアである以上、受け入れることは不可能だ。
(今の姿といい、以前私の手を蕩けた瞳で見ていたこといい…………。殿下にとって私は、またたびのようなものなのかしら……)
まさかまたたび扱いされているなんて、と。
思わず遠い目になってしまうコーデリアなのであった。
ようやくタイトル回収&獣な姿のヒーローを登場させられました。
応援や感想などありがとうございます。
またたびことコーデリアの未来がどこへ向かうのか、お付き合いいただけたら嬉しいです。