胡散臭さしか感じないのですが
(王族の前にいるのだもの。しっかりしなくては…………)
コーデリアは気を引き締めたが、すると不自然なことに気づいた。
静かすぎる。
先ほどから声を発しているのは、自分とレオンハルトのみ。
一緒にボートに乗っていた令嬢が気絶したままなのはともかく、レオンハルトの従者らしき人間の存在が、どこにも感じられないのはおかしかった。
「殿下、お付きの方はどこにいらっしゃいますか? 私を慮って陰に控えさせているのなら、そろそろお呼びいただいてもよろしいかと」
「……………供の者はいない。この場には、俺一人で来たからな」
「殿下お一人で?」
「急いで駆け付けたから、置いてきてしまったようだ」
そんな馬鹿なと、コーデリアは喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。
確かにレオンハルトは剣術に長け、身体能力にも恵まれていると聞いている。
だが王子である彼の従者や護衛だって、それなり以上に運動能力は優れているはずだ。
そんな優秀な護衛達が置き去りにされるとは、にわかに考えられなかった。
例えレオンハルトの脚力が頭抜けていたとしても、彼は先ほどからこの場から動いていないのだ。
なのに護衛の一人がいまだ追い付かず姿を見せないとは、考えにくいことだった。
一つの疑いが種となり、いくつもの疑問がコーデリアの中に芽吹いた。
「殿下がお付きの方々とまだ合流できていないということは、かなり遠くから全速力で走って、この場に駆け付けたということですか?」
「あぁ、だいたいそんなところだ」
レオンハルトが微笑んだ。
怪しい。
顔こそ笑っているが、先ほどまでこちらに向けていたのとは違う、空々しさを感じる笑いだった。
「………そんなに遠くにいたのに、どうして私を見つけられたんですか? 距離がそれ程にも開いていたら、こちらの姿は見えませんし、声だって聞こえないはずですよね?」
レオンハルトから視線をそらすことなく、コーデリアは問いを重ねた。
曖昧に微笑むままの彼に、疑惑が育っていくのを感じた。
(どうして殿下は私を見つけ、助けられたの? ひょっとして…………)
先ほど、彼の兄であるザイードも、賊に襲われていたコーデリアの元に駆けつけていた。
だがしかし、それはザイードの企みであり、賊達と共謀していたからこそできたことだ。
ザイードと同じように。
まるで演劇に出てくる白馬の王子様かのように、コーデリアの危機を救ったレオンハルト。
(レオンハルト殿下も、私がこの場で賊やザイード殿下に襲われると、あらかじめ知っていたということ……?)
そう考えれば筋が通る。
先ほど手を握ってくれた彼の手の温かさを疑いたくはなかったが、不審な点が多すぎた。
「………殿下、お答えください。殿下は私のことを、どうするつもりなのですか?」
彼から身を引きつつ、コーデリアは問いかけた。
「君を守りたかっただけ、と言ったところで、聡い君は納得してくれないだろうな……………」
困ったように、レオンハルトは笑いかけると、
「………匂いだよ」
「? いきなりなんですか?」
「君の匂いを辿って、俺はここに辿り着いたんだ」
にわかには信じられない言葉だ。
首を傾げつつ、レオンハルトの告白に耳を澄ませた。
「俺のところに今日、カトリシアの茶会に君が招かれたという知らせが入ったんだ。君は彼女に理不尽に恨まれてただろう? だから警戒して情報を集めたら、兄上まで不穏な動きを見せていたんだ」
「それで、この森の近くにまで来たということですか?」
「あぁ。従者たちと共に森に来て、馬車から降りたところで、君の匂い…………のようなものが、人気のない森から漂うのを感じたんだ。万が一、君に何かがあったらたまらないと、慌てて駆け付けたところさ」
レオンハルトの言葉に、嘘は感じられなかった。
これで全てが出まかせなら、彼の言葉は何も信じられなくなりそうだ。
(でも、殿下の言葉が本当だとしたら………)
自分はそんな遠くから匂うほど、体臭がきついのだろうか………?
そんなはず無いと思いたかったが、自分自身の体臭というものは、案外気づけないものだとも聞く。
自覚が無かっただけで、自分は激臭をまき散らかしながら生活していたのだろうか。
(へこむわね…………………)
ある意味、ここ数年で一番の落ち込みだ。
トパックに婚約破棄を告げられた時より、ダメージが大きいかもしれなかった。
年頃の令嬢として、身だしなみには気を使っていたはずだ。
指を鼻先にもっていき、おもわず匂いを確認してしまった。
初めは無臭。
しかしよく嗅いでみると、ほのかに甘い匂いがする。
先ほどつまんだ、アップルパイの残り香だった。
「………コーデリア、その………気にしないでくれ。気になる相手のことは、ささいなことであれ気づくというだけのことだからな………」
「………いくら好意があっても、普通の方では無理だと思います」
「あぁ、それはまぁ、その…………俺は普通ではないからな…………」
気まずそうなレオンハルトに対して、
「つまり殿下は手袋フェチではなく、匂いフェチということですか…………」
知りたくなかった性癖を告白され、コーデリアはぼそりと呟いた。
「何故俺が君に、手袋に執着する変態だと思われていたんだ…………?」
「殿下が以前、執拗に私の手袋を欲しがっていたから、てっきり手袋に興奮する方なのかと……」
「違う!! 断じて違うからなっ!?」
無実を叫ぶレオンハルトに、コーデリアは生ぬるい視線を注いだ。
「わかります。手袋ではなく、手袋についた匂いを持ち帰りたかったんですよね?」
レオンハルトは呻き、目を反らし泳がせた。
……………改めて言葉にして発すると、しみじみと酷い話だ。
事実を言語化しただけだが、本当にこんな男が王子でいいのだろうかと、無駄に国の行く末が不安になってしまいそうだった。
「性癖に貴賤は無いと言いますが……。匂いフェチの殿下に、手袋フェチの方を馬鹿にする資格は無いと思います」
「ぐっ……。未だかつてこれほど、蔑みの目を向けられたことは無かったぞ……?」
「……………つまり殿下は今まで、周囲に性癖を隠し通しておられたんですね」
「何故そうなるっ⁉」
レオンハルトが頭を抱えこんだ。
「俺は手袋フェチでもなければ、匂いフェチでもない…………。 匂いというのは比喩のようなものだ。決して俺は、体臭そのものに興奮するわけでは無いからな?」
「では一体何に執着し、何に興奮するというんですか?」
「一言では表せないが…………。あえて言うなら魂が発する何か。目に見えず耳に聞こえず熱くも無く冷たくも無く触れることも出来ず……………。でも確かに存在する、そんな類のものだ」
「魂………」
と、言われたところで、到底納得できるものでは無かった。
魂だなんだと言われても、胡散臭さしか感じないのが正直なところだ。
コーデリアが色んな意味で引いていると、ふいにレオンハルトが瞳を鋭くした。
「…………っ、あっ………」
うめき声へと視線を向ける。
気絶していた令嬢が、意識を取り戻したようだった。
「あなた、大丈夫? ここがどこかわかるかしら?」
「うぁ……私は……………」
令嬢の瞳が、ゆっくりと焦点を結んでいく。
コーデリアが座り込み顔色をのぞきこむと、令嬢の瞳が見開かれた。
「っ、コーデリアっ⁉ なんで私はっ……………ひあっ⁉」
戸惑う令嬢の視線が、レオンハルトを捕え固まった。
「どうして殿下がここにっ⁉」
「驚くのはわかるわ。ゆっくりでいいから落ちつい――――――きゃっ⁉」
突き飛ばされ、コーデリアが尻もちをつく。
令嬢は立ち上がると、コーデリアとレオンハルトから遠ざかる方向へ―――――湖に向かって駆け出した。
「違います違うんですっ!! 私は悪くありません!! なのにどうして殿下までいるんですか⁉」
「駄目よ、そっちはあぶな――――――」
「殿下に私を断罪させるつもりですね!? 嫌っ!! もう嫌よ嫌っ!!」
こないでと叫びながら、令嬢がボートへと乗り込んだ。
錯乱したままに勢いをつけ、湖へと漕ぎ出したが―――――――――
「きゃぁぁぁっ――――――――――」
悲鳴が途切れ、大きな水音。
ゆっくりとだが、ボートは浸水が続いていのだ。
たっぷりと水がたまった状態では、体重を支え切れなかったようだった。
「もがかないで‼ 余計に沈んでしまうわ!!」
岸からすぐの距離だが、意外に深さがあるらしい。
下手に動けば令嬢にしがみつかれ二の舞と躊躇していたら――――――
「俺が行く!!」
衣装が濡れるのも構わず、レオンハルトが湖へと飛び込んだ。
力強く水をかき、あっという間に転覆したボートに辿り着く。
令嬢を引き上げようと潜った彼だったが、なかなか浮上してこなかった。
「殿下っ⁉」
「くるなっ!! ドレスの一部が、ボートに絡んで外れないっ!!」
コーデリアの叫びに、レオンハルトが顔を上げ答える。
叫びつつ、水面下で手を動かしているようだが、苦戦しているようだった。
(このままじゃ殿下までひきずりこまれる………⁉)
最悪の想像がよぎった。
令嬢はともかく、レオンハルトをここで死なせるわけにはいかなかった。
コーデリアはドレスを見下ろした。
わずかの葛藤の後、勢いよく裾を引きちぎる。
袖をまくって動きやすいようにし、いざ飛び込もうとしたところで―――――――
「っ⁉ まぶしっ⁉」
激しい金の光が、勢いよく湖から立ち上った。
思わず目をつぶり、叫び、そして瞼を持ち上げると――――
「獅子…………?」
太陽が落ちてきたと錯覚するほどにまばゆい金の獅子が、湖に君臨していたのだった。
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次話は今夜更新予定です。