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「″始まりの国″には、ならなかったか。」
突然、頭上から、つまらなそうな声が降ってきた。
空に白い竜が、翼を広げてハイルドたちを見下ろしていた。まだ体が小さく幼竜のようだ。
「竜よ、あのウマを倒しておくれ。」
国王が空を見上げ嘆願し、回りの者も祈るように竜を見た。
一番強い魔物がいなくなれば、どれだけ犠牲が出ても兵で対処できるかもしれない。
竜が長い首を動かし、羽で宙に浮いているウマを見る。ウマも二つの首を動かして竜を見るが、興味がないと言いたげにすぐに視線をハイルドたちに戻している。
「断る。こんなモノを生み出す国にしたのは、お前だろう。」
竜は、クルリと回転すると、白い髪の少年の姿になった。背中に小さくなった翼が付いている。
「それにこの魔馬は、強い。お前たちのために命を賭ける必要も感じない。」
冷たく竜は、言い放った。
「お前は、勇者と一緒にいた?」
ハイルドは、見覚えのある白い髪に驚きを隠せない。
『そんな態度だと、″始まりの国″になっちゃうよー。』
そう言って、勇者と共に出ていった少年。あの時から、この少年の姿は、少しも変わっていない。
「勇者!」
「勇者に頼めば!」
「勇者をここに。」
口々に叫ぶが、竜は鼻で一笑するだけだ。
「お前ら、バカだろ。15年前にヒカルが忠告したのに、このザマだ。助ける義理もない。」
ハイルドは、唇を噛み締めた。竜の言う通りだ。勇者の言葉を無視したから、こんなコトになってしまった。それは、ゆるぎのない事実。
「我は、この国の王だぞ!我のいの・・・。」
「そこの石よりも価値がないね。」
その言葉と共に国王の足元にある石が、大きく跳ねた。
国王は、茫然と竜を見上げている。
竜は、金色の目で一人ずつ見定めるように視線を動かし、不浄の沼で止めた。
「やっぱり贄は、勇者候補だった王子か。じゃあ、あの魔馬も王子が生み出したモノだな。」
顎に手を当て納得するとまたクルリと回転して、竜に姿を戻している。ここに止まる気は、まったくないようだ。
「勇者と魔王は、表裏一体。仕方がないか。
ところで、早く門に入らないと閉じちゃうよ。回りに魔物も集まっているし。」
まあ、何処に出るかは、知らないけど。
言いたいことだけ言って、竜はあっさり飛び去っていった。
ハイルドは、回りを見回した。
光る円の外側に魔物が、ズラリと並んでいる。魔方陣が消えるのを待っているようだ。
ネズミやウサギの魔物が多いが、イヌやシカのような大きな魔物もいる。それらが一斉に襲いかかってきたら、未来は一つだけ。そして、ここにいる魔物たちが、沈黙の森から出て行ったら。この国が考えたくもない状態になるのは、目に見えていた。
国王が奇声をあげて、我先に門に入っていった。
「ぎゃー!」
すぐに野太い悲鳴が上がる。
声のした方を見ると、門の中に消えたはずの国王が光る円の外にいた。魔物が次々と国王に襲いかかり、黒い固まりになる。
グギ。バギ。
嫌な音が聞こえ、固まりも小さくなっていく。赤い口をした魔物たちが、再び光る円の外側に列び出す。
「助かるのでは、なかったのか?」
「何処に出るかは、わからない?」
「どうしたらいい?」
「だが、このままでは。」
不安だけが広がっていく。
「どうせ死ぬんだ。それなら、家族の所で。」
魔物の祝福を受けた兵が、門に入っていた。
その場にいた全員が、円の外側を見る。悲鳴も聞こえない。魔物たちも動かない。
残りの者たちも恐る恐る門に入っていく。
その場に残っているのは、たったの三人だけとなった。
「ハイルド、門に入りなさい。」
疲れた表情の王妃が、ハイルドの側に来ていた。
「レーライトが言った通り、貴方は生き残らなければなりません。」
ハイルドは、顔をしかめた。
何故、自分が生き残らなければならないのかが、わからない。知ろうとしなかったコトは、それほどまでの罪なのか?いや、確かに罪だ。″守人″のことを正しく知っていたら、こんなコトにならなかったのだから。
「貴方は、父親になるのでしょう。妻と子を守る義務があります。」
優しく諭す言葉にハイルドは、ハッとする。
母国に送り帰した妻のお腹は、今は大きくせり出しているはずだ。
「ハイルド、これは命令です。妻子と共に生きなさい。」
王妃の威厳のある言葉の中に温もりを感じる。
「そこの者は、それを見届けなさい。二人とも死ぬことは許しません。」
ハイルドの後ろに控えるテナヤは、跪いて諾を答えている。
「妃殿下も・・・。」
「私も王太子妃を惑わせました。レーライトも陛下と同じだと。公務と称して女といると。忙しいというのは嘘だと。レーライトに大切にされているのが許せなかったのです。」
一緒にと続けたかったハイルドの言葉を王妃が遮り、言葉を続ける。
「私も罰は、受けなければなりません。」
王妃がフッと顔を緩ませた。その笑顔は、いつもの作り笑いではなく、温かい慈愛に満ちたものだった。
「それに私の家族は、ここにいるのですよ。夫も息子も嫁も孫も全員。」
ハイルドは、王妃に深く頭を下げることしか出来なかった。
彼女の家族を誰一人助けることができなかった。
「生きなさい。」
頭を下げて王妃の隣を通りすぎるとき、ハイルドは、囁くような声を拾った。
一度くらいは、息子に母親らしいことをしてあげないと。
ハイルドが聞いた王妃の最後の言葉だった。
門の中は、不思議な空間だった。
真っ白な空間。靄や霧でもなくただ白い。冷たい感じもなく暑くもない。ただ、自分の足さえも見えないほど白い。まるで空気に白い色をつけたようだ。
手を伸ばしても、何かが触れるわけでもなく、広いのか狭いのかさえもわからない。
音も全く聞こえない。硬い石畳のようなところを歩いている感触があるのに歩く音さえしない。
「テナヤ、何処に続いているのだろうな?」
ハイルドのすぐ後ろを歩いているはずのテナヤに話しかけた。
返事はなく、振り向くが白い色しか目に映らない。
はぐれたのか?
慌てて回りを見渡すが、同じ白が広がっているだけだ。右も左も歩いてきた方向さえわからない。
「だ、だれか、だれかおらぬか!」
急に現れたのは、国王だった。
「ハ、ハイルド。はよう我を守らぬか!」
つい先ほど、魔物たちに殺されたはずの国王は、肩で息をして、その背後をしきりに気にしている。
「陛下、どうされましたか?」
とっさに声をかけたハイルドは、内心は混乱していた。
国王は本物なのか?この場所が見せる幻?そもそも門の中は安全なのか?
「おんなが、女たちが追いかけてくるのじゃ。」
ハイルドが回りを見渡すが、白い空間があるだけだ。
「誰もいませんが。」
腰にある剣に手をかけながら、答える。
「あやつらは、処分されたはずじゃ。我の寵を一時でも得たのじゃ。その栄誉に比べれば、命など惜しくないはずじゃ。」
体を震わせながら漏らす言葉にハイルドは、顔を歪める。
斬ってしまおうか?そんな思いが溢れる。
こんな男が王座についていたのだ。こんな男を王座に座らせ続けていた。
怒りと絶望に心が染まる。
こんなコトになって、当たり前だったのだと。
「うわぁー、来るな!」
国王は、急に駆け出し、すぐに姿が見えなくなった。
ハイルドは、国王が消えたほうを見たが、首を横に振り国王が走り去った方向とは、反対の方向に足を向けた。
「ぎゃー!」
聞いたことのある悲鳴が国王が消えたほうから聞こえた。
ハイルドは、足を進めた。止まっていても何もかわらない。
もしかしたら同じ場所をぐるぐる回っているだけかもしれない。
それでもハイルドは、足を止めることができなかった。
テナヤを見付けたかった。向こうも探しているはずだ。
それともテナヤは、無事出られたのだろうか?
誰かとぶつかりそうになる。
テナヤか?
「失礼しました。エルヴィス公爵さま。」
それは、妻子の所に行くと言った兵だった。
「門をくぐったばかりで、わからないのですが、どう行けばいいのでしょう?」
不安そうに聞いてくるが、彼はハイルドよりずいぶん先に門に入ったはずだ。
「いや、私にもわからない。どう歩いてきたのさえ。」
戸惑いながら答えるが、急に兵は嬉しそうに顔を上げた。
「さっき、妻の声が聞こえました!」
ハイルドには、何も聞こえなかった。彼の声以外、何も。
「こちらからです。エルヴィス公爵さま失礼します。」
兵は、ハイルドが引き留める間もなく、白い空間に消えていく。
「お父さん!」
遠くで嬉しそうな子供の声がしたような気がした。
不思議なことが起こっている。
ハイルドが門に入ったのは、最後だったはずだ。
一番に門に入った国王に会い、二番目に入った兵に会った。
この場所の時間が狂っている?
そう考えなければ納得がいかない。
「エルヴィス公爵さま、お助けください。」
男が跪ずいて、ハイルドに許しを乞うている。
その男は、ローヒカ伯とよく一緒にいた者だった。爵位は男爵で没落寸前だったのが、ここ数年で持ち直したと聞いている。
「私は、罪を犯しました。」
震える声で男は、罪を吐く。
「ローヒカ伯に唆され、″守人″を汚しました。」
ハイルドは、男の胸座を掴みあげていた。
「汚した、だと!!」
「は、はい。媚薬を飲ませ、奥に行く兵たちに抱かせました。」
ハイルドは、男を投げ捨てた。
吐き気がする。
沈黙の森の奥に行くため、無理矢理″守人″の加護を受け取るその行為事態に。
欲のために己の自由を奪われ、意に沿わない行為を受け続けた″守人″の恐怖は、どれだけ深いのだろう。
「わ、我が領土は、五年前のシカの魔物の被害に遭い、ままならぬ状態でした。奥で取れる薬草は、とても高値で・・・。」
咳き込みながらもハイルドの恩情を得たい男は、言い訳を続ける。
「貴殿には、同じ年頃の娘子がいたな。同じ目に遭わせても領土のためだと受け入れられるのか?」
所詮、血の繋がらない娘にすることだから、出来ることだ。
「!!」
男は、眉を寄せて黙りこむ。
「それにこの国では、陵辱は、禁止されている。」
ハイルドは、そう言いながらも頭に浮かぶのは、国王のことだ。
あの愚かな王の臣らしいと笑いたくなる。
「レーライト、王太子殿下は、ご存知だったのか?」
「兵たちが森に入る時に″守人″に会いにおみえになったことがありました。ローヒカ伯が魔物討伐のためだと。″守人″は、大人数に加護を与えたため疲れていて会えないと言い繕いました。その後、何度もおみえになっていた・・・。」
男の体が不自然に揺れる。その胸から、銀色に光る鋼が出ていた。
「無駄なお喋りは、終わりにしていただきましょう。マハタナ男爵さま。」
「!・・・ローヒカ伯。」
ハイルドは、剣に手を置いた。
「ったく、計画が無茶苦茶ですよ。ここからは出られないし。」
剣を引き抜くとローヒカ伯は、剣を鞘に戻し、お手上げといいたそうに両手を上げた。
マハタナ男爵と呼ばれた男は、あっという間に白い空間に呑まれて見えなくなった。
「アルフィードは、死んでしまうし。王子であり″守人″である者の伯父という地位に付けるはずだったのに。」
血走った目をして歪んだ笑みを浮かべて呟く姿に、ハイルドは背筋が寒くなる。
「王太子が自分の息子にまで、祝福を与えるとは。」
ふうと大きく息を吐きながら、ローヒカ伯は、ボサボサになった髪をかきあげた。体を揺らしながら、何かぶつぶつ呟いる。
「お前か、全ての元凶は。」
ハイルドは、キッとローヒカ伯を睨み付けた。
「私が元凶?″守人″のことをちゃんと理解していなかった愚かな王家の責任でしょう。」
ローヒカ伯は、血走った目を細め、ハイルドを見下す。
「お前が、レーライトとアリミアが通じていると、嘘を王太子妃に吹き込んだのだろう!!だから、子が出来たと。」
「あ、そのことですか?」
ローヒカ伯は、虚を突かれた顔をして、すぐに可笑しそうに笑った。
「確かに思いあってましたよ。肉体関係は無かったようですけど。」
頻繁に会いに来ていると聞いて、どう考えるかは本人次第でしょう?
私のせいではないと笑うローヒカ伯に、ハイルドは悲しげに眉を寄せた。
「だから、王太子妃は、強い嫉妬からガゥダを生み出してしまった。″守人″であるアリミアと加護を受けているレーライトには、祝福が効かない。だから、アリミアと同じ赤を持つアルフィードが祝福された。」
ローヒカ伯の笑い声が止まった。血走った目を大きく開き、ハイルドを凝視する。
「バカな、何故、ミューミアがそんなことを。アルフィードが死んだら、元も子もないのに?」
「レーライトがアルフィードを大切にしているのは、″守人″となる赤色が入った目をしているからだと思い込んだからだ。
王太子妃は、″守人″に繋がる全てを憎んだ。
ガゥダが、アルフィードの腹から出てきたのがその証拠だ。」
魔物が人の体から出てくるコトがあるのは、魔物を生み出した者か、祝福を受けた者だけだ。
まだ幼いアルフィードが、ガゥダを生み出すほどの負の心を持っているようには思えない。
「まさか・・?ミューミアは、それほどまて王太子を?」
誤字脱字報告、ありがとうございます