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「よく見てほしい。中指に葉を模した指輪をしていないかい?」
ハイルドは、ただレーライトを見ていた。
全てが信じられなかった。今、実際に見えていることさえ信じることが出来なかった。
「ハイルドさま!」
テナヤの声にぎこちなくハイルドは、体を動かした。
テナヤの手の平に乗っている手を見る。
レーライトの言う通り中指に金色の指輪がはまっていた。模様は、擦りきれて消えかかっているが、葉といわれるとそう見える。
ハイルドは、手を見て驚愕した。
「レーライトさま、指輪が有りますが、擦りきれて模様ははっきりとわかりません。紫と赤い石がついています。」
テナヤは、手をひっくり返し指輪の模様を確認していた。
「それは、王太子妃殿下の手だ!早く返せ。」
ローヒカ伯が右腕を押さえながら、怒鳴っていた。
ハイルドは、手を甲の方に向けそこにある痣を凝視した。
「アリミア?この手は、アリミアの?」
「違う!王太子妃殿下のだ!王家の紫、ミューミアの髪の赤、王太子殿下から王太子妃に贈られた指輪だ。」
ローヒカ伯が、必死に弁明するか、ハイルドは、首を横に振った。
「いや、アリミアのだ。中指の付け根に花のような痣があって、父が指輪を贈るなら、その痣にあったものをと言っていたのを覚えている。」
ハイルドは、小さなアリミアの左手を取って、父が珍しい痣だと言っていたのを覚えていた。そんな指輪、誰か作るか!と思ったのを。
だが、ミューミアがつけていた手袋の中から、その手が出てきたのかがわからない。
「ミューミアにもその痣があって・・・。」
ローヒカ伯が叫ぶように言い繕うが、ハイルドは、はっきりと言いきった。
「父は、初めて見たと。王太子妃殿下にそんな痣があるとは、噂でも聞いたことがない。」
そもそもミューミアが、手袋をし始めたのは、沈黙の森の外れでレーライトを助けた後からだった。魔物の毒で手が醜く爛れたということで。
クスクス笑いながら、レーライトが口を挟む。
「″守人″は、声にも力を持つ。声が出ない″守人″のことを聖女の神殿に連絡したら、イハスナ国の紫、″守人″の赤の石が付いた指輪が送られてきてね、この国の″守人″に贈ったのだよ。」
「えっ?」
今まで沈黙を守っていたミューミアが、声をあげた。
「利き手ではない手の中指につけるように書かれていてね。″守人″であるアリミアの指につけさせていただいた。″守人″とこの国に祝福があるように願って。」
その時のことを思い出すように目を細めてレーライトは、呟いていた。
「さあ、時間も少なくなってきた。」
レーライトは、ゆっくりと光輝く″守人″の魂に手を伸ばした。
双頭のウマが、それを見守っている。
「レーライト、何をする?」
ハイルドが、声をかけた。
不浄の沼から、沢山の魔物が顔を出している。魔物たちがこちらに向かってニィと笑っているように見えた。
「アリミア、もういいよ。」
レーライトは、両手でそっとその魂を包み込んだ。
「一緒に眠ろう。」
今にも泣き出しそうな笑顔を浮かべて、レーライトはその魂を胸に抱いた。
パンと澄んだ音がして、不浄の沼を包んでいた膜が消えていた。
炎が舞う。リアードが首を一振りし、不浄の沼の上に這い出していた魔物たちを丸焦げにする。
不浄の沼の回りにいた魔物が氷付けになる。リリアの冷気だ。
「魔方陣の発動に必要なのは、″守人″の力の消滅、力を失った″守人″、不浄の沼、新月の月が空の中央にある時。」
レーライトは、労うように片手で、ウマの首を順番に撫でている。
「レ、レーライト、我は、我らは、大丈夫なのだな?」
国王は、怯えた声でレーライトに問う。
「国王陛下、いや、父上。あなたが″守人″の処刑を命じたのは、コレでしょう。」
レーライトは、リアードの炎を逃れたウサギの魔物、リュートを掴むと、国王のほうに投げた。
「ソレは、あなたから生まれたリュートです。」
国王の膝に乗ったリュートは、生れたてのためかまだ動きが遅い。
「リュートは、強い性慾から生まれやすい魔物。王太子妃に手を出せないあなたは、よく似た容姿の″守人″のことを知った。″守人″にリュートやガゥダことを言われたあなたは、激高し処刑を命じた。」
魔物の祝福を受けてからも相手の気持ちなど考えずにお盛んでしたからね。
レーライトの冷たい眼差しを受けた国王は、ビクリと肩を竦めたが、すぐに肩を怒らせる。
「誰に申しておる。我がこんな魔物を生み出したと戯れ言を!
それに我に望まれるのは、最高の誉であろう!!」
膝に乗ったリュートを払い落とすコトも出来ず、国王は声だけを張り上げた。
「父上に忘れられた女たちがどうなるのかご存知ですか?要らぬ争いの種にならぬようどう処理されているのか?」
レーライトの口角が嘲笑うように上がる。
「殺されることがわかっているのに誉だと。だから、ガゥダやチェカサが減らないのですよ。」
ガゥダは憎悪や嫉妬から生まれやすいネズミのような魔物。その思いが強いとネコのような魔物チェカサになる。
国王は、我のせいでなないと叫ぶが、膝の上のリュートが身動ぎするとその体を硬直させた。
「レーライトさま。」
今にも消えそうな声でミューミアが呼びかけるが、レーライトは答えなかった。
「″守人″は、子を授かりにくい。子が授かれば、守るために″守人″の力は強くなる。魔物の力が強くなったり数が増えることはない。」
レーライトの口元には笑みが浮かんだままだったが、その声は怒りに満ちていた。
「では、お腹の子は・・・。」
「アリミアは、子を宿していたのか!?」
ミューミアは息を飲み、ハイルドはその事実に驚いた。
「沈黙の森は、不浄の沼をこの場所に封じ込めるためにある。だから、この森には、魔物が多くいる。
森の奥には、希少な薬草や鉱物があってね。しかし、森の奥に行けば行くほど、魔物が多くなり、″守人″かその加護を受けた者しか入ることができない。それを採取して財をなしている者たちがいるのだよ。その者たちは、どうやって″守人″の加護を得たのだろうね。」
ミューミアの視線が、すぐ側にいた兄のローヒカ伯に移る。
その目は、大きく見開かれ、信じられないと語っていた。
「二年前くらいに魔物の力が強くなったのを感じた。″守人″に何か遭ったのかと思い訪ねたが、会ってもらえなかった。そうこうしている内に″守人″の力が明らかに弱くなった。
私では、会ってもらえぬので、従姉妹であるミューミアに会いに行ってもらった。」
それが間違いだった・・・。
レーライトを慰めるようにリアードとリリアがその頬に顔を寄せている。
「殿下のお子ではなかったのですね。」
ミューミアは、全てが終わってしまったかのように諦めた声で静かに言った。
「私は、あなたを選んだ時に、王太子妃として、未来の王妃としての責務を負わせてしまったあなたに誠実でいると誓い、それを守ってきた。」
レーライトは、笑みを消し、絞り出したような声で言った。
「私は、あの子に嫉妬し、あの子と同じ赤を持つアルフィードを憎み・・・。いえ、何よりも殿下を信じられなかった・・・。」
ミューミアの目から涙が零れ落ちる。それと同時にその体も地面に崩れ落ち、座り込む。
「レーライト、お前は、何をしようとしている?」
ハイルドは、声を震わせた。レーライトの行動が信じられなかった。まるで断罪するためにここに集めたように思えてくる。
「魔方陣の発動だよ。不浄の沼の時が止まるのと聖女の神殿に通じる門が出現するらしい。」
何を言い出すのだい?と可笑しそうにレーライトは、クスクス笑って答えた。
その言葉に歓喜の声が上がる。勇者とともに魔王を倒した歴代の聖女たちを祀る神殿。そこには、魔物はいない。魔物の祝福を消す手段もあるかもしれない。
「だが、魔方陣は、本来次期″守人″候補を逃がすためのもののようだ。門を通るには、資格があるかもしれない。」
それは、通れない者がいるかもしれないと言っていた。
「魔方陣を発動させるには、もう一つ必要なものがある。」
レーライトは、ウマの片方の頭に何かを囁いた。どちらの頭もその言葉を嫌がるように小さく頭を振っている。
諦めたようにウマの片方が、不浄の沼のほうに冷気を吹いた。宙に浮く不浄の沼に繋がる階段が出来上がる。
「この国の王家の血を引き、この国を思う者。」
ウマの首を愛しそうに抱き締め、レーライトはゆっくりと氷の階段に向かった。
「レーライト、国王でいいじゃないか!」
レーライトの意志を知って、ハイルドは側に行こうとした。が、その体をテナヤが、必死に引き止める。
「父上は、国のコトなど考えていない。それにハイルド、君が贄になるのは、許さない。」
冷たい声だった。さからうことを許さない強い言葉。
「君は、罰を受けなければならない。知ることが出来たのに知ろうとしなかったコトの。何をしても生きるという罰を。」
レーライトが、階段を上る。
「それにアリミアは″守人″として、私は王に成る者として、この国を守ることを誓いあった。アリミアは、その魂をも使って、この国を守ろうとした。私も誓いを守りたい。」
ウマが鼻を鳴らす。それは、これから起こることを悲しんでいるように聞こえた。
「リアード、リリア、お前たちに会えて良かった。あとを頼むよ。」
振り返ってウマに微笑むとレーライトは、金色の魂を胸の前で握りしめながら、ゆっくりと不浄の沼に入っていった。
ウマは、レーライトの体が完全に不浄の沼に消えると、大きく嘶いた。
雷鳴が轟き、突風が吹き荒れた。
国王の膝に乗っていたリュートも転げ落ち、風で飛ばされていく。
ウマは、体を大きく震わせ、その背に黒い翼を出し、大きな音を立てて、宙に浮く。
「レーライト?」
ハイルドが呼びかけるが、答える声はない。
「何も起こらぬではないか!」
リュートがいなくなり、国王が吠えた。
「レーライトは、愛国心などもってなかったのじゃ。」
何も起こらないことに腹を立て、国王が悪態をつく。
金色の光がハイルドとテナヤの側から現れた。
″守人″の手が光っていた。
光の玉となり、弾け飛び、地面に大きな二重の円を描く。円はさらに大きくなり、円の中に見たこともない文字や絵が表れる。
ハイルドは、不浄の沼を見た。
表面の盛り上がった泡も弾けた泡も、そのまま動きを止めている。
円の中心に白く靄のような大きな固まりが出来ていた。
「あれが、門です。通れるかどうかは、わかりませんが、助かりたいと願う方はどうぞ。」
ミューミアは、嗚咽を堪えながら立ち上がると、不浄の沼のほうへ歩く。
「ミューミア、何処へ?」
ローヒカ伯が呼び止めるが、その歩みが止まることはない。
「夫と子がここにいるのです。妻であり、母である私がここを去ることは出来ません。」
アルフィードの氷の棺の前にしゃがみこみ、右手を伸ばし愛しそうに撫でる。
「ごめんなさい、痛い思いをさせましたね。
けれど、お母さまは、これからも一緒にいますからね。」
慈愛の籠った目でアルフィードを見ていたかと思うと、護身用の短剣を取り出し、その胸を一突きした。
「王太子妃殿下!」
ハイルドが駆け寄った。テナヤも主の後を追う。
傷は深いが、早く医療院で手当てをすれば助かりそうだった。
だが、医療院は遠く、運んでいる間に息を引き取るのがみえていた。
「私は、罪人です。愚かで欲深い兄を信じ、あの子とレーライトさまを信じられなかった。あの子に嫉妬し、ガゥダを生み出し、アルフィードを通して、レーライトさまを殺そうとした。」
ハイルドは、死に逝く者の懺悔を止めることが出来なかった。
「あの子が父親の名を言えぬのは、レーライトさまのお子だからと邪推して。私のために兄の罪を黙っていただけなのに。」
よく考えればわかることなのに。
ミューミアは、涙を流して、アリミアとレーライトに謝っていた。
「ハイルドさま、聞いて下さってありがとうございます。
門にお入りください。どんなモノを見ようとも思いが強ければ、会いたい人がいるのなら、大丈夫だと聞いております。」
ミューミアは、儚く笑うと、震える手で門を指差した。
ひんやりとした冷気がすぐ側でした。
アルフィードの棺の隣に氷の壁が出来ていた。大人一人が座って凭れるのにはちょうどいい、少し傾斜のある壁が。
「リリア、ありがとう。私が信じていたら、あなたたちの育ての親に、いいえ、あの方は二人目を望んでみえましたから、どちらかが・・・。」
ミューミアは、濡れた目でウマを見上げて、もう終わってしまったことと首を小さく振った。
ハイルドは、そっと氷の壁にミューミアを凭れさせた。
「ハイルドさま、この国を守り、導きください。あの方の代わりに。」
ミューミアは、アルフィードを愛しそうに見つめ、その目をゆっくり閉じた。真っ赤になったミューミアの胸元にハイルドは、己のマントをかけ、顔を歪める。
「私には、その資格があるのだろうか?」