7
″守人″の家があった場所に、数十人が集まっていた。
焼け跡は、無残で、誰も目を向けようとしない。
ほとんどの者が、恐怖で疲れきった顔をしていた。
双頭のウマは、立ち上り、今にも駆け出しそうにしている。解放される時を今かと待っているようだった。
「これが、双頭のウマ!」
「まるで魔馬では、ないか!」
「勝てるはずがない。」
悲痛な声を上げて、祝福を受けた者たちが座り込む。
魔方陣というものがうまくいかなければ死しか待っていない。
そんな恐ろしい未来に彼等は、身を震わせていた。
「祝福を受けていない者たちは、早くここを去るように。」
後方、沈黙の森の入り口に立ち、レーライトは、静かに告げた。腰に下げた剣をいつでも抜ける体制だ。
ハイルドとテナヤもその近くで、祝福を受けた者が逃げないように見張っている。
「行くではない!」
「我らを見捨てるのか!」
貴族たちが、自分達の従者たちに止まるように命令しているが、レーライトの部下たちが、その者たちを森の外に停まっている馬車に誘導している。
祝福を受けていない者たちが、躊躇いながら、乗り込んでいく。ほとんどが、主である貴族に無理やり同行させられた者たちだ。主たちに義理があるわけではない。躊躇うのは、主たちが戻ったときにどんな叱責を受けるか恐れているだけ。
「大丈夫だ。君たちは、私の命に従っただけ。彼らとその家族が君たちを罰することは、出来ない。もし、そんなことをされたら、ヤカタハ侯爵に言うといいよ。」
レーライトは、躊躇う者たちにはっきりと告げる。心配などしなくていいと。
「レーライトさま、我らは!」
レーライトの部下が、縋るように主君を見ていた。
「君たちは、私の代わりに大事な民の護衛を頼む。彼らが何もされないように。私は、アレを止める責任がある。」
「レーライトさま!!」
悲痛な声を上げて、主君の名前を呼ぶ。レーライトは、苦笑して、無理だと首を横に振るだけだ。
ハイルドは、レーライトを逃がしたかった。
レーライトこそ、この国の王に相応しい。こんな危ないところにいてほしくない。だが、実力行使に出れば、レーライトの剣がこの身に襲いかかるのが、わかっていた。
「その者たちを盾にすれば、いいじゃないか。」
豪華な椅子の上に震えながら座っている国王が言った。怖くて堪らないのにその場にいるのは、助かりたいからだ。
「ハイルドとテナヤも早く。」
レーライトの言葉にハイルドは、首を横に振る。思いは有り難いが、ハイルドには、頷けない。
「テナヤ、お前は行け!」
テナヤもハイルドと離れる気はない。首を横に振り、ハイルドの側に控えている。
「レーライトさま。」
双頭のウマが、嘶いた。雷鳴が轟き、突風が吹き荒れる。
レーライトの従者たちだけが、風で森の外に出された。顔を上げると沈黙の森の入り口が風で閉ざされている。
「私は、アレを生み出した責任があるのだよ。早く行きなさい。」
森の外にいた者たちだけにその声は、聞こえた。
「二人とも強情だね。もう逃げれないよ。」
レーライトは、ふわりと笑うと不浄の沼のほうに歩きだした。
こんな時でも笑えるレーライトは、凄いと思いながら、ハイルドは、その後に続く。
「レーライト、早くしないか!」
体をブルブル震わせている国王の姿に、ハイルドは出てきそうになるため息を押し殺した。
「陛下、まだ時が満ちていないようです。」
レーライトは、目を細めて、″守人″の魂を眩しそうに見つめている。
″守人″の魂は、真珠ほどの大きさになっていた。その金色の光だけは、最初と同じように衰えていない。
「あとどれくらいなのだ?」
ウマが動く度に、国王は、びくりと肩を震わせている。椅子を握る手も血の気を失い、白くなっている。
「ちちうえ!」
可愛らしい声が、レーライトを呼ぶ。小さな影がレーライトに近づいた。レーライトの息子、アルフィードだ。
「ちちうえ。」
不浄の沼を包む膜の前に立ち、アルフィードは、惚れ惚れとウマを見つめている。
「すごく綺麗ですね。本当に魔物なのですか?」
アルフィードの赤紫の目は、ウマに釘付けだ。
レーライトは、息子の頭を撫でながら、同じようにウマを見つめた。
「そうだよ。残念なことに魔物なんだ。普通のウマならば、立派な軍馬になっただろうに。」
ウマがゆっくりとレーライトたちのほうに近づいてきた。
それを見た者たちは、恐怖で身を竦めている。
「殿下、アルフィードさま、危ない!」
声が上がる。早く逃げるように。
ハイルドも剣に手を置き、もしもに備えて構えていた。
レーライトは、アルフィードがウマが見やすいように抱き上げていた。
レーライトは、″守人″の封印があるから、大丈夫だというように平然と息子と近付いてくるウマを見ていた。
その時、ハイルドは、動けなかった。
いきなりレーライトの顔の側から、細長い棒のようなものが突き出たと思うと、その棒は、ウマの片方の頭に咥えられ、何かが宙吊りにされている。
ウマのもう片方の頭がアルフィードの襟を咥え、レーライトから
引き離していた。アルフィードのお腹には、大きな穴が開いており、赤い血が大量に流れ落ちていた。
「アルフィード!!」
レーライトの悲痛な叫び声を誰も聞いていなかった。
その場にいた者は、ウマが首だけでも″守人″の封印の外に出てきた恐怖に捕らわれていた。
「ガゥダ。」
ハイルドは、ウマが咥えた魔物を見た。アルフィードのお腹から出てきたソレは、ネズミくらいの大きさで、額に伸び縮みがする一本の角を持つ魔物だった。
ウマは、ガゥダを地面に叩きつけると容赦なく足で踏み潰している。その存在自体が許せないかのように、形も残らないくらいに。
ハイルドは、慌ててレーライトを見た。
レーライトの左頬には、一本の筋がついており、そこから、血が滲み出ていた。ガゥダの角がかすったのだろう。ウマが、アルフィードの体を咥え、レーライトから離さなければ、ガゥダの角は、レーライトの頭に突き刺さっていた。
誰かがレーライトを狙っていた。
ハイルドにとって、それは、許されないことだった。
この事態が無事にすめば、ハイルドは、どんな手を使ってでも現国王を退位させ、レーライトを即位させるつもりだ。
こんなところで、レーライトを失うわけにはいかなかった。
そのレーライトは、小さな体を抱き締め、肩を震わせている。
仲の良い親子だった。たとえ僅かでもレーライトは、息子との時間を大切にしていたのをハイルドは知っていた。
「ミューミア、君はそこまで・・・。」
自分の妻を見るレーライトの目には、強い怒りが宿っている。
ミューミアは、そんな夫の目を震えて受け止めていた。
「リア、まだダメだよ。」
ウマが甘えるように慰めるかのようにレーライトの頬に鼻をつけていた。
「ミューミア、左手の手袋を取ってくれるかい?それとも、信じていない夫の言うことは、もう聞けないのかい?」
ウマの顔を撫でながら、レーライトは、傷ついたように言った。
ミューミアは、何かに耐えるように首を横に振っている。
「レーライトさま、ウマが・・・。」
誰かが訊いた。
ウマは、完全に″守人″の封印から、その体を全て出して、レーライトに頭を擦り付けている。
「この子は、リアというんだ。男の子ならリアード、女の子ならリリア、生まれてくるアリミアの子供につける名前だった。私の思いから、生まれた子だよ。」
ああ、だから双頭て生まれたのか。
レーライトは、愛しそうにウマを見つめ、自分の言葉に納得していた。
「リアードとリリアなのだね。」
双頭のウマは、嬉しそうに小さく嘶いた。
「レーライト・・・。」
ハイルドは、言葉を探していた。
何がどうなっているのかわからない。
けれど、確かにレーライトは、双頭のウマを生み出したと言っていた。
レーライトは、輝きを失ったアルフィードの目を閉じていた。
「そうだね。このままだと可哀想だ。」
マントでお腹の傷を隠し、地面にそっと寝かす。
「リリア、お願い出来るかい?」
レーライトは、片方のウマの首を撫でている。
リリアと呼ばれた首は、白く輝く息をアルフィードに吹きかけた。
アルフィードの体がみるみるうちに透明な何かに包まれていく。ひんやりとした空気がそこから流れてくる。
小さな氷の棺が出来上がった。
「今からのコトを思うと、この子には良かったのかもしれないね。母親に殺されたこともわからずに死ねたのだから。」
二つの首を優しく撫でながら、レーライトは、ポツリと言った。
「ミューミア、手袋を外すつもりは、無いようだね。」
レーライトは、左腕を押さえているミューミアを見た。その目は、何もかも見ているようで、何も見ていないようだった。
「テナヤ、ミューミアの左手を取ってくれないかな。ああ、肘から下を引っ張るだけて、簡単に取れるよ。」
レーライトが、ミューミアの近くにいたテナヤに命じた。
「王太子妃殿下に触れるな!」
直ぐ様、ローヒカ伯が、ミューミアとテナヤの間に手を伸ばし阻止しようとするが、それを止めたモノがいた。
伸ばされた手を赤い炎が包み込んでいた。
レーライトが、片方の首を撫でながら、少し困ったように言った。
「リアード、殺してはいけないよ。君の父親だったかもしれなかった男だ。」
父親殺しは、させたくないからね。
火ダルマになった右手を見て、ローヒカ伯は悲鳴をあげている。炎は、手首までの右手を焼き、フッと消えた。
「テナヤ、ハイルドといっしょに手袋の中にある手を見てくれるかい?」
動きを止め、固まっているテナヤにレーライトは、優しくけれど有無を言わせない強さで動けと命じる。
「王太子妃殿下、失礼を。」
テナヤは、ミューミアの左腕を掴んだ。ちょうど、手首から少し上の部分を。
くしゃりとそれは、潰れた。まるで中身が入っていないかのように。肘上、二の腕を半分くらいまで覆っていた長い手袋は、テナヤの掴んだところであり得ない角度で折れ曲がっている。
テナヤは、手袋を掴んだ手を引き寄せた。何の抵抗もなく、手袋だけテナヤの方に来る。黒い粉が手袋から、零れ一瞬で消えていく。
「やめろー!」
叫ぶローヒカ伯が、取り替えそうとテナヤに近付くが、その足元に炎が踊る。
「ローヒカ伯、その左手に何故そんなに拘るのかい?
リアード、リリア、あの左手は、君たちにも大切なモノだけど、危険なモノでもあるから、我慢しておくれ。」
レーライトは、ウマの体を撫でながら、優しく言い聞かしていた。
テナヤは、戸惑いながらもハイルドの側に行き、中身を傷つけないようにナイフで手袋を裂いていく。
出てきたのは、手首から下の左手だった。ほっそりした女性の手。だが、貴族の女性らしくなく肌が荒れていた。
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