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ハイルドは、夜明けの日を浴びながら、隣国の道を進む馬車を見送った。
レーライトとの話を終えたハイルドは、急いで自宅に戻り、妻に準備させ、夜通し馬車を走らせた。
幸いにも国境には、聖視眼を持つ者がいた。魔物の祝福を受けた者がどうか見分けられる不思議な目、聖視眼を持つ者は、希少で優遇されていた。そうハイルドの国でも。
妻と従者たちに魔物の祝福を受けた者たちは、いなかった。せっかく逃がしても中に祝福を受けた者がいたら、最悪な事態になる。
ハイルドは、ほっとした思いで馬車を見送った。
受け入れを許可された馬車は、ハイルドから、遠ざかっていく。
ハイルドは、馬の首を優しく撫でた。無理をさせているのは、わかっている。だが、急いで戻らなくてはならない。
「王宮まで、頑張ってくれるか?」
王宮に向かって、馬を走らせた。議会に少し遅刻ぐらいで着けるはずだ。
レーライトは、飛び交う罵声を聞いていた。
国王の席は、空席だ。体調が優れないという理由で。
他の場所もちらほら空席がある。逃げ出したのか、それとも・・・。
「エルヴィス公爵は、どうされたのですか!もしや一人、逃げ出したとか。」
声を荒たげているのは、額に祝福を受けた貴族の一人だ。
「そもそもハイルドも″守人″の討伐に行かれたのだ。祝福を受けているはずだ。」
レーライトは、ゆっくりと口を開いた。
「ハイルド、エルヴィス公爵には、祝福は、ありませんでした。聖視眼に確認させました。」
議場が、静かになる。
マイナルは、王宮仕えの聖視眼を持ちだ。
「ばかな。エルヴィス公爵が指揮を取られて、″守人″は、亡くなられたのですぞ。」
信じられない、と声があがる。
「エルヴィス公爵は、″守人″だからではなく、命じられた仕事を行ったからでしょう。」
レーライトが言ったことの意味がわからず、首を傾げる者たちが多い。
「殿下、よろしいでしょうか。」
列席を許された兵が、手を上げた。その額には、祝福はない。自ら望んで王宮に残ったハイルドの部下だ。名は、テナヤという。
レーライトは、頷いて、発言を許す。
「エルヴィス公爵さまは、何度も″守人″に家の外に出てくるように仰られてました。外に出て来ないのなら、応えるようにとも。公爵さまが、″守人″の家に向かわれようともなされました。
ローヒカ伯さまが、話しはすまれていると、火を点けられて・・・。」
「その者は、エルヴィス公爵の部下です。公爵が有利になる発言をしているのです。」
ローヒカ伯が立ち上り、兵を指差した。
「ローヒカ伯、発言を許したか?それに″守人″が、声が出せないことをエルヴィス公爵に教えたのか?」
レーライトは、ジロリとローヒカ伯を睨みつけた。
ローヒカ伯は、ギクリと顔をひきつらせている。
「″守人″アリミアは、文字は、読めたが、書けなかったはずだ。ローヒカ伯、アリミアとどう話し合いをされた?そもそもアリミアは、何の罪で処刑されなければならなかったのか?裁判もせずに?」
ローヒカ伯は、言葉に詰まっている。まともに話がされていたのか疑問があがる。
「レーライト、遅れた!」
ハイルドは、議場に飛び込んだ。
「ハイルド、なぜ?」
レーライトが、戸惑いを隠せない表情で立ち上がった。
「今回の件は、俺、いや、私にも責任がある。逃げるわけにはいかない。」
視線を浴びながら、ハイルドは、自分の席に向かう。
「まず色々と説明したいのだが、いいかな?」
苦笑いを浮かべてレーライトに問うハイルドに、馬鹿だと言いたげにレーライトは、顔を歪ませて頷いた。
「妻を国境まで送ってきた。付けた部下たちは、妻を送り届けた後は、勇者を探すように命じてある。」
「陛下の許可を取られたのか!」
「自分の家族だけ逃がされたのか!」
「逃げれた者たちが、勇者を探すなどするわけがないであろう!」
次々と批判の声があがる。
「私が、許可をした。エルヴィス公爵の奥方は、今、懐妊されている。
我が王家にも″守人″の血が流れている。昔、他国に嫁いだ姫が、″守人″を出産された記録があった。」
レーライトの言葉に沈黙が訪れ、歓喜の声があがる。
ハイルドも初めて聞く話だった。だか、それを顔に出せない。
それが嘘だったとしても、逃がした大義名分となる。
「では、エルヴィス公爵のお子様が・・・。」
安堵の息を吐く者がいるが、レーライトは冷たく現実を突きつける。
「可能性があるだけだ。証があるかは、生まれなければわからない。だが、可能性を潰すことをしたくなかった。公爵には、″守人″が生まれるまで、子作りに精を出して欲しかったのだがな。」
レーライトの言葉に回りの者たちが、微妙な表情する。逃げ出したいのは、皆同じなのだ。理由があるとはいえ、責任ある高位貴族の国外脱出は、許せない。
それにその条件は、王太子のレーライトにも、好色の国王にも当てはまってしまう。国王は、祝福を受けたので、国から出られないが。
「無事生まれたら、その子、孫に期待ができるだろう。」
この国を離れる気がないハイルドは、そう言うしかなかった。
「殿下、証とは?」
貴族の問いにレーライトは、ゆっくり答えた。
「瞳に赤が、入っていることだ。アルフィードが赤紫だが、祝福を受けてしまい、資格を失った。それから、″守人″としての力が安定するのは、10歳くらいからのようだが。」
議場が再び沈黙に包まれる。
次期″守人″は、誕生していた。王家の血の中に。あと数年待てば、その役割を担える者がいたことに。そして、その可能性を潰してしまっていたことに。
「王子の祝福を消すことができたら。」
「魔物を特定して、倒せば・・・。」
「生み出した者を見つけ出し処刑すれば。」
「それだと魔物がしばらく残る。魔物を倒すほうが先だ。」
「だが、その者が、また魔物を生み出したら?」
生まれるかどうか分からない″守人″を待つよりは、資格を復活させることが確実だ。
「確かに祝福をした魔物を倒せば祝福は、消える。だが・・・。」
レーライトは、ハイルドを見た。
「あの魔物は、何十人?何百人?犠牲がでるかわからない。」
ハイルドは、あの時見た魔物を思い出して、背中に冷たいものが流れたのを感じた。
″守人″の家を焼き付くした炎は、やっと静かになった。
「おい!」
「これは・・・。」
焼け跡から″守人″の死体を見付けた兵からは、驚きの声が上がっていた。
焼け跡から運び出された″守人″の死体は、まるで眠っているようだった。
髪一本、服さえも焼けておらず、その身体は、無傷で煤などで汚れてもいなかった。
だが、その胸は動いておらず、その顔は土色に染まっていた。
「・・・。」
ハイルドは、その綺麗な遺体を見つめた。
15年ぶりに見た元婚約者の髪は、やっぱり綺麗な赤褐色をしていた。
『よくも・・・。』
背中にビリビリとする殺気を感じて、ハイルドは、振り返った。
沈黙の森の開けた場所に不思議なモノが浮いていた。
赤黒い不気味な感じのするもの。
ハイルドの腰くらいの高さにあり、馬車くらいの長さで林檎くらいの厚みがあった。
その表面は、泡立っていた。粘り気のある赤黒いモノが、ボコッと泡立っては消えていく。見ているだけで、肌が粟立ってくる。
「″不浄の沼″か?」
レーライトの声にも、隠せない恐怖が感じられた。
ボコッと大きな泡が、弾けた。そこから、何か小さな黒いモノが飛び出した。それは、地面に落ちるとみるみる間にウサギくらいの大きさになった。
開いた目は、一瞬で紫から灰色の濁った色にかわる。
さっき退治したリュートだ。
まだ動けないようで、目をゆっくり開けたり閉じたりしている。
退治しなければいけないとわかっているのに、誰も動けなかった。
″不浄の沼″と呼ばれたモノから、目が離せない。
ボコッ、ボコッと大きな音が続く。
水面といっていいのか、赤黒い中から、何かがゆっくりと飛び出てくる。そして、赤黒いモノの上に立ち上がった。
それは、ウマだった。首が二つある双頭のウマ。リュートのようにウサギに似たものではなく、首が二つあるだけで、本物の馬とそっくりなモノ。その体は黒く光り、鬣は金色に光り輝いていた。そう金色、魔物では有り得ない色を持っていた。
『″守人″の死を望んだ者たちに祝福を!』
声なき声が響き、雷鳴が轟き、辺りを赤黒く照らした。
リュートが、こちらを見て、口を大きく開け、笑ったような気がした。
「!」
ちらりとハイルドの視界の隅で何かが動いた。
さっきまで、自失状態で座り込んでいたローヒカ伯が、操られているかようにふらふらと動いている。
そして、″守人″の身体を抱き上げると、″不浄の沼″に向かって歩き出した。
「ローヒカ伯、何を?」
レーライトが、声をかけるが、ローヒカ伯が応える様子は、ない。
「ローヒカ伯、止まるんだ。」
レーライトが、制止の声をかけるが、″不浄の沼″に向かってローヒカ伯は、歩いていく。
「とまれ!」
レーライトが動く。ハイルドも動いて、ローヒカ伯に飛び掛かろうとしたリュートを切った。
ローヒカ伯は、″不浄の沼″に″守人″の遺体を投げ込んだ。
キーン
「やめろ!!」
眩しい光りに包まれ、清んだ音と誰かの悲痛な叫び声が聞こえた。
″不浄の沼″は、何か膜のような球体に包まれていた。
双頭のウマが、不機嫌そうに足踏みをしている。出れないことに怒っているようだ。
″守人″の身体もその中にあり、金色の泡となって溶けていた。
その光景は、ハイルドに勇者が話したお伽噺を思い出させた。
『朝日を浴びて、人魚姫の身体は、泡となって消えてしまいました』
″守人″の身体は、消え去り、金色に輝く珠が残った。その珠からも金色の泡が出ている。
「アリミアの魂だよ。人は、死ぬと忘却の河を渡り、新しい生を得て、この世界に戻ってくる。彼女は、忘却の河を渡る魂で″不浄の沼″を封印したんだ。この魂が消えたら、封印も解け、彼女も完全にこの世界から消える。」
レーライトの声は、今にも泣き出しそうだった。