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王太子レーライトと従兄弟のエルヴィス公爵ハイルドは、イハスナ国の双璧と呼ばれていた。
智のレーライトと、武のハイルド。将来、この二人が治める国は、繁栄すると思われていた。だが、それは、夢物語となってしまった。この国は、今、滅びの道を進み始めた。
智のレーライトと云われているが、武術で決してハイルドに劣るわけではない。剣技に優れ、その実力は、ハイルドと肩を並べると言われている。
対して、ハイルドは、幼い頃から考えるよりも体を動かすほうが好きで、内務は苦手としているが。
二人は、素晴らしい容姿でも貴婦人たちの人気を二分していた。
二人とも美しい金色の髪をしているが、外にいることが多いハイルドの髪は日に焼けて、レーライトに比べるとくすんでいた。
二人とも王族の証といえる美しい紫の瞳を持っていた。大人になっても悪戯っ子のような輝きを持つ目をしているハイルドに貴婦人たちはときめき、レーライトの切れ長の少し冷たい瞳に酔いしれた。
スラリとしたレーライトの体型に対し、ハイルドは武人らしくがっしりした体型をしていた。
そのハイルドは、王宮に準備されている自室で汚れた体を綺麗にしていた。今から、王太子レーライトの私室を訪ねる予定だ。先触れは出して、了解も得ている。
鏡に写る己を見て、ハイルドは自嘲の笑みを浮かべた。
「今さら後悔しても遅いんだよ!」
ハイルドは、幼い頃は、我が儘な子供だった。王族という特権で何事も許されると思っていた甘やかされたどうしようもないガキだった。
武人だったハイルドの父に連れられ、騎士養成所に入所するとその考えは、改めざるを得なかった。
ハイルドは、自らが動くのが好きだった。命をかけた戦いの場で、馬鹿な特権階級意識をふりかざしていたら、勝てる戦いも勝てなくなるのを知った。特権を持つ者として、優れてなければ、部下も己の命も、そして守らなければいけない者も守れないのだと。考えを改めたハイルドは、武人として民からも慕われるようになれた。
「くそ!」
だからといって、ハイルドが過去に犯した罪は、消えていなかった。大きなツケとなって、今、跳ね返ってきている。
険しい顔をした男が鏡に写っている。
何故か、ハイルドの額には、魔物からの祝福がなかった。ハイルドのほとんどの部下にもなかった。
明日の議会でこのことは、話題になるだろう。
王太子レーライトの私室に向かう。勝手に入っていいと聞いていたので、扉を開きかけた。
王族の中で同年代のレーライトとハイルドは、仲が良い方だった。気軽にお互いの部屋を訪問し、砕けた口調で話せる間柄だった。数年前までは。
「お許しください。」
女性の声がした。
「何を許せばいいのだい?」
レーライトの優しい声がする。だが、ハイルドには、冷たく突き放しているように感じた。
「殿下、どうかお許しください。」
今にも泣き出しそうな声は、王太子妃ミューミアだ。赤褐色の髪と緑の瞳を持つ、美しい女性。瞳の色以外は、″守人″とよく似ていると云われている。
「ミューミア、君が謝るべきは、私ではない。わかっているだろう?」
諭すように言われた言葉にミューミアから、嗚咽が漏れる。
「出直そうか?」
ハイルドは、扉から顔を出す形で、声をかけた。
ミューミアが、レーライトの前に跪き、許しを乞うていた。
ハイルドは、ミューミアを見て、噂通りよく似ていると思った。沈黙の森で見た″守人″に。そして、あることに気が付いた。
「いや、いい。
ミューミアは、もう休みなさい。」
労る言葉はかけるのに、レーライトは、妻に触れようとしていない。その両手は、さげられたままだ。
「はい。」
ミューミアは、両目尻を軽く押さえ、立ち上がった。レーライトに淑女の礼をして、ハイルドにも礼をする。
ハイルドは、正面から、ミューミアを見て、やはりと思った。だから、安堵のあまり口から、出てしまった。ハイルドの仮説は、正しかったのだと。
「王太子妃殿下は、命令は下したけれど、″守人″の死をお望みになられなかったのですね。その額に祝福がありません。」
ハイルドたちは、命令だから従ったまでで、″守人″の死を望んでいなかった。それが、あの場にいた者たちで、祝福を受けた者と受けなかった者の違いなのだろう。
「仲の良かった従姉妹だったと聞いて・・・。」
ミューミアの様子が可笑しいことに気がつき、ハイルドは、言葉を止めた。
血の気を失った顔を引きつらせ息を止めているミューミアは、今にでも倒れそうだ。
その横顔をレーライトが、凝視している。
「ミューミア、きみは・・。」
ミューミアの視線がぎこちなくレーライトに移動する。
二人の視線が交差したとき、ミューミアは、小さな悲鳴と共に息を呑んだ。
伸ばされたレーライトの手から逃げるように、ミューミアは、部屋から飛び出していく。何かを恐れるように。
「大丈夫か?」
ハイルドは、動きを止めているレーライトに声をかけた。
追いかけなくていいのか?と。
「いや、だいじょうぶだろう。」
レーライトは、額に手を当てて思い込んだ顔をしていたが、打ち消すように軽く頭を振った。
ハイルドの額を見ると、はっきりと言った。
「ハイルド、奥方と早くこの国を出ろ。今すぐに。」
「はぁい?」
ハイルドは、自分が間抜けな声を出した自覚があった。
レーライトは、真剣だ。冗談でこの国から、逃げろと言っているように見えない。
「奥方の国、エルシアに行くんだ。」
「ちょっと待ってくれ。何が言いたいんだ。」
ハイルドは、近くのソファーに座るとレーライトを見た。
確かにハイルドは、妻を妻の母国に行かすつもりでいた。この国は、どうなるかわからない。妻とお腹にいる子供だけでも助けたかった。
「今なら、まだこの国から、逃げ出せる。時間が立てば出れなくなる。」
向かい側に座ったレーライトは、苦々しく言った。
「祝福を受けてない者なら・・・。」
ハイルドの言葉にレーライトは、首を横に振る。
「あの場では、ああ言ったが、すぐにどの国も受け入れてくれなくなるだろう。本来、祝福の印は、見えない場所に付けられる。祝福を受けたかもしれない者を、それも″守人″がいない国の者を受け入れられるわけがない。」
レーライトは、絶望的な言葉を口にした。
「この国で生れた魔物は、この国の″守人″しか力が封じられない。私でも″守人″がいない国の者の入国は、認められない。祝福を受けた者がいたら、惨劇が起こるのがみえている。」
ハイルドは、はっきりとわかった。
″守人″を失った時点で、この国が孤立したことを。
「レーライト、お前がミューミア嬢と逃げろ。」
″守人″を助けようとしたレーライトも祝福を受けていない。王太子夫妻が逃げたらいい。レーライトなら、勇者を説得できるかもしれない。祝福を受けた二人の息子、アルフィードは、ハイルドが責任を持って預かる。
「私は・・・、この国にいたい。ミューミアは・・・。彼女は、国外に出せない。」
ハイルドから、目を反らし、レーライトは、言った。
ハイルドは、可笑しく思った。
いつものレーライトらしくない、と。
レーライトなら、″いたい″ではなく″いなければならない″と言う。それが何故?
そのことに気を取られて、ハイルドは、ミューミアを語るレーライトの言葉に強い怒りが含まれていたことに気付かなかった。
「これから、この国は、すぐに地獄となる。魔物が目に見える場所に祝福の印を付けたのも意味がある。」
レーライトは、絞り出すように言った。
「ハイルド、祝福を受けた者を見付けたらどうする?」
今まででも魔物に祝福を受けた者は、いないわけではない。ネズミやウサギ程度の魔物が多く、油断しなければ、大きな被害は出なかった。
だが、魔物は、祝福を受けた者を目指して来るため、その者がいなければ来ない。だから、祝福を受けた者をいなくなるようにするのは、よくあることだった。
「″守人″がいない国の魔物は、ネズミでさえ脅威となる。それが、知れ渡った時点で、祝福を受けた者たちは、狩られるだろう。そして、それが、また強い魔物を生む。」
ハイルドは、言葉を失った。
この国は、もう滅ぶしかないのか?
絶望が、広がる。
「だから、ハイルド、今のうちに逃げろ。」
レーライトは、はっきりと口にした。この国から、逃げろと。
だから、ハイルドの心は決まった。王族の責任をレーライト一人に背負わせてはいけないと。そして、少しでも″守人″、アリミアをどうにかしたい。
ハイルドは、レーライトと目を合わせて、己の決心が揺るがないようにゆっくりはっきりと言った。
「俺は、逃げたくない。俺が国を出る時は、勇者を探しに行くのを許された時だ。」
レーライトが、馬鹿だなと笑った。
誤字報告ありがとうございました。