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王宮の広間では、今回の報告が、王太子レーライトからされていた。
両脇に控える貴族たちの顔色は、どんどん悪くなっていた。
王座に座る国王と王妃、王太子妃の顔色が無くなっていく。
それをハイルドは、冷めた目で見ていた。
「″守人″がいないとどうなるのだ?」
金色の髪を信じられないと揺らしながら、国王が同じ色の髪を持つレーライトに問う。
「不浄の沼から、魔物が次々と生まれます。その魔物は、小さいモノでも魔力を封じられていないため、強大です。」
レーライトは、淡々と答えている。その端正な顔には、感情が少しも表れていない。
「強大とは、どれほどだ?」
「ネズミくらいの大きさでも訓練した兵が二人ほど必要になるでしょう。」
レーライトの言葉に、ハイルドは、その時のコトを思い出して、身震いした。
やっと小さくなってきた炎に、ホッとした時だった。
「魔物だ!」
一人の兵が、叫んだ。ノウサギくらいの大きさの魔物が、木々の間から、顔を出していた。
形はウサギによく似ているが、全身真っ黒で、灰色に濁った目に大きく裂けた口。その口からは大きな牙が飛び出している。ウサギより、手が大きく、長く尖った爪がはえていた。
「リュートじゃないか。これで、一発だ。」
魔物の近くにいた兵が緩慢な態度で、剣に手を伸ばした。
ネズミくらいまでの大きさの魔物は、すごく弱く、女子供でも簡単に退治できる。イヌくらいの大きさになって、やっと役所に討伐の要請が来る。
だから、誰もが簡単に退治出来ると思っていた。
「油断するな!強いぞ!!」
レーライトが叫びながら、剣を抜き、そちらに向かう。
魔物は、ジャンプすると近づいてきた兵を飛び越して、その長い爪をその背に突き刺した。兵の胸から、魔物の爪が突き出ている。
「″守人″がいない国の魔物は、その力が倍以上になる。」
レーライトは、剣で魔物の首を跳ねると、さっと身構えた。
「リュートは、群で行動する。来るぞ。」
魔物がいた場所に濁った目が幾つも現れた。
ハイルドも剣を抜き、構える。油断していると、さっきの兵のようになってしまう。
魔物が一斉に動いた。
速い。今まで相手をしていたリュートよりも数段に。その牙も爪の鋭さも全く違う。力も強い。イヌくらいの魔物と同等、いや、それ以上の力だ。あちらこちらで、悲鳴が上がる。
魔物を相手している者たちの多くが、手こずっている中、レーライトとハイルドだけが確実に魔物を倒していた。
「怪我人の手当てを。魔物避けの葉・・・。」
レーライトの言葉に、兵たちは、顔を背けた。
平和だった。リュートぐらいなら、大人の男なら、兵でなくても退治出来ていた。今までは、辺鄙な場所でなければ、魔物避けなど必要のない国だった。
「封印が解けたばかりで、まだ力が弱かった。
″守人″がいないと、こうなのだ。魔物の力が封印されなければ、その力は小物でも計り知れない。」
レーライトの言葉が、重く響いた。
「では、王太子よ。どうすればよいのだ?」
ハイルドは、いや、そこにいた者全てが、国王の言葉にため息を吐きたくなっただろう。
それが聞きたいのは、臣下である者たちだった。
「陛下、もうどうにも出来ません。勇者さまの加護を破棄し、″守人″を殺した我らは。」
無慈悲なレーライトの言葉が広間に響く。
「我は、知らぬ。″守人″が、それほどまで重要だったとは。」
「知らぬでは、すまされません。他国は、″守人″を大切になさっているのに。」
狼狽する王に対して、レーライトの声は、無機質で冷たい。
「そうだ!他国の″守人″に来てもらえば・・・。」
名案だと顔を綻ばした王にレーライトは、静かに首を横に振る。
「″守人″の新しい血が土地に慣れるのに100年以上かかると言われています。それに″守人″を殺した国に来ようと思う者がいますか?」
「あの女は、ローヒカ伯縁の者。ローヒカ伯の一族の中に″守人″になれる者がいるのでは?」
青ざめた顔色の王妃が提案する。王宮に戻る途中、ハイルドがレーライトに問うたのと同じだった。
「″守人″を害した時点で、その資格を失っております。私の妃もしかり。王族にもその血が流れておりますが、証である赤が入っているのは・・・。」
「ちちうえ!」
広間の両脇に控える貴族たちの間から、小さな少年が飛び出してきた。真っ直ぐにレーライトに向かう。
「アルフィード、今、大事なお話し中だ。」
無表情だった王太子の顔に優しい笑みが浮かぶ。自分譲りの金色の髪を撫でながら、優しく侍女のもとに戻るように諭そうとした時だった。王太子の顔が驚愕に変わる。
「ちちうえ!″もりびと″という″まじょ″をせいばいされたのでしょ。ごかつやく、おめでとうございます。」
甲高い子供の声が、広間に響き渡る。
ハイルドも言葉を失った。この小さな王子は、この国の愚かな王族を代表していた。
「ミューミア、君はこの子に何を教えて・・・。」
レーライトは、玉座で震えている王太子妃を凝視した。王太子妃は、顔を背け、レーライトと目を合わせようとしなかった。
「ちちうえ?」
何も知らない小さな王子は、首を傾げている。
レーライトは、王子の額にかかる髪をそっと上げて、その紫の瞳を一瞬閉じた。
「母上のところに行きなさい。お前ももう関係者だ。」
レーライトは、近付いてきた侍女を手で制し、王子の背をそっと押した。王子は、嬉しそうに母親の元へ駆けて行く。
レーライトは、その小さな背中をやるせないように見つめていた。
「王太子よ、何もないのか?その勇者に頼むとか。」
何も手だてがないことにイラつきながら、国王が問う。
「自ら勇者さまの加護を無くしたのです。謝罪しても受け入れていただけるかどうか。」
国王が豪華な肘置きを叩いた。遺憾だと言いたげに。
「謝罪だと!何故、我が頭を下げなければならぬ。それもあのような異界の者などに。」
ハイルドは、本当に手がないことを悟った。この国王に勇者は、決して手を差し伸べない。
「ならば、勇者さまに救いを求めるなど、到底無理でございましょう。」
レーライトの声が、ますます冷たくなっていく。
「そのために召喚された勇者だろうが。」
それに反して、国王の声は、怒気をおび、荒々しくなっていた。
「陛下は、何故、異界から勇者さまを召喚せねばならなかったのか、思い出されたほうがよろしいでしょう。
それに勇者さまは、自らお望みになられたのではなく、武器も持たずにすむ平和なところから、無理矢理この世界に連れてこられたのです。当たり前というのは、こちらの都合でしかありません。
それから、何故、歴代の勇者が、魔王と化したのかをお忘れになっておりませんよね?」
国王は、悔しそうに唇を噛む。
レーライトの言葉は、勇者がこの世界を助ける義理がないことを言っている。それどころか、態度次第で今までの勇者と同じように魔王になることが出来るとも。
「我は、ターマナ国に参るぞ。あそこの国王は、我の従兄弟だ。歓迎してくれる。」
さっさと逃げ出す段取りを決めた国王に小さく驚きと批判の声が上がる。
「陛下、それは出来ません。ターマナ国から、拒否されます。」
レーライトが、冷たく無理だと言い切った。
「何故だ?正式訪問だぞ。」
「陛下は、魔物の祝福を受けておられます。我が国の魔物の祝福を受けた者を国外に出すことは、法で禁じられております。」
レーライトの言葉に国王は、椅子から立ち上がった。
「偽りを申すな。王太子といえども容赦は、せぬぞ。」
「おめでとうございます。魔物は、邪魔な″守人″を弑すように命じられました陛下に祝福を与えられたのでしょう。」
レーライトは、恭しく優雅に頭を垂れた。
「″守人″の死を望み、それを喜ぶ我が息子もその額に祝福を受けております。」
頭を下げたレーライトの表情は、見えない。だが、その声の冷たさにハイルドは、思わず組んでいた両腕を擦った。
「ひぃ。」
王太子妃が、側にいる息子の額を見て、息を呑んだ。赤黒い模様が額に表れていた。
「ミューミア、気を確かに。君は、居なければならない。」
頭を上げたレーライトの顔には、表情はない。だが、王太子妃に向けた言葉は、気を失うことは、退出することは、許さないと言っていた。
ハイルドは、従者を見た。その額には、何の跡もない。だが、ローヒカ伯を含め、″守人″の処刑に携わった者たちの額には、赤黒い模様が浮き出ていた。
魔物の祝福は、恐ろしい。その祝福を受けた者は、何処に行こうが魔物を呼び寄せる。そして、祝福を受けた者以外を惨殺する。祝福を受けた者は、死を呼ぶ者となり、何処にも誰にも受け入れられず、最後に魔物に殺される。一人、孤独に。
「祝福を受けた者が、これほどいるのですから、孤独に死ぬことは、ないでしょう。」
レーライトは、広間を見渡した。
貴族たちは、お互いの顔を見て、印の有る者は悲鳴を上げていた。その数は、10人くらいか?
ハイルドには、レーライトのその凜とした姿が泣いているように見えた。こんな事態になってしまったことを嘆き悲しんでいるように。
王妃は、侍女から渡された手鏡を見て、気を失った。その額にはっきりと印を見たからだ。
国王は、王妃の手から、手鏡を奪うとその顔を写した。手鏡が国王の手から、滑り落ちる。
「今は、″守人″が、その魂を持って、不浄の沼を封じています。何時まで持つかは、わかりません。その間に祝福を受けていない者を海外に。
この国に人が居なくなれば、不浄の沼は、魔物を生まなくなる。この国は、″始まりの国″にはなりません。」
「それは、何時までもつのですか?」
貴族からの問いにレーライトは、首を横に振った。そして、淡々と語る。
「わかりません。一年ももたないかもしれないし、10年、20年、″守人″が生きるはずだった年数までもつかもしれません。
生まれてくる魔物が大きいほど、その魂は、早く消えるでしょう。魔物を生み出す我々次第ということです。」
やっぱりレーライトは、泣いているとハイルドは、感じた。
誤字報告ありがとうございました