補足1 勇者で魔王
沈黙の森が風で閉ざされてから、一年後、空から降り立つ者がいた。
優しい顔立ちをした青年だ。
「スルー、もっと早く教えてくれないと。」
勇者ー陽翔は、辺りを見回して、がっくり肩を落とした。
もう全てが終わっていた。助けられる者は誰もいない。
″守人″家の焼け跡も風化され、地面に焦げた跡が残っているだけだ。魔方陣もそこに現れた白い門も消えていた。
あるのは、時間を止めたままの不浄の沼と、三つの氷に封じられた遺体。
不浄の沼と遺体の周りには、枯れた花輪が飾られている。
白竜も子供の姿に変わり、地上に降り立つとふいと陽翔の視線を避けた。
ふわりと光が現れ、すーと陽翔の身体に吸い込まれていく。
「使わなかった寿命残して、忘却の川に行きな。」
陽翔の身体に次々と光が吸い込まれていく。
氷付けになったミューミアやアルフィード、王妃の体からも光が飛びだし、陽翔の身体に吸い込まれる。
陽翔は、一つの光だけ弾いた。
「お前は、駄目だ。来世はない。」
それは、国王の魂だった。
「お前も被害者の一人だが、知ることが出来たのに、最後まで知ろうとしなかった。知る機会は幾らでもあったのに。
そして、お前は、来世でもそれを繰り返す。悔い改めることさえしない。」
国王の魂は、抗議するように小刻みに震えたが、陽翔に摘ままれ、ポイと投げられた。
豪華な衣装を着た国王の姿になり、ドスンと尻もちをつくように地面に落ちた。
その周りを何処から現れたのか魔物が囲み、一斉に襲いかかった。黒い固まりになった国王は、みるみる間に小さくなっていく。国王が完全に無くなった後、魔物たちが美しい女たちになって消えていった。
「勇者さま!」
陽翔の前に転がるように出てきた者がいた。
陽翔と同じ黒い髪に黒い目。疲れきった顔をしているが、目だけは、強い光を持っていた。
「勇者さま、お願いがあります。」
跪き、顔を上げて、陽翔の目を真っ直ぐに見る。
「リアード、無事だったのか。」
陽翔は、垂れ目の目尻をさらに下げ、ふわりと笑った。一人でも生きている者に会えて嬉しかった。
「い、え、無様に生き延びました。」
リアードは、その笑顔を眩しそうに見ると、苦しそうに顔を伏せた。
「アリミアは、限界だった。あのままだと、生きながら魂を磨り減らしていくしかなかった。」
リアードの顔が苦悶に歪む。
「だとしても、私が行ったことは、大罪です。」
「来世に行けるようにしてあげたかったのだろ。」
だから、殺した。魂が傷つく前に。
リアードがびくりと肩を震わせた。
「で、願いとは?リアードの魂をアリミアには、無理だよ。」
陽翔は、不浄の沼であったモノの所に足を向けた。
固まっている不気味なモノに触れると、それはボロボロに崩れ、その中から、紫色に光る球が出てきた。
「レーライトがしっかり包み込んでいる。」
陽翔は、女性の握りこぶしくらいの球を持つと光にかざした。中心にもう一つ球があるのがわかる。
「彼は、忘却の川に行くつもりもないようだ。
アリミアが溶けてなくなってしまうから、行けないか。」
陽翔は、リアードの目の前に紫の球を差し出す。
「手を出して。」
リアードが左手を差し出すと、ポトンと球が置かれる。
「癒すのを手伝ってやるといい。そこの魔馬と一緒に。」
「さっきのバカ王、使えば良かったんじゃない?」
陽翔は、スルーを呆れた目で見た。
「アリミアの魂が汚れて、消滅してしまうよ。」
呆れた声で言われた言葉にスルーは、納得している。
確かに汚すぎたな、と。
「この森の奥で暮らせばいい。魔物は全て狩ったのだろ。アレが不浄の沼になるのも早くて十数年かかる。」
リアードは、じっと紫の球を見つめていた。
愛しそうに、少し憎そうに。
「私は、罪人です。」
「だから、贖罪。傷つけたアリミアを癒すということで。
それに俺が持っていると、吸い込むかもしれない。」
そうなると無条件で忘却の川に行ってしまう。
「・・・はい。」
リアードは、大切に紫の球を持った。そこに双頭の馬が現れ、労るようにリアードの頬に鼻を擦り寄せる。
「スルーから聞いたけど、本当に良いウマだ。魔物なのが残念すぎる。」
陽翔は、代わる代わる首を撫で、その手触りを味わっていた。
魔物だから狩るという気は、陽翔にはない。仇なすモノを、狩り取るたけだ。
「後始末はしておくよ。あの無知な子も嫁の実家でしっかり学んでいる。」
陽翔の言葉にリアードは、涙声でお願いしますと小さな声で言った。紫の球に落ちた涙は、流れ落ちることなく、すっと球に吸い込まれていく。
バサッ
スルーがいつの間にか竜に戻っていた。翼を動かし、風を起こしている。
リアードの前髪も風にあおられ、額が丸出しになる。その額は、きれいで、魔物の祝福の痕さえなかった。
「じゃあ、頑張ってね。三年くらいしたら、また見に来るよ。」
さっとスルーの背に飛び乗った陽翔は、リアードに手を振った。
リアードは、飛び立っていく白竜に深々と頭を下げていた。
「三年しかもたないのか?」
スルーの声が直接陽翔の頭の中に届く。
「ああ、ボロボロだよ。大切な者を大切だから殺した。それは、凄く生きる意志を奪っている。」
一人頑張っていたのもあるけど。
魔に堕ちなければ出来なかった。大義名分を作らなければ出来なかった。
本当は、生きて欲しかった。幸せになって欲しかった。
叶わないから、叶えられないから、もう選べる道がなくなっていた。
陽翔は、目を閉じた。この世界は、なんて悲しいのだろう、と。
「王太子は、気が付いていたのかな?」
「さあ?魔物の祝福が、偽物だと気が付いていただろうけど。」
ローヒカ領に誘き寄せるための工作。
″守人″の剣が、魔物の祝福を受けるはずがない。
だから、レーライトは、リアードの嘘に乗った。アリミアの魂を救う手立てを求めて。
「リアードの誤算は、妹のリリアだ。彼女が虚実に惑わされてしまった。″守人″の剣であるリアードが、そう頻繁にリリアに会いに行けると思うか?」
例え、馬で半日の距離とはいえ、兄妹だからと王太子妃に頻繁に会えるわけでもない。
「無理だろうね、ただでさえ魔物退治に忙しいかったんじゃない?この国は、魔物が多過ぎる。」
「真実に嘘を混ぜて、真実を一部隠して、リリアに伝えていたた者がいる。リアードの言葉と偽って。」
レーライトがアリミアと″守人″の家で頻繁に会っている。
確かにレーライトは、力が弱くなったアリミアを心配し、沈黙の森を度々訪れていた。だが、アリミアに避けられ、なかなか会えていなかった。
紫と赤の石が付いた指輪をレーライトがアリミアにはめた。
何故、その指輪をはめたのか。理由は、伝えなくていい。
真実に嘘を混ぜて、真実を隠して、伝えられた話しは、聞き手を不安にさせていく。
真実を伝えられているから、混ぜられた嘘に、隠された真実に気付けない。
「リリアは、レーライトを慕っていた。レーライトの想いが誰にあるのか知っていた。だから、不安が、不信が、強くなっていった。
やっと会えたリアードに確認しても真実だから肯定される。」
そして、話された理由は、誤魔化すための言い訳に聞こえる。
「やっぱ人間って面倒くさい。」
はっきりと考えていることを言い合う竜族にとって、不安で本心を訊くことが出来ないなんて考えられない。
「あっ、ここで降りる」
「王宮?魔物だらけじゃん。」
ひらりと陽翔がスルーの背から飛び降りると、スルーも子供の姿になり、石畳の上に降り立つ。
足音をたてながら、人気のなくなった王宮のある部屋を目指す。
あちらこちらに黒い影が見え隠れしている。
「すごいなー。」
スルーは、隠れそこなったネズミの魔物を足で踏み潰した。
「ああ、リアードも何回か挑戦したようだが、この数だ。近付けなかった。」
陽翔が右手を軽く振ると、そこには光輝く剣が握られていた。
剣の光を浴びた魔物が、溶けていく。
「ここだ。」
陽翔は、華美な装飾がほどこされた扉の前に立った。
無造作に扉に向かって剣を振る。
崩れた扉の裏から、黒い固まりがチリとなって消えていく。
部屋の中は、真っ黒だった。至る所にネズミやネコのような魔物が、陽翔に濁った灰色の目を向けている。だが、ほとんどの魔物が、剣の光で溶けはじめている。
その中に二人の女性が部屋の中央に立っていた。
その女性たちの背からは、魔物が生まれている。
「これ?」
若干引きながら、スルーが、ぶつぶつ呟いている女性たちを指差した。
「魔器だ。不浄の沼ではなく、自ら魔を生み出す者、魔の器。
レーライトがアリミアを連れて来られなかった理由の一つだ。」
王宮の闇、呪詛を吐き続ける女。
「そこの者、レーライトと申したか?さすが、わたくしの孫。あの者は、わたくしの子である父王と並ぶ素晴らしい王となるであろう。」
振り向いた女の一人の目は窪み、青白い顔色の中で赤すぎる唇が異様に目立っていた。
うぎゃ。
スルーは、小さな悲鳴をあげた。
「あのバカ王の母親かよ。」
「愚かが似合うのは、あの女の孫であろう。愚かすぎて、″守人″の盾にも剣にも選ばれぬ。」
赤い唇の両端がクッと上がる。
「王太后、愚かにしたのは、お前だろう。教師たちを脅し、必要なことを学べないようにした。」
スルーは、思わず腕を摩った。淡々と紡がれた陽翔の言葉に怒りを感じとったからだ。
「我が息子が、″守人″の盾となり剣となった。そして、あの子は、この国の王。あの女の子は、″守人″の盾と剣だけであった。その違いは大きい。」
悦に入って語られる言葉に寒気がする。
しかし、どうやって、あの国王が″守人″の盾と剣になったのか。
「あの″守人″も陛下の寵を得られて、身に余ることであったであろう。」
「そうでございますわ。″守人″というだけで、教養もない娘が、陛下の寵をいただくなど。恥じて、沈黙の森に引き籠ったのもわかりますわ。」
もう一人の女も笑いながら、言葉を紡ぐ。茶色の髪をした女だ。かつては、美しい容姿をしていたのだろう。今は、見る影もなく、痩せこけた頬に血走った目をしている。
「いつだ?アリミアは、沈黙の森から出てないはずだ。」
スルーは、陽翔から、一歩離れた。地を這うような低い声に肌が粟立っていた。
女たちは、気が付かないようだ。上機嫌で話を続けている。
いや、女たちは、陽翔の言葉を聞いていない。
「娘子の花嫁姿は、綺麗であったな。」
「恐れ入ります。従妹でもある″守人″にも見ていただきたくて。」
「陛下は、あれが声が出ぬことが不服だと申しておったな。男を知らぬ身体は気に入ったらしいが。陛下は、嫌がる声が、悦に変わるのが良いらしい。」
「王太子の結婚の日か!」
レーライトの結婚式を見に来たアリミアは、国王に襲われた。声が出ないため、助けを求めることも出来ず、ただその身体に毒を流し込まれた。
″守人″の盾とも剣ともなり得ない男に、無理矢理、盾と剣とすることをその身に強要された。
「名誉なことであろう。何を声を荒立てる?」
女たちは、不思議そうに陽翔を見ていた。淀んだ目で。
「陛下の″守人″は、女子じゃ。″守人″との絆をより深めるには、より相応しいことじゃ。
あの女の子の″守人″は、男であったから、残念であったのう。陛下と″守人″の絆に敵うはずがない。」
ねっとりとした笑い声が部屋に響く。
スルーは、一歩ずつ後ろに下がった。
ここにいては、陽翔の力に巻き込まれてしまう。
「あなたが、兵たちにアリミアを襲わせたのか?」
陽翔は、茶色の髪の女に視線を移した。
沈黙の森の奥に入るためにアリミアを汚していた兵たち。
陽翔は、リアードがそんなことをさせてはいないとわかっていた。
「ウィルヘスは、薬草をなかなか採ってこないから。
私は、王太子妃の母親に相応しい装いをしなければならないでしょう。」
一度着けた宝石は使えない。
他の者とよく似たドレスは、着られない。
いつも最新で最高のモノでないといけない。
茶色の髪の女は、当然だというように答えた。
「ウィルヘスもそうしていたわ。あの娘には、その役目しかないのだから。」
茶色の髪の女が楽しそうに笑う。
スルーは、すぐに走って部屋を出た。近くの窓を蹴破って、外に出るとすぐに竜に戻り、空高く舞い上がった。
後ろから風が、スルーを追い越していく。
後ろからの風を感じなくなった時、スルーは、やっと振り向いた。ついさっきまでいたところが、瓦礫の山となっていた。
今度は、慌てて瓦礫の山に戻る。
まだ、終わっていない。
まだ、陽翔の怒りが消えていない。




