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ハイルドは、座り込んでしまった。
誰もが、ハイルドに『生きろ』と言う。だが、ハイルドには、己に生きる価値などあるのかわからない。
確かに十五年前の無知による婚約破棄は、ハイルドの責だけではない。何時からかこの国では、″守人″の存在が軽く見られるようになってしまっていた。それがハイルドという形で出てしまっただけ。
それを指摘されても改善しなかったのが、問題なのだ。
大きな息を吐いてしまう。
それでも、ハイルドは、レーライトや王妃たちのように死を覚悟出来ない。浅ましくも生きたいと思ってしう。
どうすればいい?どうなればいい?
「随分、お悩みだね。」
声が聞こえた。ハイルドが、顔を上げると、白いフードを被った者が立っていた。
「だ、れ、だ?」
掠れた声で問う。
「うーん?君からすると、一代目勇者で二代目魔王になるかな?この不浄の沼の原形を作った者。」
気軽な態度で、ハイルドの隣に座り込む。バサッと外されたフードの中から出てきたのは、黒い髪と目を持つ青年だった。
「勇者で魔王?」
ハイルドは、信じられなかった。何千年前に倒されているはずだ。
「そう。一代目魔王を倒して、人の負の心が見えたほうがいいと不浄の沼を作ったけどね、全く懲りなかった人に絶望して魔王にになって、二代目勇者の三代目魔王に倒されちゃった。」
あっけらかんと話される内容にハイルドの目が丸くなる。
「で、今は、新しいのがちゃんと不浄の沼になるか、見回っているんだ。」
だから、知ってるよ。どうしてこの国に新しいのが出来るのか。
それは、まるで話してごらんと言われているようだった。
「なんで、こんな沼を?」
おや?と一代目勇者で二代目魔王が、黒い眉をあげた。その質問が最初にくるとは思ってみなかったと。
「さっきも言った通り、こんな魔物生み出しますよと見せたほうが、抑制になると思って。無駄だったけど。二代目勇者が壊そうとしたけど、壊せなくてね。僕が作ったのは、一つだったんだけど、全世界の人の思いが集まると竜サイズの魔物まで生み出しちゃって。歴代の勇者が試行錯誤を繰り返して、国単位で″守人″がいるようになったのさ。」
人の苦労をみんな知らないのさ、と笑った後でぽつりと漏らす。
『だから、絶望する。』
ハイルドは、何も言えなかった。深く絶望する気持ちがわからないからだ。いつもどうにかなった。どうにか出来ていた。今までは。
「何故、私なのでしょう?」
「何故なんだろね。」
思い悩んで出た言葉なのに、軽く返される。だが、不思議と怒りを感じない。
「私に何をさせたいのでしょう?」
「何が出来るんだろね。人の出来ることは、限られてるのに。」
ハイルドが横を向くと、一代目勇者で二代目魔王は、ニコっと笑う。
「けどね、リアードの言いたかったことは、ちょっとわかる。」
リアード?
ハイルドには、人の名前では聞き覚えのない音だ。
「君が剣を合わせていた相手だよ。母親が、名前変えたんだ。国王の覚えがないように。妹は、リリアだった。」
ハイルドは、手を口に当てた。
レーライトは、アリミアに宿った子に、男の子ならリアード、女の子ならリリアと名付けると。それをローヒカ伯とミューミアは、どんな気持ちで聞いたのだろう。今になっては、それを知りようもない。
「ローヒカ伯は、何を?」
「誰か一人でも知ってほしかっただけ、だと思うよ。″守人″ではなく、アリミアという女性だということを。
このままじゃ、″守人″のアリミアとして残るだけでしょ。」
まあ、君や王家を責める気持ちもたっぷりあっただろうけど。
軽く言われる言葉なのに、スッとハイルドの心に入ってくる。
「だが、私はアリミアを知らない。」
ハイルドは、呟いた。勇者にしがみついていた小さな女の子しか、覚えていない。
「どんな人だと思う?」
ハイルドは、思い付いたままを言葉にする。
悲惨な境遇だったのに″守人″として、この国を守っていてくれていた。
その魂をも使って、魔物から守ろうとした。
そして、あのレーライトが愛した女性。
「とても強くて、すごく優しい女性だと。」
一代目勇者で二代目魔王は、優しい笑みを浮かべた。
「それに彼女は、頑張り屋さんだったよ。」
そうだったのだろうとハイルドも思った。
「にしても、人魚姫のお話に似てるね。」
王子と″守人″の恋。
ハイルドの頭に呆然としたレーライトが浮かび上がる。
あれは、ハイルドが人魚姫の話しをした直後だった。
レーライトは、どんな気持ちで聞いたのだろう?
「レーライトは、何故、アリミアを選ばなかった?」
『諦めなかったらよかった』
「何故だと思う?何故あきらめた?」
同じやり取りにハイルドが、そっとため息をつく。
「もし、王子が、王位継承権を君に譲って″守人″と結婚すると言ったら、君は王になることを引き受けた?」
ハイルドは、うっと答えに詰まる。王位は別だが、今なら結婚は祝福するだろう。″守人″が国にとって大切な人物だと知っているから。けれど、″守人″のことを詳しく知らない頃なら、いくらレーライトの想い人でも、ハイルドを含めほとんどの者が反対しただろう。ミューミアさえ、過去に爵位があったことで辛うじて認められたようなものだ。
「王子がどれだけ守っても守りきれないし。」
一代目勇者で二代目魔王は、片手をすっと前に出して、小さく振った。
白い空間に色がつき、何かが見えてくる。
きらびかな夜会。淑女は、色とりどりのドレスを身に纏い、綺麗な花と化している。
『あの手袋の下には、おぞましい魔物の痕があるのですって。』
『恩で妃の座を射止めて。浅ましきこと。』
『王子殿下が、お熱があるそうよ。』
『まあ、母親であらせられるのに。』
『夜会を楽しんでいらっしゃるなんて。』
何処にでもある闇。声を潜めて囁き合い、闇を絡め合う。
『今夜はいらっしゃらないのね。』
『王子殿下が、お加減が優れないそうよ。』
『まあ、乳母がいらっしゃるのに。』
『王太子妃としての自覚お持ちなのかしら?』
ハイルドが何度も目にした風景。
どう動こうが揚げ足を取り、小さな悪意を振り撒いている。
「″守人″は、人の負から生まれる魔物の力を押さえる分、人の悪意に酔うんだよね。酔って力が安定しなくなる。酔い続けると心が壊れてしまう。だから、人里離れたところに住むんだ。」
一代目勇者で二代目魔王が、再び手を振ると、前に浮かび上がったモノは消え、白い空間に戻る。
ハイルドは、両手を握りしめる。
レーライトは、王太子だからアリミアを選べなかった。王宮は、貴族社会は、見えない悪意が溢れている。レーライトがどれだけ守ろうが守りきれない。
だから、15年前、王の息子レーライトではなく、王弟の息子ハイルドが婚約者に選ばれた。公爵夫人のほうが、少しでも悪意から守ることが出来る。王宮のように様々な人が出入りすることもない。
レーライトがアリミアを選ぶなら、王位を捨てなければならなかった。だが、それは出来なかったし、レーライトはしなかった。
いつの頃からか、国政にほとんど関わらない国王に代わり、レーライトが舵取りを行っていた。王と望まれていたレーライト。ハイルドもレーライトが王になり、傍らで剣となり盾になるつもりだった。
レーライトが王にならない理由があるなら、速やかに排除していただろう。そしてそれは、アリミアの死だ。″守人″の重要性を知らなかったから、それは秘密裏に事故に見えるように行われていただろう。その後に起こる惨劇を知らずに。
だから、レーライトは、アリミアを諦めるしかなかった。アリミアのためにも、この国のためにも。
「レーライトは・・・。」
ハイルドは、言葉を続けることが出来ない。
想いを殺してまで守りたかった人を失った。ウマを生み出してもおかしくなかった。
言ってくれたら、相談してくれたら、どうにか出来ただろうか?
「君が王子の味方をしたとしても、状況は変わらなかったよ。」
一代目勇者で二代目魔王は、あくまて軽い口調でハイルドの心の中を暴く。
「んー。時間切れだね。君を呼んでいるよ。」
一代目勇者で二代目魔王は、ポンとハイルドの体を押した。それは、すごく軽い力だった、体が少し揺れる程度の。だが、ハイルドの体は、大きく傾き、床に沈み込んでいく。
「王家は、″守人″の盾でもあるんだ。人の悪意に強い。政を制し、人の負が育たないようにするのが役目なんだよ。それを忘れないで。」
「なぜ?わたしに・・・。」
ハイルドの視界が白く覆われていく。
「それからね、初代″守人″は、僕の孫なんだ。僕は、子孫の幸せを願っている。僕の血を引いている君の・・・。」
視界に映るのは、白い空間だけ。声だけが降ってくる。
「幸せも祈っているよ。」
ハイルドの意識も白く塗り潰されていった。
「ハイルドさま!ハイルドさま!」
重たい瞼を上げると、テナヤの顔が映った。その顔に違和感を感じる。
「け、が、を?」
訊きたいのに意識は、また白く塗り潰されいく。
そして、沢山の夢を見た。




