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ローヒカ伯がいきなり大きな声で笑だした。
「つまり私のしたコトは、すべて無駄だったと。」
体を傾け、フラフラとハイルドに向かって歩いてくる。
「″守人″の評判をアルフィードで復活させる。いずれ王位を継ぐアルフィードが″守人″になりさえすれば、誰も″守人″を蔑ろに出来ない。」
ハイルドは、剣を受け止めた。重い。
「だから、アリミアが身籠ったのは、誤算だったわけだ。もう一人″守人″が生まれるかもしれないからな!」
ハイルドは、剣を押し返し、ローヒカ伯から距離をとった。
「誤算?そんなことはありません。」
ローヒカ伯は、幸せそうに笑った。
ローヒカ伯が、剣を振り上げ打ち込んでくる。貴族の嗜み程度の腕なのに、ハイルドは避けることも出来ず、受け止めるのが精一杯だ。この国一番の腕前と云われているハイルドが。
「兵たちには、子供が出来ないよう薬を飲ませていた。あの可哀想なアリミアが子を宿すとしたら、アリミアを抱いていた私しかいない。」
ローヒカ伯は、さも面白いことがあるかのように笑い続けている。
「なら、何故、殺した?」
アリミアを可哀想と言うのなら、何故?
「エルヴィス公爵さま、ご存知ですか?あなたとの婚約が消えてからのアリミアのことを。我がローヒカのことを。」
目を細めてハイルドを見るローヒカ伯に宿るのは、狂気?哀愁?
「お忘れのようですが、先々代、私の祖父までは、ローヒカ伯爵と呼ばれていたのですよ。」
爵位はどうでもいいのですけどね。
その細い腕のどこにこんな力が出せるのか。
「あの愚かで無知な国王は、勇者に侮辱されたと怒りを統べて祖父とアリミアにぶつけました。祖父は、自害しましたよ。アリミアに刑罰が下る前に責は、自分にあると。」
それで収めてくれたら良かったのですが・・・。
「他国との建前上爵位は取られても、伯を名乗らされました。
それと、物資を制限されたのですよ!ローヒカが手に出来るのは、二等品以下の物ばかり。ミューミアのデビュードレスなんて、笑われて当たり前のものでした。それでも沈黙の森の奥で採れるモノのお陰で金銭には、困りませんでしたが。」
ハイルドに反撃を許さぬほど、早い速度でローヒカ伯は、剣を繰り出してくる。息も切らさずに。
「国王の元から送られてきた見張りが、本当に最悪でした。贅沢品だと、全てを取り上げられました。焼き立てのパンでさえ、贅沢だと言って、食べさせてもらえませんでした。カビの生えたパンが食堂に並ぶのは当たり前になってましたね。父が国王に必死に謝罪し続け、三年くらいで裕福な家と同じ生活に戻ることが出来ましたが。」
あの時食べたパンの味は、忘れられませんね。
味を思い出したのか、ローヒカ伯は、顔をしかめた。
「母は、タアラマ侯爵出の者でしてね。贅沢をするためにローヒカに嫁いできたのですよ。そんな人がそんな生活に耐えられますか?その怒りは、何処に向かったでしょうね。」
「まさか、アリミアに。」
正解だというようにニヤリとローヒカ伯は、笑った。
「幼い頃は仲が良かったのですよ。赤子の時に母親を亡くしたアリミアは、新しく出来た妹で、ミューミアと二人取り合うように可愛がっていました。」
先代″守人″は、魔物狩りに忙しく、家にいませんでしたから。
ローヒカ伯は、その頃を思い出しているかのように遠い目をしていた。
「アリミアは、勇者が去った後、隙間だらけの丸太小屋に閉じ込められました。食べ物もろくに与えず、寒い冬でも暖炉に火が点る入るわけもなく、布団といえない薄い布で寝起きをして。
ミューミアと人目を盗んで、食事の時に残したカビがない部分のパンや棄てられていた布きれを丸太の隙間から、渡していました。そんな大きな隙間がある小屋にいたのですよ、まだ五歳だったあの子は。」
ハイルドは、剣を受けながら、自分の知らない事実に驚愕していた。自分の無知が、そんな悲劇を引き起こしていたことに息が苦しくなる。
「最初のうちは、せっせとアリミアに物を運んでいた私たちでしたが、そのうちしなくなりました。」
「見捨てたのか!」
ローヒカ伯は、声をあげて嘲笑った。そうですよ、と。
「見つかるとアリミアがぶたれるのですよ、私たちの目の前で。私たちを唆したと。フラフラの体を無理矢理立たせて、何度も。」
ハイルドは、何も言えなかった。十五年前、ローヒカ伯は、まだ十代を過ぎたころだったはずだ。まだ何の力も持たない少年が母親に逆らえるわけもなく、助けられない矛盾に苦しんだだろう。
「アリミアは、何度も死にかけてました。さすがに次代″守人″を死なせるわけにもいかないので、病気になると本邸で治療を受けていました。いつも見ることが出来ない姿で、ミューミアと二人、目を反らしていました。生活が少しマシになってもしばらくソレは、続いてましたね。」
何も感じてないように淡々と話すローヒカ伯。
ハイルドは、その剣は受け止めていたが、言葉の剣は避けることができなかった。
カビのパンを食べていたとき、お前は何を食べていた?
寒さに震えながら、薄い布団を体に巻き付けたことは?
理不尽な理由でぶたれ続けたことは?
惨めな姿で人前に立たなければいけなかったことは?
息をするもの苦しくなるまでほっておかれたことは?
見えない剣がハイルドを傷つけていく。
「劇的に変わったのは、王太子暗殺未遂があってからですね。」
ああ、結局、変わらなかった・・・。
あの子は、沈黙の森に囚われたままだった・・・。
「王太子の愛馬が沈黙の森の外れまで運んできたことになっていますが、真相は違うのですよ。
アリミアが、沈黙の森奥深くで魔物に襲われていた王太子を助け出し、森の外れまで王太子を運んできたようです。アリミアが付いてきていた魔物たちを森の奥に追いやっているうちに、ミューミアが王太子を見つけてしまって。」
クックックッと馬鹿にしたような笑い声をあげて話しを続ける。
だが、剣がぶつかり合う音が絶えることはなく、時おり小さな火花を舞わせていた。
「母が喜びましたよ。これで生活が戻る、いやそれ以上の生活が出来ると。
けれど、王太子は、魔物の毒気が目に入ったのでしょう。目が見えなくなっていました。そこでアリミアの登場です。″守人″の力で治せないか。″守人″には、魔物の毒気を浄化させる力がありますから。けれど、王太子の目に入った毒は、強かった。目に″守人″の力を残さないと治すことが出来なかった。結局、アリミアは声を失いました。
アリミアは、とても可愛らしい声をしていたのですよ。ミューミアより少し高い声で、歌うと魔物もおとなしくなりました。」
もう一度聴きたかったとローヒカ伯は、呟いた。
「王太子は、目は見えるようになりましたが、色彩はしばらく戻戻りませんでした。
母は、考えました。手厚い看護をミューミアにさせれば、王太子妃になれるのではないかと。しかし、ミューミアは、王太子についていた魔物の毒気で寝込んでいました。
ミューミアとアリミアは、よく似ていたでしょう。アリミアにミューミアの振りをさせて、看病させることにしたのですよ。教育を全く受けさせなかったアリミアにミューミアの代わりなど出来るはずなく、すぐに断念してましたが。」
それでも二人は再会しまったのです。
「アリミアが、王太子に惹かれているのは、見ていてわかりました。王太子も満更でないことも。
ミューミアは全快しました。ミューミアの左手、爛れた痕は、アリミアなら治せたのですが、母が治させなかった。王太子に恩を売り妃にさせるつもりだったから。
王太子が母の思惑通り、王太子がミューミアを選んだとき、私はアリミアに言ったのですよ。王太子を殺せば、王太子の目にある″守人″の力が戻り、声が戻ると。」
ハイルドは、肩で息をつきながら、重たい剣を押し返す。
「でもアリミアは、しなかった。」
ええ、眠り薬も準備したのにね。
ハイルドは、不思議だった。
真実を知ったレーライトなら、進んでその命をアリミアに捧げただろう。何故、ローヒカ伯は、それを言わなかったのか?言えなかったのか?
「それどこかアリミアは、母の言い付け通り二人の邪魔にならないように姿を消しました。沈黙の森に。″守人″の声を失っているのに。あの男もアリミアが姿を消しても目を見張っただけで、探しもしなかった。」
剣を重ねながら、ローヒカ伯は、大きくため息を吐いて、肩を竦めた。
「アリミアもバカな女です。自分を不幸にした男の息子に惚れるなんて。私の体を使い、死んでもその男を守ろうとするなんて。」
ハイルドは、一つの可能性に気が付いた。
「アリミアを愛していたのか?」
「まさか、従兄ですよ。」
ローヒカ伯は即座に異を唱えるが、ハイルドはそう思えない。
「魔物の力が強くなったせいなのか、最近、ミューミアの左手が腐ってきました。国王からアリミアを殺すように言われたので、左手だけ貰ったのですよ。″守人″の体には、不思議な力がありますから。それでも無理だったみたいでしたね。」
「その手で殺したのか?」
そうなるのでしょうね。と笑って答えるローヒカ伯。
「情事で疲れさせ、眠るように死ぬ薬を飲ませました。普通の倍以上の量を。″守人″は、薬が効くのが遅いから、火を点けた時はまだ微かに息があったかもしれませんね。」
苦しまなければ良かっただけですから。毒で死のうが、焼け死のうが。
「何も殺すことは、なかっただろう!」
「もう一度、あの男に会わせたくなかったのですよ。死体でももあの男の目には、触れさせたくありませんでしたから。ミューミアも何度王宮から連れ帰ろうと思ったことか。」
ハイルドが国王から、受けた命は、二つだった。
″守人″を国王の元に連れていくこと。
魔物を使って抵抗するようなら、″守人″を処刑すること。
名目は、魔物を使役しているとの噂の審議だった。だが、徴集されるのが、若い娘ということもあって、目的が違うことは明白だった。
「レーライトがどうにかしただろう。」
「王太子がいない時を見計らってのコトなのに?」
無理でしょうとハイルドの言葉をローヒカ伯は、あっさり否定する。
「綺麗だったでしょう?かの女の魂は。何度も汚したのに曇ることもなく。汚れてしまえば良かったのに。汚れて穢れて堕ちてしまえば良かったのに。」
まるで″守人″を辞めたら良かったのに。と言っているようだ。
「声が出ない分、必死に″守人″をしていたのに。魔女と罵られ、蔑まれ、王太子以外誰もアリミアを認めなかった。その王太子もアリミアを救わなかった。″守人″であることだけを彼女に求めた。」
ハイルドは、やっとわかった。
ローヒカ伯にあるのは、深い絶望だった。
アリミアを救いたくて、救えなかった。反対に傷つけて、殺すしか出来なかった。
アリミアを拒絶したこの国に、力がなかった己に、絶望している。
「ミューミアとアルフィードだけは、助けたかったのですが。」
アリミアのお金が余っていたのに。
急にローヒカ伯は剣を引き、後ろに下がっていった。
「エルヴィス公爵さま、ここは、不浄の沼になる前の場所なのです。白いのは、人の思いなのですよ。
普通は、時間が経つと古い思いは消えて、新しい思いに替わっていきます。強い負の思いだけが消えずに残り、凝ってしまい不浄の沼になります。」
不思議な場所でしょう。
ローヒカ伯は、剣を鞘に収め、小さく息を吐いた。
「人の思いの場所だからかどうかは知りませんが、強く思った場所に行くことができます。」
ハイルドは、いきなり何を言い出すのかと疑った。今までハイルドを殺そうとしていたのに?
「私を殺さなくてもいいのか?」
「王家の印、紫の目を持つのは、今は、あなたただ一人。
知るべきことを知ろうとしなかった生き恥を晒しながら、どうぞ長く生きてください。」
優雅に礼をして、ローヒカ伯は、白い空間に消えようとしている。
「お前は、どうするんだ?」
「家族の元に戻るだけです。」
わかりきったことを、とローヒカ伯の声だけ聞こえた。
ハイルドが行きたい場所は、身重の妻のところだ。だが、ハイルドが、今一番会いたいのは、レーライトだった。
誤字報告、ありがとうございました。




