キョウキ
――『キョウキ』
虚構世界タルタロスに生息するナゾの生命体。
生命体と言っても、実際に命と呼べるモノがあるのかどうかさえ定かではない。
姿形は、個体によって違えど、その多くは現実世界の動植物に酷似している。
ヤツらに共通して言える事は、どのキョウキも漆黒であるという事、キョウキ特有の死臭に似た悪臭を放つという事。
――そして、何よりヤツらは『人を喰らう』という事だ。
巨蜘蛛。
スクランブル交差点の中央に、胴体だけで2mはあろうかという漆黒の巨蜘蛛が、確かに存在していた。脚も含めると、その大きさは10mを優に超えている。
(――ッ!?)
チビマルは、前方でハンドルを握るカイトの燃えるような赤髪が逆立つのを感じた。
真紅のバイクは、キョウキに向けてグングンと加速している。
「駄目だッ!!カイト!!1人じゃ危険すぎるッ!!」
そんなチビマルの制止を振り切るかのように、カイトはバイトのアクセルを全力で捻った。
――ぶつかるッ!?
チビマルが身体を硬ばらせる。
しかし、そんなチビマルをよそに、カイトは至って冷静だった。
周囲の音こそ聞こえなくなっていたが、それは単に血が上っている訳ではなく、目の前のキョウキに対して、ひどく意識を研ぎ澄ましているからだった。
ドゥクゥン、ドゥクゥン
(心臓の音がやけに煩ぇな)
カイトは、ぶつかる瞬間、音速を超える愛戌に跨りながら、そんな事を考えていた。
――その刹那
ト゛ォゴォ゛オォ゛ンッッッッッッ!!!!!!!!
周囲の喧騒がピタリと止んだ。
キ゛キ゛キ゛ィギギギィィギギギィィィ!!!!!!?
無音のスクランブル交差点に、耳を裂くようなキョウキの悲鳴が響き渡った。
真紅のバイクは、巨蜘蛛と激突した後も速度を保ち、対面上にあったシブヤ駅前交番の壁に前輪を押し付ける型でようやく停止した。
この一見、無鉄砲にも見えるカイトの行動だが、概ね正しかった。
カイトはキョウキを一目見て、瞬時にこの巨蜘蛛のキョウキが『造罠型』だと判断した。造罠型のキョウキは、自身で『罠』を作り、そこにかかったエモノを捕喰する。
キョウキの罠には厄介な性質があり、そのほとんどが発動するまで周囲の風景と同化している。しかし、一度、発動させてしまえば、キョウキと同じ漆黒に変色するので、目視での判別も可能になる。
結論から言うと、カイトのこの行動は、造罠型のキョウキに対して非常に効果的だった。
――衝撃に強い神速のバイクと、キョウキに突撃するだけの度胸があればの話だが。
巨蜘蛛を中心に広がるスクランブル交差点の『横断歩道』は、真紅のバイクに反応するかたちで、白から漆黒に変色していた。
「やはり造罠型か。チビマル!コイツの罠は横断歩道だ。間違って踏むなよ」
「まっったくもう!キミって奴はッ!!」
バイクの後部で縮こまっているチビマルは、その情けない姿とは裏腹に酷くお怒りだ。
「説教なら後にしろ。コイツを片付けた後に、好きなだけ聞いてやる」
そう言うとカイトは、ゆっくりと真紅のバイクから降車した。
――スッ
愛戌はご主人様の下乗に呼応するかのように、『黒い煙』となって、その場から跡形もなく消え去った。
シブヤ駅前交番の壁に、深いタイヤ痕だけを残して。
愛戌の『ハウス』を確認したカイトは、スクランブル交差点の中央で、未だ悶えている巨蜘蛛に向けて歩き出す。
チビマルも深いため息を吐いた後、渋々ながらカイトに続く。
「会いたかったぜクソキョウキ」
カイトは、ニヒルに笑いながら小さく呟いた。
ギギギィギギギィィ・・・!?
巨蜘蛛のキョウキは、依然として悶絶していたが、向こうから近づいてくる『可笑しなエモノ』を複眼で捉えると、カラダを起こして臨戦態勢へと移行した。
――深夜2時過ぎ。
シブヤのスクランブル交差点で、紅い狂犬と巨蜘蛛の闘いが始まろうとしていた。
しかし、カイトはまだ知る由もない。
この闘いが、後に起きる大事件の引き金になろうとは。