6話 彼女に私はいかがでしょう?(前編)
6話と7話だけ前後編になっています。
次のお題を使っています。『登場人物が泣く(最低一人)』『秘密』
「育人さん、見てください」
「え、どうしたのまひるちゃん!? なんで泣いてるの!?」
育人さんが可愛らしい顔で目を見開きます。
私はその期待通りの反応に、涙を流しながら上機嫌になりました。
「はい。新しい特技を身に付けました。無表情から涙を一筋流せます。驚きましたか?」
「そりゃあ驚くよ……」
育人さんが安心したようにテーブルに突っ伏しました。
今は土曜日のお昼過ぎです。場所は私の部屋。育人さんには私のテスト勉強に付き合ってもらってます。
少し飽きてきたので、何か息抜きをと思ったのですが。悪趣味すぎたみたいですね。
ここは私も、素直に謝っておくべきでしょうか。
「育人さん、すみ――」
「勉強に飽きて、また何か悪ふざけをやりだしたのかと思ったよ」
「そうですね。勉強に飽きました。何か他のことをしましょう」
前言撤回します。この程度が心労になるような弱い人じゃないって事を忘れていました。
「ダメだって。今日はまひるちゃんのお母さんに頼まれてるんだから」
「いいじゃないですか、どの教科も平均より十五点は多く取ってるんですから。必要最低限はできてるのに、これ以上何をやれと言うんでしょうね」
いえ、母の余計なお世話だとは知っているのですが。
なんですか。今から勉強しておかないと育人さんと同じ大学に通えないって。
大学ってそんな理由で志望するところじゃないでしょうに。娘を焚きつける方向性を間違えてます。
「これというのも、育人さんが全部悪いんです」
「ええ!? 何か僕したっけ?」
「いいですよね。大して勉強をしなくても高得点を取れる人は」
「いやいや、ちゃんと授業を聞いてるから」
「それ、できる人の常套句ですよね。みんなそれで済むなら予習復習なんて言葉は生まれません」
授業だけだと理解はできても、覚え続ける事が難しいです。
「同じ頭を使うものでも、遊び事なら負けないんですが……トランプとかやりません?」
「やらないって」
育人さん苦笑しながら頬をかきました。
可愛らしくてずっと見ていたくなる仕草です。
「まひるちゃんも中途半端は嫌だろう? 遊ぶなら終わってからってことで――そろそろ息抜きも終わり。再開しようか」
「……わかりました。だったら一気に終わらせます。育人さんはそっちで本でも読んでいてください」
「いいの?」
「はい。手元をじっと見られてると気が散ります。分からないところがあれば聞きますので」
勉強中の静かな空間で、ずっと見つめられているなんて耐えられません。
恥ずかしくて勉強どころではなくなってしまいます。
それに、何かまたいらないちょっかいをかけたくなってしまいますし。
「そういうことなら。僕はすみっこに引っ込んでおくから、困ったら呼んでね」
「はい。ありがとうございます」
やる気さえ出ればこっちのものです。
本気の私はちょっとすごいってところ、見せてあげます。
さっさと終わらせて、また育人さんを驚かせてあげましょう。
******
「ふう」
一息つきます。二時間ほど経ったでしょうか。
進捗具合はかなりのものになりました。
あとは明日の夜にやれば十分ですよね。それより、早く報告を。
「育人さん、終わりまし……」
「…………」
「……寝て、いますね」
私は小さく呟きました。起こすのは悪いので。
とりあえず、体が冷えてはいけないですね。
そろそろ晩秋、風邪なんか引いてしまったら大変です。
「布団は……洗濯中ですか」
時間的にまだ乾いていないはずです。
あとあるものといえば、私のカーディガンくらいでしょうか。
まあ、何もないよりはずいぶんと違いますよね。
「育人さん、失礼しますね」
静かに言って、そっとカーディガンをかけていきます。
「ん……」
「あっ――大丈夫、ですね」
育人さんが少し身じろぎましたが、目は覚めませんでした。良かったです。
それにしても、私はただカーディガンをかけただけなのですが、おかしな事に気付きました。
なぜでしょう。いつもより、育人さんを意識してしまっている、私がいます。
「…………」
私と育人さんの幼馴染みとしての付き合いは、もう十年を超えています。
距離感はそれなりに近いものだと思っています。
このくらい近付いて会話したりなど、それこそ毎日のようにあることなのですが……
「……そういえば、前に寝顔を見たのはもう何年も前になりますね」
そんなことで、この胸の高鳴りに説明がつくのでしょうか。
分かりません。分かりませんけど、
「育人さん……」
自分の中の何かが、止まってくれそうにありません。
「……好き、なんです」
初めて声に出しました。ただそれだけで、頭が真っ白でどうにかなりそうです。
「好きなんです」
さっきよりも、はっきりと言いました。勢いのまま、私は育人さんの手を握ります。
「温かい……」
好きなんです。
いつも隣にいてくれる、この優しい手が。
困ったときに、頬をかく仕草が。
好きなんです。
こんな性格の私でも、笑いかけてくれるあなたが。
「好きです。育人さん」
育人さん、育人さん、育人さん――
「――まひるちゃん? 泣いてるの?」
「――――」
育人さんが目を覚ましました。非常にまずいタイミングです。
顔が熱く火照っていくのが分かります。とてもまずいです。
いえ、大丈夫です。私なら、ちゃんと誤魔化せるはずです。
取り繕って。澄ました顔で微笑んで。
「……そんな格好で寝ると、風邪を引いてしまいますよ、育人さん」
「あ、うん。これ、かけてくれたんだ。ありがとうまひるちゃん」
――ほら。上手くいきました。
得意なんです。こういうの。
あとはこの涙さえ理由を付ければ完璧です。
「育人さん、女の子が涙を流す練習をしているところを見るなんて。いけない人ですね」
「……いやあ、その練習はやめてた方が良いんじゃないかな? 驚くよ」
「あら。驚くからやるんじゃないですか」
私は笑いながら涙をぬぐいました。これでもう、大丈夫です。
ですが、この胸のつかえは、今日は取れそうにありません。
「……育人さん。勉強のしすぎのせいか、少し疲れました。すみませんが今日のところは……」
「ああ、うん。さすがまひるちゃんだ。すごく進んでるね。それじゃあ僕は帰るよ」
「はい。すみませんでした」
「無理しないでね。僕がいなくたってこんなにできるんだから、普段から少しずつやっておくといいよ」
「まあ、考えておきます」
そして私は、玄関まで育人さんを見送りに行きました。
休んでおくように言われましたが、呼んでおいてさすがに失礼すぎますからね。
「それでは育人さん。明日は私がそちらに伺いますので」
「わかった。でも体調悪いようなら休んでおきなよ?」
「ありがとうございます。でも大丈夫です、少し休んだら元通りですから。明日はもっと楽しい事をしましょう」
「うん、そうだね……」
育人さんが少し言い淀み、悩んだように頭を下げました。
「育人さん? どうかしましたか?」
「……うん、まひるちゃん」
「はい?」
「悩みがあるなら、いつでも相談してくれていいから」
育人さんのその言葉に、私は一瞬だけ固まりました。
それからすぐに、育人さんは両手を合わせて、頭を下げます。
「ごめん、あんまり踏み込んで聞かない方がいいんだろうけど。あんなに泣いてたらやっぱり気になるよ」
「……気付いてたんですか?」
「いくら僕でも、演技だったか本気だったかかくらいわかるって」
不覚です。まさかバレていたなんて。肝心なところは知られてないようですが。
しかし、どうしたのでしょうか。
知られて恥ずかしい、と思うところなのですが。
分かってくれて嬉しい、と思う自分がいます。
不思議な気持ちです。
――だけど、一つだけ分かった事があります。
「だから、僕に話せる事ならいつでも相談に乗るからね。まひるちゃんは一人でなんでもやるタイプだけど、話したほうが楽になることもあるし……」
「いえ、大丈夫です」
――元気が出てきました。そして覚悟を決める事ができました。
私は落ち着いた気持ちで、育人さんに笑いかけました。
「育人さん。実は私には、秘密が一つあります」
「秘密? それが悩みに繋がってるの?」
「はい。近いうちに必ず打ち明けます。……だから、ちゃんとちゃんと相談に乗ってくれますか?」
「わかった。それでまひるちゃんの気が晴れるなら」
それから簡単な挨拶を交わして、育人さんは隣の家へ帰って行きました。
私は部屋へ戻り、牛のクッションに顔をうずめました。休憩です。
胸はまだ興奮冷めやらぬ、といったところです。でも頭の方はだいぶ落ち着いてきました。
「…………」
やはりもう、これしかありません。
私は決めました。育人さんに告白します。
このまま幼馴染みの関係に甘んじていたら、いつか後悔する時が来ます。
それは絶対にいけません。
だからしっかり計画を立てて、完璧なプランを用意して告白します。
覚悟していてください、育人さん。
本気になった私はちょっとすごいってところ、見せてあげます。
涙があったので少し重たくなりましたが、この物語でこれ以上に重たくなることはありません。
ずっと仲良しなお話が好きです。
甘いほのぼのを軽めの展開で、がモットーです。