4話 二人で歩く、夜道です
次のお題を使っています。『夜道』『月が綺麗ですね』
「月が綺麗だね」
少し空気が冷たくなってきた秋の夜道。育人さんがふと空を見上げて言いました。
私はそれを聞いて、怪訝な表情を浮かべました。
「……それは愛の告白のつもりなのでしょうか? さっきテレビでやってましたね。『月が綺麗ですね』は愛しているという意味で、告白になりますとか」
「ええ!? 違うよ、ただ今日は綺麗な満月だなって思っただけで――」
「ああ、安心しました。お互い両手に買い物袋を持ったこんな状態で告白なんてされたら、どうしたものかと思いました」
今日は私と育人さんの家族が揃ってお鍋を囲みます。今はスーパーの帰り道です。
育人さんが荷物のほとんどを持ってくれていますが、さすがに家族二つ分は多いので私も手が塞がっています。
「でもさ。けっこうロマンチックだよね。月が綺麗ですね、が愛の告白になるなんて」
「そうでしょうか?」
「え、そんなことない?」
「はい」
私は少し考えて、言葉を続けました。
……ついでに試したいことも思いつきました。
「それは愛を告白する言葉ではありません。愛があると確認する言葉です」
「確認する言葉?」
「いきなり『月が綺麗ですね』なんて言われて、それが愛してるだなんて、分かると思いますか?」
「そりゃまあ、分からない。かなあ?」
「はい。その通りです」
私はゆっくりと頷きました。
「想いを寄せ合っている二人が一緒に綺麗な月を見る。ここで雰囲気に酔って愛の言葉を吐きたくなるわけですが」
「少しトゲがあるトゲがある」
「付き合っている男女だと、月が綺麗だねって言えば、思い思いの肯定の言葉が返ってくるでしょう。同じものを見ている二人は、そうして気持ちを共有して、会話の真ん中に愛があることを実感します」
「うん」
育人さんが頷いて空を見上げました。
男性は意外とロマンチスト、とはどこかで聞いた言葉ですが、育人さんもそうなのでしょうか。
「さて。では付き合っていない男女に置き換えると、どうでしょう」
私は指を立てようとして、諦めました。意外と袋が重たかったです。
「『月が綺麗ですね』。なるほど、雰囲気のある言葉です。友達以上恋人未満の男女なら、何かを察するかもしれません」
「うん。良い言葉だよねえ」
「ですがそこ止まりです。『月が綺麗ですね』自体が愛の告白だなんて思う人は普通いません。それはただの感想です。よくて告白の前振りです」
「身も蓋もないなあ。まひるちゃんらしいけど」
育人さんが不満そうに口を尖らせました。
その可愛らしい態度を見ていると、私も楽しい気持ちになります。
「結論として、『月が綺麗ですね』は愛を告白する言葉にはなりえません」
「そっか。良い言葉なのになあ」
「やはり、何がなんでも欲しいものは、はっきりと口にしないとダメなんですよ。『あなたが好きだ』『あなたと付き合いたい』『あなたを愛してる』。十分に素敵な言葉じゃないですか」
そして私は、「ただ……」と前置きして、言葉を続けました。
「さっき言った通り、お互いの愛情を確かめ合える言葉としてなら、『月が綺麗ですね』は素敵だと思いますよ」
「やっぱりそうかな? 良い言葉だよねえ」
「ふふ。育人さん、さっきからそればっかりですね」
そこで私は、育人さんの態度がおかしくて少し笑ってしまいました。
「やっぱりテレビを観て、ちょっと気に入ってたんですね」
私も空を見上げてみました。
確かに、今日は綺麗ないい満月です。
「いやあ。うん、まあ」
照れくさそうな育人さんを見るのは新鮮ですね。
月以上にいい帰り道です。
「そうですね。わかります。気持ちを共有するだけなら、『夜道も二人で歩くと楽しいですね』でも『少し寒くなってきましたね』でも『明日は月曜日。学校行くの面倒ですね』でも。なんでもいいのですが」
「嫌なことを思い出させるあたり、すごいまひるちゃんらしいよね……」
「その中でも『月が綺麗ですね』は、単純に言葉にはできない魅力がありますよね」
「ここまで色々言ってたら説得力ないって」
育人さんが苦笑を浮かべて頬をかきます。袋なんてないかのような自然さで。
さすが、男性は力が違いますね。
「……まあ私としては、どれも回りくどすぎて通じないのではないでしょうか? と思っていますが。人間って案外、鈍感ですから」
「そうかなあ」
「はい。そうなんです」
これは私の経験からの考え、というのは秘密ですが。
「でも、ちょっと驚いたよ。まひるちゃんも、そんな愛とか恋とか考えてたんだね」
「何回聞いてるか分かりませんが、育人さんは私をなんだと思ってるんです?」
「少なくとも、恋愛とか興味なさそうだよね。さっきもちょっと毒あったし」
「興味ないわけないじゃないですか。私だって、ちょっと性格が悪いのを除けば普通の高二女子ですよ?」
失礼な話です。いくら日頃の行いがものをいうとは言っても、限度があるでしょうに。
「性格悪いって自分で言っちゃうんだ……」
「そこはもう諦めがついてますから、いいんです。別に私、自分の事を嫌ってはいませんし」
あれこれ言いながらも、一緒にいてくれる人もいることですし。
育人さんだって中々ひどい性格なんですから、おあいこですよね。
そこでパタリと会話は途切れました。
心地よい沈黙を味わいながら、ゆっくりと歩いていきます。
……もう少し静かにしておきたいところですが、そろそろ試してみるのもいいでしょうか。
「……育人さん」
「なに?」
「ただの買物帰りでも、こうやってお喋りしながら帰ると楽しいものですね」
「うん、そうだね」
「……少し寒くなってきましたね」
「そうだね。もうすぐ冬だ」
「……はい。風邪を引かないようにしてくださいね」
ほら、やっぱり。
回りくどいと通じないんですよ。人間って鈍感ですから。
淡々としていて、この中に愛情があるかなんて分かりません。
「あ、そうだ」
「どうしました?」
育人さんが買物袋を片手にまとめました。
そして空いた手を私に差し出してきます。
「袋、やっぱり僕が持つよ。ちょっと食材が潰れるかもしれないけど。まあ大丈夫だよ」
「大丈夫ですよこのくらい」
「さっきから重そうだったし。話に夢中になって言いそびれてたから、今さらではあるんだけど」
「そうですか……」
……そういうところは、鋭いんですね。
「ありがとうございます。ではお言葉に甘えさせてもらいます」
「うん」
「ああ、そうそう。一つ忘れていました」
私は空いた両手をポンと合わせながら言いました。
「何か忘れ物?」
「はい。最初の言葉のお返事を。確かに今日は、月が綺麗ですね」
「――――」
笑って言った私の言葉に、育人さんの可愛らしい顔が、照れたように赤くなった気がしました。夜道で見えづらいのが残念ですが。
月が綺麗ですね。
確かに、悪くない言葉ですね。