10話 ご主人様と呼びましょう
次のお題を使っています。『ご主人』『迷宮入り』
「それではこちらへどうぞ、ご主人様」
私は表情を変えずに育人さんに向かって言いました。
メイドの格好で。
育人さんが可愛らしい顔をぎこちなく動かします。
「う、うん! ありがとうまひるちゃん!」
……そう緊張されると、私も少し恥ずかしくなってくるのですが。
今日は学園祭です。
『メイドと迷路』
このダジャレにもなってない妙な催しが、学際でやる私のクラスの出し物、いわゆるお化け屋敷なのですが。
第三体育館に作ったメイド迷宮とかいう謎の迷路を、案内メイドと一緒に回る。
特に凝った作りでもないただの薄暗い迷路が、なぜかそこそこに盛況です。
「分かっているとは思いますがご主人様、人一人分の距離は空けておいてくださいね」
「あ、うん。そうだね」
異様に生徒を可愛がっている担任教師の力で、メイドに触れたものは停学、外部の者でも相応の処罰が待っているそうです。
だから万が一にも触れないために、あまり近付いてはいけません。
育人さんと隣同士だと、いつの間にか手を繋ごうとしている可能性も否定できませんし。
「それにしてもここの迷路すごいよね」
「そうですか? 普通の迷路かと思いますが」
「叫び声が時々聞こえてくるんだけど……」
育人さんの呟きに、私は「ああ」と手を叩きました。
「私の考えた仕掛けが上手くいっているみたいですね」
「まひるちゃんが?」
「はい。軽い刺激にと用意したものですが」
「いや、それ絶対に加減を間違えてるよね」
「それは体験してから判断してください」
体育館を借りているだけあって、迷路はそれなりの広さがあります。
私と育人さんは右に左に、くぐったり登ったり、様々なポイントを通過していきます。
「そういえば、ご主人様は仕事をしなくていいんです?」
「ああ、うん。僕のクラスは適当だからね。やることがないんだよ」
「それなら良かったです。てっきり何もしなくて邪魔だから追い出されたのかと思いました」
「あれ? 僕ってそんなイメージ?」
「いつも受身で自分からは何もしないじゃないですか。ちゃんとクラスに馴染んでいるか、少し心配してるんですよ?」
彼氏がクラスの嫌われ者で居場所がないなんて、悲しいですからね。とまでは言いませんが。
育人さんが少しだけ嬉しそうに笑いました。
「そういう心配は僕がするものと思ってたんだけどなあ」
「私はこの通りです」
私はフリルの入ったエプロンスカートの端をそっとつまみ、丁寧にお辞儀をしました。
そしてなるべく上品な雰囲気を意識して、微笑んでみせます。
「人付き合い、上手くできてると思いませんか?」
「…………」
「いく――ご主人様?」
育人さんが急に固まったので、思わず名前を呼んでしまいそうになりました。
「――ああ! うん。楽しそうって事はすごい分かるよ」
「どうかしましたか? ぼーっとしていましたけど」
「いやあ」
育人さんが、なぜか照れた様子で頬をかきます。
「まひるちゃんのメイド姿。背が高くて細いから似合うとは思っていたけど、思っていたよりもずっと綺麗だったなあって」
「……ぁ、はい……」
まさか、そういう言葉が返ってくるとは思いませんでした。
いつもと違う格好。いつもと違う空間。いつもと違う呼び方。
私も変に緊張しているのか、上手い返事ができません。
沈黙のまま、私たちはしばらく迷路を進みます。
ほどなくして分かれ道にさしかかりました。
「ご、ご主人様、ここはどちらに行かれますか!?」
「じゃ、じゃあこっちにいこうか」
……すごくぎこちないです。
慣れないことはするな、ということでしょうか。
ですが、そんなのは嫌です。このままは嫌です。
これでも私は、育人さんと回る今日を楽しみにしていたんですから。
何か、空気が変わるような話題はないものでしょうか。何か……
「……そういえば、育人さんはメイド服のフリル部分を弄ぶのが趣味でしたね」
「いやいや、それまひるちゃんが言い出しただけだからね」
「あら、そうなんですか? 私この前、育人さんの事をメイドの人だって言ってる人を見ましたよ」
「え、嘘だよね? 嘘だよね?」
「ふふ、どうでしょうね。私の中では、くるぶしの人と言った方がしっくりしますが」
「それはまあなんというか……」
育人さんが困ったように頬をかきます。
その可愛らしい仕草を見て少し落ち着いた私は、ある事に気付きました。
「あ、ご主人様呼びを忘れてしまっていました。すみません」
「いいよ。まひるちゃんが呼びやすいように呼んでくれたら。僕も少しむず痒かったしね」
「そうなんですか? メイドが好きな育人さんは、そう呼ばれるのが好きと思っていました」
呼び方って大事なんだと、改めて思いました。
さっきまでの喋りにくさが嘘のように気軽に話せます。
「いや、そもそも僕はそこまでメイドが好きってわけじゃないから、普通だよ。まひるちゃんに似合うと思ったってだけで」
「なるほど。メイド服はくるぶしが見えないから不満ですか」
「そろそろくるぶしからも離れてほしいかなあ」
こうやって中身のない会話をしながら歩く。
すごく楽しくて、すごく自然で、すごく落ち着きます。
私だけこんなに楽しんでいいのでしょうか。
カーテンで作った仕切りをくぐりながら、私はそんなことを思いました。
迷路もそろそろ終盤です。最後の仕掛けで、育人さんが楽しんでくれるといいのですが。
「ここだけすごい暗いんだね」
育人さんの声が聞こえてきます。カーテンの通路を抜けたこの場所は、暗すぎるので表情まではよく見えません。
「はい。ぶつからないように私の服を目印について来てくださいね」
「まひるちゃん、なんだか光ってる?」
「あまり暗いと危ないですからね。このメイド服は暗くなると光るように加工してるんですよ」
私はゆっくりと指を一本立てて言いました。
仄かな光に照らされて、少し薄気味悪い雰囲気になっていることを期待します。
「ここは出口に続く特別通路です。ここからは気をつけてください」
「何かあるの?」
「はい。最後に私の考えた仕掛けがありますので。何が起きるかわかり「うわあああああああああ!!」
体育館に育人さんの叫び声が響きました。大成功です。
驚いた仕掛けは簡単、私の顔に黒い布が巻きついただけです。
暗い通路、光るメイド服。ほんのりと見えていた顔が突然、消えてしまう。
即席首なしメイドの出来上がりです。
簡単で単純な仕掛けですが、楽しくメイドと喋って油断していた人たちには意外と効果があります。
「まひるちゃん! ――布?」
「はい。布です。お化け屋敷みたいなドキドキ感、味わっていただけましたか?」
布を外して笑いかけた私を見て、育人さんが床にへたり込みます。
正体が分かって気が抜けたのでしょうか。
「いや、うん。そうだね。まひるちゃんに何もなくてよかったよ」
――ぁ。
「心配……させてしまいましたね。すみません」
私は育人さんに手を差し出しました。
育人さんは明るく笑って私の手を掴み、立ち上がります。
「こんなに驚いたの久しぶりだし、面白い迷路だったよ」
「それなら良かったのですが……」
「それに、まひるちゃんともゆっくり話せて楽しかったし。いい学園祭になったかな」
それは私も同じ気持ちです。
簡素な作りで、大して長くもないアトラクションでしたが、とても楽しかったです。
「――あ」
「育人さん、どうかしました?」
「これって、もしかして停学……」
育人さんが私と繋いだ手を見て言いました。
少し顔が青いです。
そういえば、メイドに触れた生徒は停学なんて理不尽なルールがありましたね。
「大丈夫ですよ」
私は笑って育人さんを引っ張り、歩きだしました。
「ご主人様も言えない私はメイド失格です。メイドじゃない私にそのルールは適用されません」
「大丈夫かなあ。すごい屁理屈だけど」
「ちゃんと言い負かしてみせますから、安心してください」
今すぐ手を離して、私が申告しなければそれですむ話なのですが。
せっかくですのでそれは黙っておきましょう。
「なかなか動じない育人さんの叫び声なんて、珍しいものも聞けました。今日はいい日ですね」
「最近まひるちゃんがおとなしかったから、油断してたよ」
「ただ録音するのを忘れてました。今度また遊園地にでも行きましょうか」
「そういうのって隠れてするものじゃないかなあ?」
育人さんがもっともな意見を言います。私はニコリと笑って言葉を続けました。
ゴールまでの短い通路を、そうやってゆっくりと歩いていきます。
やはり、こうやって隣同士で歩くのはいいものです。
とても幸せな気持ちになれますから。
迷宮入りは拡大解釈にてお送りいたしました。