プレミアムな牛乳
金曜日の午後9時頃。入浴を終えて喉の潤いを求めてキッチンに来た和磨は、以前コンビニで購入した清涼飲料水を出そうと冷蔵庫を開けた。
「んー……買ってきた飲み物はーっと、あれ?……こんな牛乳、うちにあったか?」
冷蔵庫を開けた和磨は、ドアポケットに収まっている先刻自分で買ってきた細長のペットボトルを探そうと視線を動かしていると、見覚えのない牛乳に目が止まり独り言を呟いた。
前からあった物だったかと、訝しげな表情を浮かべて首を捻ると、和磨は見た事のない牛乳を取り出すとじっと観察する。
その牛乳は、普段使う牛乳の隣にあり、それと比較すると同じ1本1000mlなのに、値が倍になっていそうな高級感のあるデザインをしている。しかもまだ未開封のものだ。
「それにしても、何でこんな高そうな牛乳があるんだ……」
普段、比較的安価なものを買っているのだから、たまには贅沢をと思って買ってきたものなのだろうか。それとも、誰かが内緒で飲むつもりで買ってきたものなのだろうか――そんな疑念が和磨の脳裏を巡る。
「あ、その牛乳、今日職場の人から貰ったんだ。買った昨日が見切り品で売られてて、同じものを2本も買ったらしい。それで、期限内にとても消化しきれないからということで、そのうちの1本を貰ったんだよ」
和磨の独り言が聞こえたのかは定かではないが、偶然にもキッチンに入って来た冬馬が、和磨が手にしている牛乳を見て、その経緯を説明した。
「見切り品……?……あ、賞味期限今日までじゃねえか!どうすんだよ、これ!」
冬馬の一言が気になった和磨は、牛乳パックを開封する口の部分に記載された日付を確認するやいなや、発見当時よりも大きい声で期限を強調した。
普段牛乳を購入する際、期限より1週間程度余裕のあるものを選んでいる。牛乳の消費率の高い彼らの生活上、同じ商品を何本かまとめて買うことが多い。期限がある程度あれば、多少長く冷蔵庫の中にあっても安全だという理由からだった。しかし、期限が間近や過ぎての消化は殆どなく、こういった期限の近い物が冷蔵庫にあると、無意識に焦る習性があった。
「どうする……と言われてもなあ……。さすがの和磨も、一人じゃ消化しきれないだろ」
「誰が俺一人で消化するって言った!そもそも貰って来たのは、冬馬兄貴じゃねえか」
「……それで?」
「貰って来た冬馬兄貴も一蓮托生だっつーの!」
「一蓮托生だなんて、くれた人に対して失礼じゃないか。訂正しなさい」
「……一緒に飲む?」
「……まあ、いいだろう。それで?どうやって飲むつもりなんだ?」
冬馬の言葉に不服を抱きつつも、和磨には牛乳を飲むことに関して一つ提案があった。
手にしていた高級感のある牛乳パックを作業台に置き、食器棚に移動すると、そこからマグカップを2つを取り出して牛乳の置かれてある作業台へと移す。そしてコンロ下にある小さな片手鍋を取り出した。
「ああ、そうか。ホットミルクにするのか……」
和磨の行動を一部始終見ていた冬馬は、鍋とマグカップで何をするのかを察知した。
「ホットミルクにすれば、継ぎ足しで牛乳入れて舌も焼けずったりしないし、一気に消化出来るじゃねえか」
そう話しながらも、和磨は手際良く鍋の7分目あたりまで牛乳を入れ火にかける。
「そうだ。せっかくだから、砂糖なしで飲んでみないか?」
高級感のある牛乳なのだから、それなりの味はするだろうと、冬馬は言葉を付け足した。冬馬の言葉に素直に応じた和磨は、出来上がった牛乳を2つのマグカップに注ぎ、注ぎ足しで牛乳を入れた後それぞれ口にした。
「何かこれ……」
「ああ、高級感がある割には、味が薄いな……」
牛乳パックのパッケージとは裏腹に、中身の味は彼らの舌には合わなかったようだ。さすがに我慢して飲み干すには抵抗があるため、残りの分は砂糖を入れることを冬馬は提案した。
和磨は冬馬の提案に頷くと、コンロ脇に置かれた調味料の中から砂糖を取り出し、彼らが使っていたマグカップに砂糖を1杯ずつ入れ、再び口にする。
「砂糖を入れたホットミルクは、甘くて味がまろやかだ……」
和磨の行動を横目に、以前普段買っている牛乳で作った時の記憶を遡り、あの時味わった同じ舌触りを思い出した冬馬は感嘆な声をあげた。そんな他人に任せっきりの態度を取る冬馬を横目に、残った牛乳を同じ動作で温めマグカップに注ぎ、砂糖を入れた後、継ぎ足しで牛乳を入れる。
「お前たち、キッチンで何をしているんだ」
ホットミルクが出来あがったと同時に、夕飯の片付けが終わっているにも関わらずキッチンにいる冬馬と和磨が気になった惣司が、パジャマ姿の状態で入って来た。どうやら今しがたまで入浴していたのだろう。惣司の肌はほんのりと赤く、フレームのない眼鏡が曇りかけていた。
「あ、惣司さん。今日、職場の人から期限が今日の牛乳を貰ったんだ。それをホットミルクにして飲もうって事になったんだよ」
キッチンにいる理由を簡単に説明した冬馬は、作業台に置かれた牛乳パックを手に取り惣司に見せる。曇りがかっている眼鏡では見えづらいはずなのだが、普段目にしている牛乳とは違うと判断し、「俺も一杯いただく」と言いだした。
それを聞いた和磨は、一瞬むっとした表情をしたが、ちらりと自分の手に持ったマグカップを見た。
「入れたばかりだから、これ飲めよ。カップ俺のだけど……」
温かいうちに飲めという合図から、和磨は自分用のカップを惣司に渡した。
和磨の心境を知ってか知らずしてか、惣司は和磨から渡されたカップに一口口にする。
「ふむ……これがプレミアムな牛乳の味か……」
口からマグカップを離した惣司の言葉は、感心ともとれる声音だった。
一瞬、冬馬と和磨の脳裏に一つ疑問が浮かんだ。
ホットミルクを作る際、彼らは砂糖を入れる習性がある。その起源が、冬対策で寝つきが良くなるという話を聞いてから始まったことだった。それ以来、冬でなくともホットミルクを作るという行動に出る時は、必ず砂糖がついてくる。
それを惣司も知っているはずなのだが、この時ばかりはどうやら違う。
惣司はホットミルクを作っている過程を見ていない。その上、牛乳が普段口にしているものとは違うと認識している。
「おい、冬馬兄貴……もしかして、惣司兄貴……」
「もしかして……ではないだろうな……あの感じは……」
耳打ちする形で、和磨は冬馬に確認をする。
もしかしたら、惣司はあのマグカップの中に砂糖が入っていることを知らないことを。
冬馬と和磨が、ご機嫌でホットミルクを飲む惣司を見ながら、どう真実を切りだそうか思案し始めるが、思いの外惣司の行動は早かった。
「なかなかいい味をしているな。甘い上にまろやかな味わいだ……」
飲みほしたマグカップを洗い桶に入れ、水道の蛇口を捻ってカップに水が入るように入れると、そのままキッチンから立ち去った。
真実を切りだす前に、その場から離れて行った惣司の背中を眺めた後、冬馬と和磨は互いの顔を見合わせる。
「これが、本当のプレミアムな牛乳の味ってわけか……」
【終】