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ごったがえし  作者: やまぐち光緒
4/7

残夏

 じーくじーくと蝉が鳴いている。ガラス窓をすり抜けた雑音はこの狭い部屋を満たしてくれる。私は息を膝を抱えて息を押し殺すけれど、それでも口から空気の塊が零れ落ちてしまう。ついでに汗も滴り落ちて白いワンピースに染みを作る。


 窓を完全に閉めてエアコンも動いていないこの部屋は異常な蒸し暑さだった。脳みそも身体も溶けていると錯覚してしまうほどの灼熱。吐き気を催すような悪臭。私は部屋の隅っこで体操座りをして膝に顔を埋めたまま。お父さんは何も言わない。


 鼓動の音と呼吸の音、蝉の喧しい鳴き声。じりじりと畳を焦がす日光。


 耳元でぶーん、という音がした。顔を少しだけ上げれば、目の前をハエが通り過ぎて行った。私はその後を目線だけで追う。お父さんは何も言わない。


 汗が口元に流れてしょっぱい味がする。私は乾いた唇を舐める。今、私の中の水分はどのくらいなのだろう。この前、理科の授業の時に聞いた。人間の体は水分がほとんどなんだって。でも、私は水じゃなくて人間だ。もし完全な水になることができたら、この暑さともさよならできるだろうか。


 私は眠かった。どこもかしこもぐじゅぐじゅにとろけているので、こうやって瞼を閉じてしまえば二度と立ち上がれないかもしれない。頭が茹る。汗が流れる。眠れない私はまた目を開ける。


 突如、窓ガラスが盛大な音を上げて割れた。粉々になった破片が四方に散乱する。キラキラと反射しながら散った一部は私の足に細かな傷をつけた。今まで部屋になかった野球ボールがころころと畳の上を転がって、お父さんにぶつかって止まった。お父さんは何も言わない。


 蝉の声が鮮明になった。外では何人かの子供の声が聞こえる。しばらく騒いでいたけれど、やがて聞こえなくなった。そして、誰かが玄関の扉をノックした。


 私は立ち上がって野球ボールを拾い、玄関へ向かう。ドアスコープを覗くと、そこに立っていたのは同じクラスの武田さんだった。活発そうな眉毛が特徴的な子。私が扉を開けると、武田さんは顔を顰めた。


「……本当にこの部屋篠田さん家だったんだ。本当にこのアパートに住んでるんだね」


 武田さんは顔を顰めたまま続ける。


「窓ガラス割ってごめんなさい。今、みんなで遊んでたんだ……お家の人怒ってる?」

「ううん。寝てるから大丈夫だよ」

「怒ってない?」

「怒ってないよ」

「弁償とかしなくていいの?」

「いいと思うよ」

「そっかあ……」


 武田さんがホッとした顔をする。多分、弁償のお金と私のお父さんに怒られること、武田さんのご両親に叱られることを心配してたんだと思う。

 緊張が緩んだ武田さんは声をさっきよりも大きくしてしゃべりだした。


「ほら、うちの親って厳しいところあるからさ。こんなことバレたら何て言われるか……。篠田さん絶対に言っちゃダメだからね」

「言わないよ」

「ならいいんだ。……ねえ、篠田さん家、何か臭くない? 嫌な臭いするんだけど」


 武田さんはジロジロと私を見たり、部屋の奥を覗こうとする。私は汗を拭いながら答えた。


「自由研究、してるから」

「自由研究ぅ? ……ふーん。どんなことしてるかしらないけど早くしたほうがいいよ。もうすぐ夏休み終わるから」

「うん、そうだね」

「ま、あたしはもう終わったから関係ないけど。頑張ってね。じゃあバイバイ」


 武田さんはボールを受け取ると、軽く私に手を振ってみんなのところへ戻っていった。私はバタンと静かにドアを閉める。そして、また部屋の隅っこに戻って体操座りをした。


 お母さん。今日はとても暑い日です。本当にゆで上がってしまいそうです。あなたはどこか涼しいところにいるのでしょうか。私の身を焼かれるような熱さが、あなたにわかるのでしょうか。お母さん、ねえ、お母さん。


 蝉の声が段々と大きくなる。まるで私を責め立てるかのように、強く、激しく。部屋のハエはいつの間にか増えていた。ブーン、ブーン、と私を揶揄うように飛び回る。私は膝に顔を埋めた。お父さんは何も言わない。


 じーくじーくと蝉が鳴いている。

 



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