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ごったがえし  作者: やまぐち光緒
3/7

どちらが先に堕ちたのか

 

 彼女は沈痛な面持ちで言った。


 私、死にたいの。


 昼食を食べるには少し遅いと思われる時間。公園のベンチに僕と彼女は座っていた。彼女が放った言葉はこの子どもがはしゃいで遊んでいる光景には不釣り合いだった。さらりとした黒髪が俯きがちな彼女の顔にかかって表情はよく見えないが想像はつく。


 僕は内心、またか、と舌打ちしそうになった。この女はすぐに死にたがる。そのたびに、こうやって呼び出されて聞き飽きた言葉に優しい返事をしなければならないのだ。


「どうして?」

「どうしてですって? 分からない?」


 分かるわけがない。

 彼女は至って普通に生きている。誰かに虐められているとか、持病があるわけでもない。親は健在で、多くはないが友人も居て、それなりに社会でやっていけている。それにも関わらず、彼女は死にたがる。


「分からないよ。僕には君が人生に不満を持っているようには見えない」

「あなたなら、分かってくれるはずよ。時々、感じない? 自分は生きてちゃいけないって」


 今まで何回もこの言葉を言われてきたが生憎そんなことを思ったことはない。彼女は何故か自分と僕を同類だとみなしているようだが、こちらとしてはいい迷惑だ。そんなに人生に飽き飽きしているような雰囲気が出ているだろうか。


「多分、私は誰かの居場所を奪って生きているの。本当は私じゃない誰かがここに居るはずで、それが何かの手違いで私になったんだ」

「考えすぎだよ」

「じゃあ、何でこんなに息苦しいの? 米粒一つ噛みしめることにすら罪悪感を感じてるのよ。私じゃない。誰かから愛情を貰っても、憎まれても、何も、私のものじゃない。この世に私のものなんて何一つ無い」


 彼女は項垂れて、白く華奢な手を膝の上で握りしめている。その横にいる僕は目の前で餌を啄む鳩の数を数えていた。一応、話を聞いてはいたがそれよりも鳩の数を数えることのほうがまだマシに思えた。


 彼女は自分が誰かに成り代わっているという被害妄想に憑りつかれている。それで、その誰かも分からない相手とやらに申し訳なくなって死にたくなっている、と。整理してみれば案外簡単だった。

 別にそう思い込むのは勝手だが、問題は僕を巻き込むことにある。


「それで、死にたいってことか。でも、君は前から同じようなことを言っているよね。本当に死にたいなら半年前に君の死体が見つかってもおかしくないはずだけど?」

「……それは」


 彼女は言いにくそうに口を噤んだが、やがて小さな声で言った。


「怖い、から」


 呆れを通り越して笑いそうだ。怖い? 何を言ってるんだこの女は。


「何度も死のうとしたの。首吊りとか、飛び降りとか、色々試そうとして、でも、やっぱり足が竦んで。直前で怖くなって止めてしまうの。……自分でも甘えてるって分かってるんだけど」


 甘えてる、なのだろうか、それは。それでまとめることに物凄く異議を唱えたくなったが、黙っていた。余計ややこしいことになるのは間違いないからだ。こうやって話を聞いてやっているだけで十分過ぎると思うし、これ以上首を突っ込むのは御免だ。だからいつものように彼女を慰めるセリフを吐いて、さっさと退散して、見たかった映画を見に行こうと決めた。


 そのはずだった。


「お願いがあるの」


 彼女はポツリと呟いた。彼女が人に何かを頼むことは滅多にない。珍しい、と思って開きかけた口を閉じ、今日初めて彼女の話を聞く姿勢になる。だが、それは間違いだった。本当は耳を塞いで即刻立ち去るべきだったのだ。


 彼女は意を決したように言った。


「私を、殺して」


 頬の筋肉が固まった。


「私は自分じゃ死ねない。きっとそれは私が殺されなくてはいけないからなの。私は誰かを殺して生まれてきたから、死ぬときは誰かに殺されないといけないんだ。だから、私を殺して。お願い、あなたにしか頼めないの」


 いい加減、限界だった。このふざけた茶番を終わらせたかった。この女の言動は不快極まりないし、こんなことに時間を取られることも馬鹿馬鹿しい。

 今まで親切に根気強く話を聞いてやったのに。殺して、なんて言わなかったら、また話くらい聞いてやったかもしれないのに。


 僕はとびきりの笑顔で言ってやった。


「嫌だよ」


 彼女が弾かれたように顔を上げて、その小さい唇が動く前に言葉を続けた。


「まず、それをしたところで僕に何のメリットもない。君は死ねてハッピーかもしれないけど、僕は殺人犯になるだけだ。ハイリスクノーリターン。君の辛気臭い話を聞かなくていいっていうのは有りかもしれないけど、流石に釣り合わないだろう。それに、君には僕がわざわざ手をかける価値がない。刑務所にぶち込まれてもいいから君の願いを叶えてあげたい、なんて気にはこれっぽっちもならないね。もう一度言うよ。君には僕が殺してあげたいと思うほどの価値がない」


 彼女の元々色白な顔が更に白くなっていくのが面白かった。大きな黒い瞳は静かに伏せられる。そう、そうだよね。彼女は自らを納得させるように繰り返す。


「その通りだね。私にはこんなことを頼む資格もないね。ましてや、あなたの手を煩わせるなんて。ごめんなさい」


 震える彼女を見て満足感にも似た何かが込み上げてくる。小さくて今にも潰れてしまいそうだと思ったそのとき。ふと面白いことを思いつく。


 僕は悄然とする彼女の肩にそっと手を置いて微笑みかけた。


「……確かに、僕が殺してあげたいと思うほどの価値が君にはない。でも、逆に言えば、君にそれほどの価値があったら、君の頼みを聞いてあげたい、殺してあげたい、なんて気になるかもしれない」


 彼女はゆっくりと顔を上げる。不安げに揺れる瞳には優しく笑う自分の顔が映っていた。

 

「……ほ、ほんとに?」

「さあ。君次第じゃないかな」

「わ、私、どうすればいい? どうすればいいの?」

「そうだなあ」

 

 僕はわざとらしく首を捻って考える振りをする。その間も彼女は切迫した様子でこちらを見ている。あまりの必死さに笑ってしまいそうだった。


「……ああ、恋人とかいいんじゃないかな」


 さも名案だろう? という風に言ってみれば、彼女は目を見開いた。完全に予想外だったのだろう。驚いた表情のままこいびと、と反復する。


「そう、恋人。一番手っ取り早いんじゃないかな。可愛い恋人の頼みなら僕も聞いてあげられそうな気がするよ。幸い、僕は今付き合っている人もいない。うん、丁度いいね」

「……でも」

「これ以外に何か良い方法を思いつく? こうみえて僕は自分が好きになった人のことは大切にするよ。何よりも、ね」

「……」


 彼女は黙って考えていた。僕は急かさなかった。だって、答えは決まっている。

 やがて、彼女はゆっくりと口を開いた。


「……わかった。私、あなたの恋人になる。あなたに愛してもらえるよう頑張る」


 腹が捩れるほど笑いたい。こんな馬鹿げた話がこんなにも上手くいくのか。頭空っぽかこいつ。そんな内心を隠して僕は言う。


「そう、じゃあ今日からよろしく」


 僕が手を伸ばせば彼女は躊躇いながらもそっと握手した。想像以上に頼りない手で、少し力を入れれば簡単に折れてしまいそうだった。


 さあ、まずは映画でも見に行こうか。それから、死にたいって言うのを禁止にしよう。苛立つ仕草も不愉快な表情も全部全部止めるように教えよう。




 そうしたら、本当に君を愛してあげられそうだ。



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