お姫様になりたいの!
バン、という大きな音と共に部屋の扉が開いた。
「おにーちゃん!」
真っ赤なランドセルを背負った妹が勢いよく部屋に飛び込んできた。
「どうしたんだ妹」
「わたし、お姫様になりたいの!」
「そうかー」
教科書から目を離すことなく適当な返事を返せば、服をグイグイと引っ張られた。
「ねー聞いてる!? わたし、お姫様になりたいの!」
「えーあーうん、分かった分かった」
諦めてシャーペンを置けば妹は満足そうに俺のベットに座った。俺は回転式の椅子をぐるりと回して妹に向き合う。
「で、何だって? お姫様?」
「うん!」
何が楽しいのか、ニコニコと機嫌良く笑っている妹。この子は確かに夢見がちな性格で突拍子なことを言うがお姫様ときたか。
「どうして急に」
「あのね、今度学校でね、お芝居するの!」
「うん」
「それでね、お姫様の役があるの!」
「やればいいじゃん」
「でもみーんなやりたいって言うんだよ!」
「そうだねえ」
「お姫様は一人で十分でしょ?」
「うん、まあ、劇の内容にもよると思うけど……」
妹の表情は一転して不機嫌そうなものになった。ムスッと頬を膨らませて足をバタつかせる。おかげでハウスダストが出まくり。
「わたしがやりたーい! って言ったら男子何て言ったと思う!? ボシカテイは貧乏だから衣装用意できないだろって!」
「あー……それは確かに酷いなあ」
「うちは貧乏じゃないもん! お姫様はかわいくないと駄目でしょ? 私が一番かわいいもん!」
「おーおーそうだな、お前が一番かわいいよなあ、よしよし」
頭を優しく撫でてやれば、妹は少しは落ち着いたようだった。
「絶対お姫様がいい! ドレス着たい!」
「お前がお姫様になったらドレスくらい母さんがちゃんと用意してくれるよ」
「本当に?」
「まあクラスのみんなで話し合って決めな。もし違う役になっても、お姫様役の子に悪口言ったり、やりたくないとか文句言っちゃダメだよ。お姫様がいいかもしれないけど、他の役だって大事な役割なんだから」
「うん、でもそれはもういいの」
「うん?」
あれ、なんだか雲行きが不穏になってきたぞ。
「わたし、お姫様になりたいの」
「今言ってたな」
「そうじゃなくて、本当のお姫様になりたいの! 本物の! それで、わたしのこと悪口言った子はみんなドレイにするわ!」
「……おうおう」
話が変な方向に飛んだぞ。劇のじゃなくて本物のプリセンスになりたい、と。そんでクラスメイトを奴隷にする、と。
さて、どうしたものか。
「……奴隷はまず置いといて。お姫様っていうのはね、生まれたときからお姫様なんだ。みんなお城に住んでるだろ? ここは賃貸マンションだ」
「でもシンデレラは王子様に見つけてもらってお姫様になったもん!」
「玉の輿ってやつだな。だが、妹よ。お姫様は楽しいだけじゃないってことわかってるか?」
「ええ?」
眉を寄せて首を傾げる我が妹。素直な反応をしてくれるので話がしやすい。
「妹、お前が言ってるのは多分だけど童話とかのお姫様だよな?」
「うん!」
「まず、お姫様はかわいくないといけない。それが前提だ。お前はかわいいからその条件はクリアだ」
「うん、わたしかわいいもん」
俺が多少シスコンなことは否定しないが、贔屓目無しに客観的に見てもうちの妹はかわいい。ただ、それを母親と俺が言いすぎたせいで自分に自信有りすぎの女の子に育ってしまった。それは悪いことではないけれど、今後が心配なので少し軌道修正を図りたいところだ。
「そうなると、かわいいお前と結婚したいって言う奴がわんさか出てくる。でもお姫様は身分が高いからそうそう自由な恋愛はできないんだぞ? 他に好きな人がいても相手をその中から選ばないといけないんだ」
「王子様と結婚するからいいの! お姫様は王子様と結ばれるって決まってるんだから」
「その王子様が40歳くらいで加齢臭きつくて不潔な人だったら?」
「そんな人は王子様にはならないもん! 王子様は金髪で目が青くてイケメンだもん!」
「あーそうね。うん、そうだね」
王子様はかっこいいもんなあ。そういう概念だ。えーと、じゃあ、どうしよう次は。
「そうそう、社交パーティーにも出なくちゃいけない。マナーとかいろいろ大変だと思うけどなあ」
「それくらい簡単に覚えるわ。わたし、クラスで一番九九を覚えるのが早かったんだから」
「でもパーティーには嫌いな女の子がいるかもしれない。そんな子と仲良くできるか?」
「……できる」
「間があったぞ」
「わたしはプリンセスだもの。下々の言うことに一々怒ったりしないわ」
下々て。どこで覚えたんたその言葉。うーん、難しいな。女の子って口が達者なんだよ。どうにか納得させられないものか。
俺は一か八か、思いつきで言ってみた。
「じゃあお前動物に優しくできるか?」
「え?」
「お姫様っていうのはな大概みんな動物と仲良しなんだ。犬、猫、鳩、豚……もちろん蛙や虫とも仲良しにならなきゃいけないんだ。お前は蛙も虫も嫌いだろう。プリンセスはきっとゴキブリにもやさしーい言葉をかけるぞ」
「そ、そうなの? わたし、ゴキブリ苦手……」
妹はぶるりと肩を震わせた。想像するだけでおぞましいらしい。
「じゃあダメだ」
「ゴキブリに優しくするお姫様なんて見たことない! あんなの黒いし、バタバタするし、気持ち悪い……」
「プリンセスは差別しない。誰にでも手を差し伸べるんだ。お前も貧乏とか言われて悲しかっただろう? ゴキブリだって気持ち悪いとか言われたら悲しいと思うなあ」
「お兄ちゃんだってこの前ゴキブリ出たとき、聞いたこともないくらい酷いこと言ってたくせに……」
「お、お兄ちゃんは平民だからいいんだよ。とにかくだ。お姫様は人を貧乏だってバカにしないし、ゴキブリに気持ち悪いなんて言わない。とっても心が広くて優しいんだ。友だちを奴隷にしたいなんていう子がなれるとは思わないなあ」
「あ……」
妹はバツが悪そうな顔をした。思うところがあるのか、手をぎゅっと握りしめている。
「妹よ、気持ちは分かる。悔しかったんだよな、酷いこと言われて。それにお前は優しいから、貧乏だって俺や母さんを馬鹿にされたのも許せなかったんだよな。そうやって怒ってくれたのは嬉しいよ。でも、だからってクラスメイトを奴隷にするとか言っちゃいけないんだ。できたらその子のことも許してあげな。それが無理なら、その子の言うことなんて無視すればいいんだよ。悪口言われたって、涼しい顔してればいいんだ。うちは確かによそと比べたら貧乏かもしれないけれど、毎日楽しいし、幸せなんだから」
「……うん」
「あ、そうだ。お前がお姫様になったら俺と母さんはもうお前に会えないぞ」
「ええっ!? 何で!?」
驚きの声が部屋に響いた。妹は目を真ん丸に見開いて、口をぽかんと開けていた。
「だってお前はお姫様になるんだからな。俺と母さんは平民のままだ。身分が違うからそう簡単には会えないよ」
「お兄ちゃんもお母さんもお城で一緒に暮らそうよ! 絶対できるもん!」
「暮らしたとしても身分は変わらないからなあ。もう一緒にご飯も食べれないし、俺たちはお前に敬語を使わないとなあ。本当、他人みたいな関係になっちゃうんだよ」
「やだーーーーーーっ!! じゃあお姫様やめる! ならないっ!」
妹はベッドから立ち上がると俺に向かって突進してきた。抱き付いてきた時のあまりの勢いに、椅子が後ろに下がって机に当たる。その振動が腰に響いておうふとか変な声が出た。
「お兄ちゃんやお母さんと一緒がいい……。お姫様イヤ……」
「うん、俺もそれがいいな。みんなで仲良く暮らしたい」
ぎゅうぎゅうと引っ付いてくる妹の頭をそっと撫でたその時、隣人にうるせえと壁を叩かれた。すんません。
後日、妹は無事お姫様役になれたらしい。
母親が手作りした渾身の衣装を着て、満面の笑みを浮かべる妹の写真はリビングに飾られている。