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ごったがえし  作者: やまぐち光緒
1/7

飛行船


 最悪の一日だった、と振り返りながら自室のドアを開けた。


 まず朝。当たり前のように寝坊をして母親と喧嘩。授業中、分からなくて飛ばしたところを先生に当てられる。昼食時、男子が遊んで投げていた紙パックジュースが私の机に直撃。お陰様で教科書とノートが甘ったるい匂いに包まれた。帰りはトドメを刺してやるとばかりに電車内で痴漢に遭った。


 一体、私が何をしたってんだ。苛々としながら冷蔵庫から取り出して持ってきたバニラバーを口に咥える。床に転がっていたミニラジオを拾い上げて適当に弄れば、スピーカーから軽快な音楽が流れてきた。いかにも爽やか系です、といったメロディーラインが気に食わないが妥協する。


 赤いスカーフを放り投げ、スカートを脱いでベッドに身を投げる。上半身は白いセーラ―服で下は水色のパンツという酷い恰好だが誰も見てなければ問題ない。家で、それも自分の部屋でくつろがないで、一体いつくつろぐというのか。


 ラジオを胸の上に乗せてしばらくぼーっと天井を見上げていたが、ピコンとどこからか間抜けな音が聞こえてきた。仕方なくスカートを拾い上げ、のそのそとポケットから携帯情報端末を取り出す。画面には友人からのメッセージが表示されていた。


『彼氏と喧嘩した』

『何でいつもこうなるんだろ』

『私ばっかりが好きなのかな』

『あの人の気持ちがわかんない』

『もうダメなのかも』


 知、る、か。収まってきていた苛々が再度込み上げてきて頭がズキズキと痛みだした。お前、それ言ってんの何回目だと思ってんだ。それを言って私にどうしてほしいんだよ。最初の頃は慰めたりしたけど、いつまでもそんなんなら別れろ。面倒くせえ。


 見なかったことにして端末を手放した。ぐりぐりとシーツに頭を擦りつけても苛立ちは逃げない。脳みそがキュウキュウと痛みを訴えてくる。最近、本当に腹が立つことばかりだ。自業自得なこともあるけれど、それにしたって多すぎる。いつか血管が切れて死んでしまわないか不安になる。そんなくだらない死因はごめんだ。


 とにかく今は少しでも気分をスッキリとさせたい。少し風に当たろう。そう思ってベッドから起き上がり、窓ガラスを開けてベランダへと出る。外はとっくに暗くなっていて夜風が丁度いい具合に涼しさを運んでいた。時々、車のエンジン音が聞こえるだけで辺りはひっそりとしている。近くの点滅を繰り返している街灯に虫が群がっているのが見えた。


ひやりとした風が頬を撫でて、ついでに頭の中も整理してくれる。少しずつ熱が治まりだしたころに、ようやく自分の恰好のみっともなさに気づいた。みっともないというか間抜けすぎる。誰かに見られたら通報されるだろうか。まあ人通りなんてほとんど無い場所だし、暗いから見えないだろう、大丈夫大丈夫。


 手すりの上に顎を乗せてアイスを舐めながら遠くにある光の海を眺める。赤、青、黄金。夜になると都会は一層華やかだ。色鮮やかに輝いて、賑やかで。けれど、私の想像以上に神経をやられる事ばかりなんだろうな、とも思う。煩わしいことばかりで、騒がしくって夜も眠れないんじゃないだろうか。こんな風にパンツ丸出しで夜風に当たるなんて、できないんじゃないだろうか。それは気の毒なことだ。


 ふと何かが近づいてきた気配を感じて上を見れば、左の空から何か巨大なものがやってきていた。飛行船だった。久々に見た気がする。こんな都会から離れたところにも来るのか、と少し驚いた。パチパチと電球が点滅を派手に繰り返し、有名な保険会社の広告をしている。巨大なフォルムは少しの不気味さを感じさせたが、真っ暗な夜空をゆったりと漂うその姿はまるで鯨だった。


 あの高さから下を見たらどんな景色なのだろう。都会の街並みだったらさぞ綺麗だろうが、こんな人の少ないところだったら本当に真っ黒なのかもしれない。いや、やっぱりぽつぽつと家の灯りが点いているのだろう。それは本当に小さいものだけれど都会とはまた違う良さがある、はず。だって、人の営みの証に違いはない。


 何も言わずに飛行船はただのんびりと泳いでいく。どこに向かっているのだろう。あんなに派手な装飾をして煩わしくはないのだろうか。それは無機物だからそんなこと感じないのだろうけど。でも、飛行船なんてもっと身軽でいいのになあ。


空を泳ぐ鯨に、私は何となく手を振ってみた。仕事頑張れよ、行ってらっしゃい、とかそんな感じの適当な、漠然とした感情を込めながら。こんな恰好で手を振っているものだから本当に変質者だと言われるかもしれない。けれど、ふよふよと漂うようでしっかりと進んでいくあの飛行船を見送るくらいは許してほしい。重たい装飾を身につけて広い荒野を行く姿に、私は、不覚にも親近感を覚えてしまったのだから。


 暫く飛行船を見送った後、開きっぱなしになっていた窓から部屋へ入る。そのとき、とっくに食べ終えてガジガジと未練たらしく噛んでいたアイスの棒を見た。ふやけてひび割れた表面には、『当たり』の文字が残っていた。




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