テトラ89
しばらく困ったように考え込んでいた女性は、考えが纏まったのか口を開く。
「深淵種というのは、本来形が無いのです」
「形が無い? でも、その水晶の欠片を所持しているという存在はそこに居るのですよね? 話から避難者か何かと一緒に居るのだと思いましたが?」
どういう意味だろうかと、ヒヅキは首を傾げる。ごく狭い範囲でしか動いていないうえに、魔族の所持者と近い位置に居ると女性は言っていた。そういったところから、何処かに避難でもしているのだろうとヒヅキは考えていたのだが、もしかしたら違うのかもしれない。それに、形が無いのであればどうやって水晶の欠片を所持しているのだろうか。
「確かに形は無いのですが、ですが形はあるのです」
「どういう意味ですが?」
ますます訳が分からないとヒヅキが怪訝な表情を浮かべると、女性は足を止めてヒヅキの方へと振り返る。
「一言で言えば、相手を模すのです」
「相手を模す?」
よく解らないので、ヒヅキは女性の言葉をそのまま返した。それに女性は頷くと、自分を指差し、その指でそのままヒヅキを指差す。
「例えば私が深淵種だったとしますと、今この場で貴方の姿を模して、私は貴方にそっくりな姿形になるのです」
「つまりは相手の姿を真似るという事ですか?」
「真似ると言いますか……いえ、その認識で間違ってはいません。ただ、完全にそっくりになる訳ではありません」
「そうなんですか?」
「はい。もっとも、かなり稀に本人そのものと言えるほどの姿になる場合もあったそうですが、それも何億何十億という途方もない数と遥かな年月の間に数件程度確認されただけですので、本来は存在しません」
「なるほど」
かつて居たという深淵種の数については不明だが、それでも当時居た世界中の存在を精力的に幾度も模したという訳ではないだろうから、その年月だけでも悠久と呼べるほどなのではなかろうか。女性の話を聞いたヒヅキは、ふとそんな事を思った、
「とはいえ、むしろその逆の方が多かったのですが」
「逆ですか?」
「はい。対象とは似ても似つかないような姿になる場合です。まぁその結果として、エルフだドワーフだ獣人だと、様々な種が生まれたのですが」
「そうなんですか?」
どういう意味だとヒヅキは首を傾げる。右に左にと傾げすぎて、別の意味で頭が痛くなりそうなほどだ。
「深淵種とはそういった種族なのです。一説には、相手の心を映す存在だと言われていましたね」
「心を映す……?」
「昔々の話になりますが、この世界が出来て間もない頃、この世界には数えるぐらいの種族しかいませんでした。それにどれも現存している種族とは違った姿で、能力も色々でした――」
そう言って女性が語るには、この世界に元々居た数少ない種族の内の1つが深淵種らしく、その深淵種は他の種族のああなりたいこうなりたいという願望を写し取り、その形の無い身体を相手の願う姿に変えていったのだという。
その結果として、爆発的に種族が増えていった。ただ、それでも相手の願望を模しただけなので、多くても数体しか存在しないので、それも次第に減っていく。
だが、中にはその姿を保ったまま子孫を残す事に成功した者達も現れ、その結果として生き残った種族が現存している種族なのだという。
「ふむ。では、元々居たという他の種族は?」
どんな形であれ深淵種が残ったのであれば、他の種族が生き残っていてもおかしくはない。そう考えたヒヅキが女性にそれを問うと、女性は皮肉のような苛立つような悲しげなような奇妙な表情を一瞬だけ浮かべた。
「滅びましたよ。子孫を繋いだ幾つかの優秀な深淵種と共に」
「争いか天災でもあったのですか?」
種族が滅んだという事は、余程大規模で徹底的な争いがあったか、自然災害や病などの超常的な何かが起こったのだろうと考えたヒヅキの問いに、女性は肯定とも否定とも付かない顔をする。
「争い……そうですね、確かに争いがありました」
「そうだったのですか」
「ええ。神を相手取った壮絶な争いが」
「え!?」
やはり争いで滅んだのかとヒヅキが頷いたところで、女性が苦々しい口調でそう付け加えた。




