テトラ26
そんな女性の様子を見て、ヒヅキは視線を月へと戻す。
月に浮かぶ黒点は更に少し移動したように思えたが、やはり気のせいのような気もする。このままじっと見ていてもよく分からないので、ヒヅキは月を指差しながら女性へと問い掛ける。
「月に見えるあの黒点ですが、少しずつ動いていませんか?」
そのヒヅキの問いに、女性は月へと視線を向けたまま頷く。
「ええ。あれは乗り物ですから」
「乗り物?」
ヒヅキは目を細めて黒点を凝視するも、あまりにも距離があって判別できない。雲に隠れるところを見るに、遥か上空か遥か彼方の空を移動しているようだ。
「神の乗り物、と言っても今代の神が乗るのではなく、その神が創造した存在が移動の際に使用している乗り物ですね」
「神が創造した存在……ウィンディーネのような存在ですか?」
「ええ、まぁ。しかしあれは低空ながらも飛行が可能ですし、そもそも地上を進むのを好む。それに、それでいながらもかなりの速度で移動出来るので、ああいった乗り物は使用しませんね」
「では、あれには誰が?」
「名は時代によって色々変わっているので、現在どう呼ばれているのかは分かりませんが、あれを使用しているのは大体同じで、昔はサラマンデルと呼ばれていた存在ですね。移動がとにかく遅いので、ああいった乗り物を使用しませんと移動もままならない鈍足な存在です」
「なるほど。それでは、あれは何処かに移動していると?」
「もしくは迎えに行っている最中か、ですね。あの乗り物は自動でも動きますので」
「はぁ。空を飛べて自動で動く、便利なのですね」
「そうですね。神の乗り物と呼ばれているだけあるということでしょう」
女性の言葉に、ヒヅキは頷く。空を飛ぶのも自動で動くのも、どちらも聞いたことのない技術。魔法道具の中には浮くことが出来る物も存在しているらしいが、それでも頑張って人の身長ほどの高さまでで、あれほど高く飛べるものではない。それに、かなりの距離があるというのに移動しているのが解るという事は、あの乗り物は一体どれ程の速度を出しているというのか。
「それで、あれを使ってサラマンデルとかいうのは、何処へ向かうつもりなのでしょうか?」
「さぁ? ただ、サラマンデルは攻撃的ではあるけれど、積極的に攻撃を行うような性格ではなかったはずですが」
「では、単なる移動でしょうか?」
「可能性はありますが、神の命令という可能性もありますからね。もしくは、住処の環境が変わったか」
「住処の環境?」
「最近はスキアが世界を荒らしていますから。サラマンデルは比較的人に近い神として存在していましたから、近くに住んでいた者達が死に絶えたとかではないですかね?」
「なるほど」
ヒヅキは頷くが、別段その話に何も思わない。その程度の話など、今の世の中には溢れかえっている。既に国が幾つも消えているのだから当然だろう。
しかしそうなると、サラマンデルの移動先には生き残りが居るという事なのだろう。あれが送っているのか、迎えに行くのかは知らないが、まだ完全には世界は亡んでいないらしい。
「ですがまぁ、あの乗り物を使用したという事は神の知るところになったという事ですが、移動先を許容したという事なのかどうか……ふむ」
小さくそう零した女性は、顎に手を当てて思案する。仮に移動先に居るという生き残りを神が許容したというのであれば、そこは安全地帯になるのだろうか? いや、そもそもそうするのであれば、最初から住処周辺を襲わなければいい話だが。
(まぁ、それも憶測でしかないのだが)
実際のところは何も分からないが、それでも少しずつ世界は動いている様であった。
(さて、次はどう動くのやら。こちらの動向ぐらいは把握しているのだろうし)
月を睨みながらそう思うも、ヒヅキでは結局何も出来はしない。あとは女性次第なのだろうが、今のところ神による妨害が無いところを見るに、女性の復活を待っているのか、はたまた興味が無いのか。
そんな事を考えたところで、少しの脅威にもならないという可能性だけは勘弁してほしいがと、ヒヅキは小さく苦笑した。




