ガーデン8
「シンビさん、御父様は今家に居ますか?」
アイリスは思い出したかのように、シンビに父親の所在を問い掛けた。
「旦那様でしたら先ほどまで書斎の方にいらっしゃいましたよ」
アイリスのその問いを予想していたのか、シンビは淀みなくそう答える。
「そうですか!良かったわ!シンビさん、ありがとうございます!」
アイリスは父親が在宅だったことが心から嬉しかったようで、花が咲いたような満面の笑みを浮かべた。
「さぁヒヅキさん!それではまずは書斎の方に向かいましょう!」
そう言って歩き出したアイリスは、まるで逃がさないとばかりにずっと掴んでいたヒヅキの腕を引きながら、屋敷の奥へとどんどん入っていく。
ヒヅキはそれに黙ってついていってはいたが、ずっと引かれている腕が気になり、離してもらえないかと口を開いた……のだが。
「……そろそろ」
腕を離してくださいませんか?そう続けようとしたヒヅキの台詞は、歩みを止めたアイリスの言葉によって遮られる。
「着きましたわ!」
嬉しそうに一度ヒヅキの顔を見ると、アイリスは黒檀で出来た重厚な威圧感のある書斎の扉をノックした。
「御父様、アイリスです!入ってもよろしいでしょうか?」
上品ながらもよく通るアイリスの声に、扉向こうから返事が返ってくる。
「失礼します」
アイリスは扉を静かに開けて室内に入る。ヒヅキもその後に続いて室内に入った。
室内にはどことなく厳めしい雰囲気を纏った男性が机に向かってペンを走らせていたところであった。
「おかえりなさいアイリス。何か面白いものでも見つけられたかい?」
その男は顔を上げてアイリスの姿を確認すると、先ほどの厳めしい雰囲気などは見間違いであったかと思うほどに目をだらしなく垂れ下げて破顔した。
「はい。色々な発見があった有意義な時間でした。そのお話は後でいたしますが、まずは御父様に紹介したい方をお連れしましたの」
「!!!!!!!!!!」
アイリスの言葉に、アイリスの父は目を限界まで見開き固まる。
そんな父親の様子など気にも留めずに、アイリスは斜め後方に立っていたヒヅキを手のひらで示す。
その瞬間、小心者なら気絶しそうなほどに鋭い眼光がヒヅキに向けられた。
「御父様、彼はヒヅキさんと言いまして、私の恩人の方ですの!」
アイリスの言葉を聞いて、ヒヅキに向けられていた敵意を通り越して殺意に近い眼光が消え失せる。
「恩人とは?」
「実はですね、街を巡っている最中にお母様の形見であるペンダントを落としてしまいまして。それで途方に暮れていた私にヒヅキさんがペンダントを見つけて届けてくださいましたの!」
百面相しながら感情を込めて語るアイリスに、その状況がありありと伝わったのだろう、アイリスの父親は一度深く頷くと、ヒヅキに向き直る。そこには先ほどまで殺意を向けていた人物と同一人物とは思えないほどに威厳のある大人の姿があった。
「娘から礼を言われただろうが、私からも礼を言わせてほしい」
そこで言葉を切ると、アイリスの父はヒヅキに向かって深く頭を下げた。
「妻のペンダントを見つけてくださりありがとうございます。あれは私にとってもとても大切な品です。何か私に出来る事がございましたら遠慮なく仰ってください」
先ほどまでと違って威厳ある大人に頭を下げられたことに、ヒヅキは内心で困惑する。
「どうか頭を上げてください」
ヒヅキの言葉を聞いて、アイリスの父はゆっくりと頭を上げる。
「何かお礼がしたいのですが、何か困っている事やしてほしい事はありますか?」
「お礼何てそんな!」
大したことをしていないというのに、ここに来てからずっとお礼を言われっぱなしの状況に、流石にヒヅキは恐縮していた。
「そうかい?君は欲がないのだね」
アイリスの父は小さく驚くと、軽く笑った。
その姿にはヒヅキも親しみを感じられた。