名も無き村にて5
「それでですね―――」
アーイスの言葉に、ヒヅキの意識が現実に戻ってくる。どうやら少々考え事に没頭し過るあまりに、アーイスの存在が意識から消えていたらしい。
ヒヅキは少々申し訳なく思いながらも、アーイスの言葉に耳を傾けた。
残りのアーイスの話は、もうすぐ村を出て森に入るということと、これから森を抜けるまでの注意事項などで、他はヒヅキにとってはほとんどが雑談のようなものであった。
「お時間ありがとうございました。それでは戻りましょうか」
そう言って家へと歩きだしたアーイスの後を、ヒヅキは少し遅れてついていく。
やっとこの森から抜けられそうであった。
◆
「それでは行ってくる」
アーイスは妻にそう告げると、ヒヅキとマリアを伴って村を出た。
最初はマリアも留守番をさせる予定であったのだが、どうしてもついていくと言って聞かなかったので、しょうがなく一緒に連れていくことにしたのだった。
「休憩が必要な時は遠慮せずに仰ってくださいね」
森に入って暫くして、アーイスはヒヅキにそう言葉を掛けた。
それにヒヅキは「分かりました。ありがとうございます」と軽く会釈を返す。
アーイスは慣れない森だからと思い、一応そう伝えはしたが、そんなに距離があるわけではないため、ヒヅキには休憩など必要ないのだろうなと感じていた。
何も言葉を交わさずとも、一緒に歩いていているだけで理解出来ることは意外に多いもので、休憩が必要ないというのもそのひとつであった。
というより、森に慣れているアーイスよりも、ヒヅキの方が歩みは軽快で速かった。案内をしているために何とかともに歩めてはいるが、そうでなければ容易に追い越されていたことだろう。
(まるで冒険者のようですね)
そんなヒヅキの様子に、アーイスはそう感想を抱いた。
(確か冒険者ではなく普通の人族の方だったはずですが……)
そこまで考えて、アーイスは何を今更と小さく笑う。
人族に限らず、一般の者がスキアを単独で倒せるはずがない。それも一撃で、だ。そんなこと大半の冒険者でも不可能なことだろうし、アーイスの知る限りではあるが、冒険者を含めても片手で足りる程度しか存在しない。それも一般で、と限定するとなると、該当者は一人だけだ。
「氷の女王か」
その一人の姿を思い出したアーイスは、我知らずその者の異名口にしていた。そんな自分に驚いたアーイスは後ろを振り返るが、幸い小声だったためにアーイスの後をついてきている二人の耳には届かなかったようであった。
その異名を誰が付けたのかはアーイスの知るところではないが、そう呼ばれていたのは、とあるエルフの少女であった。
(確かにあの子は他より別格の強さではありましたが……)
そこまで考えたアーイスは、その少女だけが扱える魔法を思い出して、恐怖からぶるりと身体を震わせる。
「お父様大丈夫ですか?お顔の色が優れませんが、どこか具合でも悪いのですか?」
隣まで近づいてきて、アーイスを気遣う言葉とともに、不安そうな表情で見上げてきた娘のマリアに、アーイスは笑顔で「大丈夫だよ」と返した。
そんなマリアのおかげで、アーイスは胸のうちに沸き上がっていた恐怖が薄れていくのを感じる。
(……………)
しかし、マリアの顔を見たことで、その恐怖の代わりに罪悪感が胸の奥深くまで突き刺さってくる。
アーイス自身が直接何かしたという訳ではないのだが、間接的にそのエルフの少女を殺しかけたということを、そのエルフの少女とマリアの年が近いからか、不意に思い出してしまったのだ。
「あとどれぐらいかかりますか?」
しかしそれも、少し後方からのヒヅキの問いにより、アーイスは自分が今何をしているのかを思い出したことで、記憶の片隅に追いやることが出来た。知らず知らずのうちに思考の海に沈んでいたらしい。
「そうですね、このまま行けばあと30分ぐらいでしょうか」
「そうですか、ありがとうございます」
ヒヅキが軽く頭を下げる。
アーイスはそれを確認すると、他に質問は無いと判断して前を向く。
もう少しで、ガーデン方面へと抜ける森の終端であった。