今際の際にて
森の中を駆けるヒヅキと、それを追いかけるスキアの速さはほとんど同じぐらいではあったが、場所が来たばかりの森の中ということもあってヒヅキの速度は若干鈍くなっていた。
それに引き換えスキアの方は地形などお構い無しの速さで猛追してくるので、必然的に両者の距離はじわりじわりと縮まっていた。これが二足歩行の方のスキアだったならば、もしかしたらヒヅキは逃げおおせたかも知れない。
それを理解したヒヅキは、森の中を逃げて30秒と経たない内に諦めて足を止める。
「ま、どちらにしろ詰んでるね」
ヒヅキはスキアが追いかけてきている方を振り返ると、手元にある唯一の武器である未だに腰間に差したままだった鞘を引き抜き迎撃の態勢を取る。
「中身で歯が立たなかった相手に包みでどうこう出来ないのは理解してるけど、残念ながら今は手元に他になにも無いからなぁ」
ヒヅキの前にスキアが迫る。止まる気配を感じられないところからみて、そのまま突進してくるのだろう。
「さぁ、刹那の悪あがきをしようかね」
ヒヅキは鞘を持つ手に力を込めると、スキア目掛けて力強く地面を蹴った。
ヒヅキとスキアが瞬きするより早く交差した時、ヒヅキはスキアの前足の部分に鞘をおもいっきり打ちつけたが、やはりなんの手応えも感じることなくあっさりと鞘は折れてしまう。
そのままスキアの後ろ足が迫り、ヒヅキはなんとか回避しようと横に跳ぶも、流石に回避行動を取るには遅すぎたために直撃こそ免れたものの、スキアの後ろ足がヒヅキを蹴り飛ばした。
そのままヒヅキは少し離れた場所の木まで蹴り飛ばされると、したたかに背中を打ちつける。ヒヅキを受け止めた木は余程頑丈なのか、みしりという嫌な音とともに軋みはしたが、それだけで折れるまでには至らなかった。それでも隣接する木に寄りかかるように傾いだ木は戻ることはなかったが。
そのままヒヅキは木の根元まで滑るように倒れ込むと、ピクリとも動かなくなった。
直撃を避けたとはいえ、スキアの一撃をまともに受けたのだ、スキアの強さを知るものならば、ヒヅキが欠損なく原型を留めているだけでも驚愕しただろう。
「……………」
それもヒヅキにまだ息があると知れば奇跡だと叫んだかもしれない。
しかし、全く動かない身体のなか、ヒヅキは己の最期が近いことを悟る。
やはり強さの次元が違ったのだ、届かないのは最初から知っていた。ならばこの結果はなるべくしてなったもの。――――だけど。
(せっかく旅に出れたのにな……)
ヒヅキの脳裏には送り出してくれた家族の顔が浮かぶ。それが霞むと子どもの頃の記憶に変わり、ヒヅキは悔しさを思い出した。
あれからいくら鍛えたところで結局何も成せなかったし、誰も救えなかった。
無意味な人生だったのかも知れないし、幸福に満ちた人生だったのかもしれない。今のヒヅキにそれは分からないが、1つだけ確かな事があった。それは―――。
(まだ死ぬわけにはいかない!)
せめて1つぐらい最後までやり遂げたいと思ったのだ、旅をではなく人助けを。
(今スキアを行かせたら俺はただの無駄死にだ!)
来た道を戻ろうとするスキアをぼやける視界で捉えたヒヅキは、その先を理解した。そして、それだけは嫌だった。何故だかそう思えた。
『そうか』
ゆっくり流れる世界を眺める自分だけの空間に、不意に誰かの声が混じる。
『では、どうするよ?』
聞き慣れない男の声がヒヅキにそう問い掛けてくる。
ヒヅキはその声が何なのか気にならなかった。そんなことは今はどうでもよかったから。
(どうするも何ももう終わるだけだ。もし何か願いが叶うとしたら、もう一度戦える身体と力が欲しいぐらいか)
『力が欲しいのか』
(ああ、スキアも倒せるだけの圧倒的な力が!)
『いいだろう。それで?対価に何を差し出す?』
(何でも。あれを倒せるなら俺の全てを差し出そう)
『全てとは大きく出たもんだな』
(どうせ死ぬんだ、何を惜しむ必要がある?)
『ふむ、そうか。………ま、冗談はさておき』
(……冗談?)
『そう殺気立つなよ、お約束だろ?何のかまでは知らんが。まぁとにかく、力が使いたいなら使えばいいだろう?』
(使う?)
『それはもうお前の力だろう?ならばお前の思うままに振るえばいい。……どこの誰に許可を取る必要があると?』
(意味が分からない)
『ああ、なるほど』
ヒヅキの返答に、声の主は即座に理解したような声音を出すと、何でもないことのようにこう言い放った。
『ならいつまでも寝てないで目を覚ませばいい、それで理解出来るだろうさ』