魔法道具62
「宿泊期間は、鍛冶屋の店主にお会い出来た後にお伝えします」
ヒヅキの言葉に、リケサは手をパタつかせて軽く笑う。
「それはいつでもいいよ。少なくとも、まだ一月以上先の分までは既に貰ってる訳だし。それに、ヒヅキなら特別に後払いでもいいよ」
「ありがとうございます」
リケサの言葉に、ヒヅキは頭を下げる。
「はは。気にしないでいいよ、信用してるし。それに他にお客さんも居ないからねぇ」
若干自嘲気味に小さく笑うと、リケサは一口料理を食べてから、口を開く。
「じゃあ、当分はここからアルコ様の御自宅との往復?」
「その予定です」
「そっか。大変だねぇ」
リケサの宿屋から氷の女王の自宅までは離れているが、普通に歩いて行っても、陽が沈むまでには余裕で往復可能な距離である。それこそ、子どもの足でも問題なく日中に往復可能な距離だ。
それでも、それを毎日往復するとなると話は変わり、結構な重労働となる。なので、それを平然と行うと宣言するヒヅキに、リケサが少々呆れたような表情になったのは致し方の無い事だろう。
「まぁ、時折鍛冶屋の様子も確認しに行きますが」
「今は独りでやってるからね。他に注文も無いだろうし、中々工房から出てこないかもね」
「やはり他の店員は避難しているので?」
「そうだよ。あそこは結構早くから避難しているね。それでも店主は頑固だからね、僕と同じで店から離れようとしないんだ」
リケサはおかしそうに笑うと、不意に手元の料理に目を落とす。
「やっぱり、思い入れがあるとどうしてもね……」
笑みを少し寂しそうなものに変えると、リケサは料理を口元に運んでいく。
「私としましては、お二方とも残っていてくださって助かりましたが」
そんなリケサに、ヒヅキが冗談っぽくそう告げる。
「はは。そうだね。他に営業してる宿屋も鍛冶屋もないからね」
楽しげな笑みを口元に浮かべたリケサに、ヒヅキも笑みを返す。
そのまま軽い雑談を交わしながら夕食を食べ終えると、ヒヅキはいつものように料理に対する感想と礼をリケサに述べてから自室に戻った。
自室に戻ると、ヒヅキは明かりを点けて椅子に座ると、読書を始める。いつまでこの宿屋に居るかは分からないので、念のために読めるうちに本を読んでおこうという思いからであった。
「ふむ。スキアに関するものは無いな。エルフの神についてもそこまで書かれてはいないし、やはり首都に在るという図書館に行かないといけないのか? しかし、首都に人間は入れないらしいし……」
読書をしながら、頭の片隅で困ったように考え込むヒヅキ。
「出来れば侵入はしたくないな」
目的のモノが必ずある訳でもないが、それでも正面から堂々と入るのは難しいために、ヒヅキはそんなことを呟く。
「まだ食堂にも少し残っているから、そっちかここの残りに何かあればいいけれど……」
ペラペラと紙を捲っていくと、それで早速本を一冊読み終わり、ヒヅキは本を机に置くと、顔を上げて外の様子に目を向ける。
「もう夜中、かな?」
採光用の窓から射しこむ光は、柔らかく優しい。それを確認したヒヅキは、驚くほど直ぐに時間が経過していた事実にひとつ息を吐くと、椅子から立ち上がりベッドに移動する。
「なんか、久しぶりに普通の生活を送っている気がするな」
これで何か仕事でもあれば単なる日常だろうと思いつつ、ヒヅキは目を瞑り、意識を闇の中に沈めていく。こんなにのんびりとして平和な日常というのは、ガーデンでシロッカスの仕事が終わり次の仕事を受けるまでの間以来か。その期間はそこそこ長くはあったが、それももう今は昔のことのように思える。数年前の出来事のはずなのだが、スキア殲滅や遺跡調査、竜神との戦闘など、その先に色々ありすぎて、もう大分記憶が薄れていた。