おつかい
カーディニア王国の国境警備軍に保護されたヒヅキは、最も近くに住んでいた身内で、父親の従兄弟に当たるヤッシュの家に引き取られた。
それから十五年、ヒヅキはヤッシュの家で農業を手伝いながら育てられた。
その家の手伝いの合間合間にヒヅキは色々な書物を読み漁り、様々な人と積極的に交流を持つことで可能な限りの知識を蓄えていった。それに並行して身体を鍛える事も忘れなかった。あの日、絶対に持ち得るはずがない力を振るったヒヅキは、少し落ち着きを取り戻した頃に気がついてしまったのだ、自分の中に何か別なものが存在しはじめたことに。そして、その力を十分に発揮するには今の自分ではまだまだ脆弱すぎることも。
その為の鍛練を続け、身体が鍛えられただけでなく、時が経つと共に幼かったヒヅキは肉体的にも成長し、あの頃に比べると随分と大きく、また逞しく育っていた。
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「そうだヒヅキ、明日にでも春に収穫した野菜なんかをまた隣町のチーカイに売りに行ってくれないか?帰ってくるまで畑の方は休みでいいからよ!」
感謝を捧げてから夕食を食べはじめた四人がそろそろ夕食を食べ終える頃になって、ヤッシュは思い出したようにヒヅキにそう笑顔で告げる。
「うん、分かった。また前回と同じでいいの?」
「ああ。というか、次で今回の売る分は全部だろう?」
「……うん、まぁそうだね」
ヤッシュの確認の問い掛けに、ヒヅキは思い出すような間を置いてから頷いた。
◆
翌日、太陽が昇るより前に畑に向かうヤッシュとアートと共に、村唯一の出入口―――対外的にはという意味で、他にいざという時の為に村人だけが知る隠し通路が存在する―――である北門からカイルの村を出たヒヅキは、そのまま北にある畑に向かう二人と門を出て直ぐに別れると、荷台に売り物の野菜を大量に積んだ荷車を曳きながらチーカイのある東へと足を向けた。
「明日にはカイルの村に帰れるかな?」
チーカイは一般的な村人の足ではカイル村から東へ歩いて約一日ぐらい掛かる距離にある町で、カイルの村があるエルフとの国境周辺では一番賑やかな場所であった。
その賑やかな理由は幾つかあるが、その中でも一番の理由は、チーカイの町にはカーディニア王国国境警備軍の砦の一つが併設されているからであった。何故なら、国境警備軍が近くで目を光らせているお陰で、賊がチーカイを襲う心配が殆ど無いからである。
そんなチーカイの町には周辺の村々から自然と人が集まり、通りではその集まった人々によって沢山の露店が開かれていた。それもまた、チーカイの名物の一つでもあった。
「少し早足で行くかな」
ヒヅキは荷台の野菜を気にしながらも、可能な限り歩く速度を上げる。
このチーカイへの野菜売りは、ヤッシュの家に引き取られてからのヒヅキの仕事であった。その理由は、ヒヅキが腰に差している剣にあった。チーカイの町およびその周辺には警備軍のお陰で賊は居ないのだが、それは付近の村を含めた国境周辺に賊が居ないという訳ではなかった。寧ろスキアと呼ばれている異形の存在が徐々にだが生息域を南に拡げてきているせいで、北部から押し出されるようにして国境周辺には年々賊が増えているような感じさえしていた。
しかし、踏み固められただけの道の上をただ荷台に野菜を沢山積んだ荷車を曳いて歩いているだけのヒヅキの姿を確認した賊らしき影は、その悉くがヒヅキを襲うどころか逆に賊の方が急いでどこかへと逃げていってしまうのだった。
「………さすがに懲りたようだね」
その様子を確認したヒヅキは、一応辺りを警戒しながらもサクサクと歩き続ける。
長年カイルとチーカイの間を往き来しているヒヅキは幾度も賊に襲われはしたのだが、その悉くを完膚なきまでに返り討ちにしていた。そんなことを繰り返しているうちに、現在のような状況になっていた。さすがに名が知れ渡ったのか、もうヒヅキを襲おうとする賊はこの辺りには殆ど存在していなかった。
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それからひたすら荷車を曳き続けること約半日、踏み固められただけだった道が石畳の道へと変わっていた。それはつまり、普通の村人が約一日掛けて歩くチーカイまでの道のりを、ヒヅキは荷車を曳きながらその半分程度の時間で難なく踏破した事を意味していた。
「さて、暗くなる前に少しは減らしたいところだけど……」
そのままチーカイの門を無事に通過したヒヅキは一度空へと視線を移し太陽の位置を確認すると、事前に商売をする許可を貰っている区画へと足早に移動をはじめた。
ヒヅキに割り当てられている場所は人一人と商品を少し置ける程度の広さのスペースで、商業エリアの広さより商人の数の方が多い現在、そこをヒヅキを含めた幾人かと共同で使用しているのだが、幸いにもヒヅキが到着した時にはそのスペースを使用している人は存在していなかった。
ヒヅキはそのスペースに持ってきた野菜の幾つかを荷台から急いで下ろして並べると、後方に用意されている商人用の通路兼在庫等を置けるようにと少し広めに設けられている道に荷車を停めて商売を開始した。