魔法道具32
「言っても言わなくても結局やることは同じなのだから、それは無駄じゃない? それに、最初に苦しいとは伝えたわよ?」
ヒヅキが何故そんな事を言い出したのか心底不思議そうに問い掛けるウィンディーネに、ヒヅキは疲れたように息を吐く。
「言われたのは少し苦しいでしたし、文字通り死にそうな苦しさはそれには含まれないでしょう。それに、多少の心構えぐらいはしておきたいのですよ」
「そんなものかしら? 何にせよ、やる事も結果も変わらないと思うけれど」
「…………感覚の違いは厄介ですね」
そもそも時間の概念からして違うのだ、感覚が違うなど当たり前の事なのだろう。
「あと、やっぱりヒヅキには魅了は効かないわね」
「……そうですか」
「ええ。私の力を直接注ぎ込んだというのに、何の変化もないもの。ちゃんと適応していながらも、変わらない。やはりヒヅキは特別ね」
とても嬉しそうなウィンディーネの言葉に、ヒヅキは嫌そうに頭を押さえてため息をつく。
「その辺りの説明も欲しかったですが……もういいです」
諦めたように首を振ったヒヅキは、疲れたように天井に目を向ける。
「そう経たずに朝になりそうですね」
入ってくる外の光がゆっくりと強くなってきているのを確認したヒヅキは、疲れたようにベッドに横になる。
「もの凄く疲れました」
「ふふ。そうね」
ベッドの縁に腰掛けているウィンディーネは、ヒヅキへと顔を向けながらそれに頷いた。
「……少し、寝ます」
「ええ。おやすみなさい」
ヒヅキはそう言い終わると、眠りに落ちていく。しかし、それはとても浅いモノであった。
「……相変わらず面白いわね。ふふふ」
それを見届けたウィンディーネは、小さく笑って姿を消す。それでも、近くに居るだけで、遠く離れるような気配はしない。
それから2,3時間ほどして、ヒヅキは目を開いた。
「朝、か」
睡眠時の周辺警固はウィンディーネに任せていたが、それでもヒヅキは目を覚ました後には、まず周囲を警戒して、薄く開いた瞼の隙間から視線を周囲に彷徨わせる。
「よく寝た………気がする」
上体を起こしヒヅキは、自分の身体を見下ろす。そこにはいつも通りの身体が在ったが、内側では変化が起きているのだろう。
ヒヅキは顔を上げて窓の方へと目を向ける。そこから射す光はまだ若干頼りないモノではあるが、もうすぐ一気に明るくなる頃合いか。
「朝食には少し早いか」
軽く伸びをしたヒヅキは、ベッドに座ったまま昨夜の事を思い出す。
(まさか、こんな急に変化するとはな)
意識を削られている自覚はあったものの、それはあまりにも緩やかなモノであった為に、ヒヅキは完全に油断していた。
(いくらウィンディーネの手助けが在るとはいえ、このままでは直ぐにまた取り込まれてしまうだろう。流石に次はないと思った方がいい)
だからといって対処法が無い以上、選べる手段はかなり少ない。ウィンディーネも全く答える気が無いようなので、情報もほとんど得られていない。
(では、どうするか。いつまでもウィンディーネが助けてくれる訳ではないのだから、今の内に何かしら手立てを考えておかなければならないが)
そうは思うも、己が身とはいえ、ヒヅキでは内側へ何かしら施そうと思っても、手がない。触れる事も出来なければ、中に居るという人物とも能動的に会話をするのも難しい。向こう側から話しかけてくる事は在っても、ヒヅキ側から話しかける事はほとんど出来ていないのだから。
(そもそもからして、ここに誰が居て何をしているのか)
ヒヅキは自分の内面の世界についてよく知らない。ウィンディーネも教えてはくれなかった。
なので、どうするかと思案していると、部屋の扉が叩かれリケサが朝食の準備が出来たと報せに来る。
それに返事をしてから窓の方へと目を向けると、そこにはすっかり明るくなった外の世界があった。
(いつの間に……!)
そのことに内心で驚きつつ、ヒヅキはベッドから降りて部屋を出ていく。
そのまま食堂へと移動すると、朝食を机に並べ終えたリケサが、席に座ってヒヅキの到着を待っていたところであった。