魔法道具15
「ああ、そうだ!」
笑みを浮かべていたリケサは、何かを思い出してその笑みを引っ込める。
「お風呂屋は今営業していないけれど、沐浴はどうする? 寒くなってきたし水浴はお勧めしないけれど、かといってお湯と布ぐらいしか用意できないし……うーん、それか家のお風呂に入る? 今僕しか居ないし」
ここの宿屋に風呂は無い。しかしそれは、客用の入浴施設が無いだけで、宿屋の従業員用は別に在る。というよりも、ここは家族経営なので、ここで言う従業員用の風呂とは、リケサ達家族の風呂だが。
「よろしいのですか?」
「一人で入る為にお風呂を沸かすのも勿体ないからね」
エルフの国は、町の近いところに河が流れているが、町のすぐ近くには生活用水として使用する為に、その河から引いた水が一時的に溜めてある場所があった。
風呂に入る場合はそこから水を持ってきた後、火を熾して温める必要がある。
エルフは火を熾す魔法程度であれば誰でも使える為にそこは問題ではないが、水の運搬に掛かる労力と、水をお湯にする燃料の確保には結構な負担がかかる。なので、エルフの国でも風呂は贅沢品に分類されるが、それでもカーディニア王国ほどではない。
とにかく、それだけの労力を費やして、風呂に入るのが一人だけというのはあまりにも贅沢だろう。
「では、御言葉に甘えまして」
「うん。まぁそんなに頻繁には沸かせないけどね。僕は火の魔法はそこそこ使えるし、湯を沸かす木なんかも十分在るから沸かすのは問題ないんだけれどもさ」
そこで区切ると、リケサはやれやれと首を振る。
「水を町中まで引けばいいのにね。この騒動が終わったら上申してみるかな」
「風呂屋は引いていませんでしたか?」
町にある風呂屋にだけは、外から水が引かれている。燃料となる木なども常時確保されているようなので、大きな風呂を毎日沸かすことが出来ていた。
「あれは公共施設だからね。収入源の1つだし」
「ああ、そうだったのですね。では、水を引くのは難しいのでは?」
「まぁ、お風呂屋からの収入は減るだろうが、その分ウチのような宿屋にお風呂を設置できるから、全体としては売り上げが伸びる可能性があるし。そもそも、お風呂屋と個人では浴室の広さからして違うからね、そこまで問題ないと思うけれど」
「なるほど。そうなんですね」
「ま、この状況を打破できるのなら、だがね」
苦笑するように肩を竦めたリケサは、スキアを撃退できるとは考えていないように見えた。
「……そうですね」
なので、ヒヅキはそれに合わせるように儚く微笑み返す。
「それじゃあ、夕食食べ終わったらお風呂の湯を沸かすよ。水は運んでおいたからね」
「お願いします」
「先に入る?」
「いえ、リケサが先で」
「そう? ならそうさせてもらうよ。入り終わったら呼びに行くよ」
「はい。お願いします」
話が纏まると、リケサは残っていた夕食を急いで食べ終える。
「じゃ、お風呂の用意をしてくるよ。食べ終わったら食器はそのままでいいからね」
そう言い残すと、リケサは自分の分の食器が載ったお盆を手に奥へと消えていった。
「…………」
リケサを見送ったヒヅキは、特に急ぐことなく食事を再開する。
程なくして食事を終えると、ヒヅキはリケサに言われた通りに食器をそのまま机に置いた状態で食堂の外に出て自室へ戻る。
「はぁ」
自室に戻ったヒヅキは、ベッドに腰掛けひとつ息を吐き出した。
「スキア、ね」
「あら、どうかした?」
実体化したウィンディーネが、ヒヅキの隣に腰掛け問い掛ける。
「……いえ、今は何処に行ってもスキアが居るんだろうなぁ、と思いまして」
突然現れたウィンディーネに諦めた目を向けたヒヅキは、先程の話を思い出しつつ呟いた。
「そうね。ヒヅキがやったように、一度でも撃退出来れば当分居なくなるのでしょうけれど、こればっかりはしょうがないわね」
「スキアとは必要ない限り関わりたくないのですがね」
「神の意思だからね。そうね、どうしてもスキアを追い払いたいのであれば、神を倒すしかないわよ?」
ウィンディーネの発言に、ヒヅキは苦笑する。
「竜神にすら勝てなかった私が神に勝てる訳ないじゃないですか」
「うーん…………そうね?」
疑問形で同意するウィンディーネに、ヒヅキは疲れた息を吐き出した。