氷の女王
カーディニア王国の南方に位置し、カーディニア王国とほぼ同程度の広大な国土を有するエルフの国は、その国土の八割以上が森で、残りもほとんどが長大な河であった。それ故、エルフは自然と共に在る種族であり、エルフの住居は木の上や中に造られている。
エルフという種族の特徴を分かりやすい部分で上げるとすれば、人間よりも長く、それでいて先の尖った耳と宝石の様に美しい容姿だろうか。
それでいて長命種で、人間の寿命がおよそ50年と言われるなか、エルフはその倍以上は軽く生きる。更には老化が極端に遅く、産まれてから死ぬまでの間のほとんどが青年期でもあった。
国としては、エルフは特に魔力の扱いに長けているので、簡単な魔法さえ使えないエルフを探すのが難しいほど。かといって、優秀な魔法使いばかりかと言えばそうではなく、魔法の扱いではなく、あくまでも魔力の扱いに長けているだけであった。
それでも、その技術を用いた魔法道具の製作は他国よりも優れており、魔法道具はエルフの国の代名詞にもなる事があるほど。
そうして魔法道具を巧みに操るエルフ自体も身体能力が高く、それ故に国の軍事力は高いが、エルフは長寿だからか、他の種族よりも子どもの数が若干少ない。なので、個の質は高くとも、数では他国より僅かに劣る。
そんな精強で名高いエルフ兵ではあったが、現在は何処からともなく現れたスキアの大群に襲撃され、多くの町村を失っていた。抵抗してはいるが、精強なエルフ兵でも、スキア相手では分が悪い。それでも、今のところ首都とその周辺の町村は死守していた。
それが出来たのは、偏にエルフ王の娘の側近を務めるエルフの女性のおかげであった。そのエルフは、現在救国の英雄と讃えられ、一部では氷の女王と敬意を以て呼ばれている。
しかし、それだけの功績がありながらも、氷の女王の名はあまり知られておらず、皆エルフ王の娘であるイハが付けた俗称であるアルコと呼んでいた。
そして、一部のアルコの名を知る者達は、その名を絶対に口にはしない。もしもその名を口にした事がアルコの耳に入ろうものなら、問答無用で殺されてしまうから。それはアルコの主人であるイハや、エルフ王ですら例外ではない。
アルコはそれが赦されている唯一の存在であった。それだけ彼女は強く、特にスキアに襲われている現状においては、何をしても留めておきたい存在であった為に。
◆
エルフの国の首都は、大樹の中に出来た空洞に築かれている。
その大樹は、数万のエルフが生活出来るだけの大きさがあり、天にも届きそうなまでに背が高い。
「おはよう。アルコ」
大樹の中に何層にも築かれている町の最上階にある王宮の廊下で、赤色の優雅な服に身を包んだ女性が、廊下の窓から外を眺めていた、長身で冷めた表情をした女性に、笑顔で声を掛けた。
「おはようございます。イハ様」
アルコはイハの方へと顔を向けると、無表情のまま、平坦な声で挨拶を返す。
「何を見ていたのかしら?」
そんな態度などまるで気にした様子もなく、イハはアルコの横に並び、窓の外に目を向ける。
「森です」
「そうね。この国は森ばかりですもの」
「そろそろ家に戻ってもよろしいでしょうか?」
「何か不満でもあったかしら? 貴方が望むモノは出来るだけ叶えるように手配していたと思うけれど?」
「家に帰る。今はそれ以外に望みなどありませんよ」
「……ここだと不自由がないと思うのだけれど、相変わらず貴方はここではなく、あの町に帰りたがるのね」
「私の家はあそこだけです」
頑ななアルコに、イハはアルコの住まいを思い出す。
アルコの住まいが在るのは、首都から離れた場所に在る、そこまで大きくない町の外れの方であった。数年前まで浮浪者のたまり場になっていた場所の近くで、二人で寝泊まりするのがやっとなぐらいに狭く、およそ英雄と呼ばれる者の住まいとは思えない粗雑な場所。
それを思い出したイハは、飾り気の無いアルコが唯一身に付けている、胸元に鈍く輝く物に目を向ける。それはどう見ても安物のネックレスであった。
「……狭い方がいいのかしら?」
対して王宮に用意しているアルコの部屋はイハの寝室の隣に在り、そこはとても広く、数十人で遊べるほどの広さがある。
「そういう訳ではありません」
「では、王宮の何が気に入らないのかしら?」
「王宮が気に入らないのではなく、あの場所に居たいのです」
「理由を聞いてもいいかしら?」
「話したところで、私はここには住みませんよ」
「……そう。残念だわ」
「それでは、私は家に戻ります。ここからでは遠いので、何かあっては護れませんので」
そう言うと、アルコは一礼してイハの前から去っていく。
「あの町が好きなのね」
アルコの言葉にイハはそう思い、特に深く考えることなく、思わずその背にそう声を掛けてしまった。
「ッ!!」
それにアルコは僅かに足を止めると、顔を少し動かして一度イハを視界の隅に捉えただけで、直ぐに前を向いて歩き出す。
しかし、そうして僅かにアルコに視線を向けられたイハは、その視線のあまりの鋭さに、一瞬鼓動が止まったような感覚を抱いた。