斜陽54
ヒヅキは風呂から上がると、着替えを済ませて荷物を片付けてから、背嚢を手に脱衣所を出る。
「御召し物をこちらに」
「……いえ、後で自分で洗いますので」
脱衣所の外で待っていたプリスが、両手を差し出しそう言って来たので、ヒヅキは直ぐにそれを断った。
「しかし――」
「それに、殿下にお会いしましたらガーデンを出ていくつもりなので、ここに長居するつもりも御座いません。ですので、洗濯物が乾く間もないでしょう」
「…………左様で御座いますか」
少し間を置いたプリスは、残念そうな感じを滲ませつつ、納得する。
「それでは、食堂まで御案内致します」
そう言ってヒヅキに背を向けると、プリスは通路を歩き出す。ヒヅキはその後に大人しくついて行く。
食堂前まで無言のまま移動すると、扉を開いたプリスが、ヒヅキを中へと誘導する。
プリスの誘導に従い、ヒヅキが中に入ると。
「おぉ、やっと来たか。遅かったな」
何かの書類なのか、紙を片手に持ったままのエインは顔を上げると、そう言ってヒヅキを迎えた。
「もうお越しになっていたので」
「ああ。君に会いたくてサッサと仕事を終えてきた……と言えればよかったのだが、この通りまだ少し残っていてね。君を待つ間、ここで処理させてもらっていたのだよ」
手にしている紙を軽く掲げてひらひらと揺らすと、エインは決まりが悪そうな笑みを浮かべる。
「そうでしたか。私でしたら夜中でも構いませんでしたのに」
「私が早く君に会いたかったのだよ。それにそんな事を言いつつ、少し遅れただけで君は直ぐに何処かへ行きそうだしな」
「そんな事は――」
「あるさ。前は私に直接何も言わずに出ていったしな!」
エインは不貞腐れたようにそう言うと、少し顔を横に逸らす。そんな子どもの様な仕草に、ヒヅキは思わず失笑してしまう。
「む! 笑ったな!」
それに鋭い目を向けるエインではあるが、別に怒っている訳ではないのは一目瞭然であった。
「申し訳ありません。ですが、今回は殿下にお会いするまで出ていくつもりはありませんでしたよ」
そんなヒヅキの言葉に、エインは胡乱な目を向ける。
「本当か? どうせ、内心直ぐにエルフの国に行きたいとでも思っているのであろう?」
「…………」
「図星か……はぁ。君の考えが少しは解るようになってきたが、もう少し私も大切にしてほしいものだ」
疲れたようにため息を吐くと、エインはヒヅキに自分の隣の席を勧めつつ、食卓の上に広げていた書類を手早く片付ける。
「ほら、いつまでも立ったままという訳にもいかないだろう。私もお腹が空いたし、早く席に着いたらどうだ?」
それにヒヅキは一瞬迷ったものの、大人しくエインの隣の席に腰掛ける。それを見届けたプリスは、夕食を持ってくるために一旦食堂を出ていった。
背嚢を足元においてヒヅキが隣に腰掛けると、エインは徐にヒヅキの手を取る。
「うん。……確かに君だ」
掴んだヒヅキの手を、エインは大切な物でも扱うかのように両手でそっと持つと、手の甲に置いた親指を確かめるようにゆっくりと動かしながら、しみじみとそう呟いた。
「どうしました? エイン」
「ッ! まったく、相変わらず君は卑怯な男だな!」
「そうですか?」
エインは顔を薄っすら赤くして俯くと、直ぐに睨むような上目遣いでヒヅキに目を向ける。
「そうだとも! 久しぶりなんだから手加減ぐらいしろ!」
「はぁ……? 分かりました」
「その様子だと分かっていないな」
呆れたようなエインの言葉に、ヒヅキは先程の出来事を思い出しつつ、頭を回転させる。そうして少し考えたところで、前にエインとしたやり取りを思い出した。
「プリスさんが出ていかれて二人きりでしたから、つい。殿下を付けた方が良かったですか?」
「……エインのままでいい」
ヒヅキの問いに、エインは拗ねたように視線を逸らすと、小さくそう口にした。