斜陽32
「お帰りなさいませ。ヒヅキさま」
まだ空が薄暗い早朝にシロッカス邸へと戻ってきたヒヅキを、玄関でシンビが出迎えてくれる。
「朝早くからお疲れ様です。シンビさん」
既に起きて掃除をしていたらしいシンビへと、ヒヅキはそう労いの言葉を掛ける。
「これも大事な私の仕事で御座いますから」
ヒヅキの言葉に、シンビは笑みを浮かべて、礼をするように軽く腰を曲げた。
そんな会話の後、朝が早いと思いつつも、ヒヅキは一応シンビに、シロッカスが起きているかどうかを尋ねる。
それにまだ寝ているとの返答を得ると、ヒヅキは少し考え、厚かましいと思いながらも、待つ間休ませてもらえないかと尋ねてみた。
「勿論で御座います。以前と同じように、ヒヅキさまの御部屋の用意は済んでおります」
そんなヒヅキの要請に、シンビは直ぐにそう応えると、中へと案内するような手振りをみせる。
「ありがとうございます」
ヒヅキは感謝の言葉と共に軽くお辞儀をすると、シンビの案内で家の中に入り、部屋へと向かう。
「御風呂は御用意には時間が掛かってしまいますが、御湯と布でしたら直ぐに御用意出来ます。如何なさいますか?」
ヒヅキを以前と同じ部屋へと案内したシンビは、最後にそう確認する。
それにヒヅキは一度自分の身体を確認すると、お湯と布の用意をお願いした。
「畏まりました。準備いたしますので、少々御待ち下さい」
お辞儀をして下がっていったシンビを待つ間、ヒヅキは窓へと近づくと、それをゆっくり開け放つ。
その後に背嚢を降ろしたヒヅキは、背嚢の汚れや損傷などを確認してから、窓の外で軽く汚れを払って、足下に置く。
「……静かなものだ」
人の起こす騒めきがあまり聞こえてこない薄暗い窓の外の光景に、ヒヅキは心地よい風に目を細めながらそう呟く。
「以前の出立前は賑やかだったが、やはりこれぐらいが丁度いい」
遺跡調査を行う前に見た景色を思い出したヒヅキは、小さく感想を漏らすと、疲れたように息を吐き出した。
「この景色もこれで見納めだな。流石に今回は色々と不味いだろう」
肩を竦めたヒヅキは、窓から見える範囲の景色を脳裏に刻むように、端から端まで見渡す。
今回ヒヅキは、ガーデンを襲撃しようとしていた軍を壊滅させた。それだけであれば問題ないのであろうが、その際、自らの手で王族を二人殺めている。なので、ヒヅキはシロッカスに軍を殲滅した事だけ伝えて、さっさとこの国を去るつもりでいた。
(元々その予定であったしな。ヤッシュさん達の方は……多分問題ないだろう)
ヒヅキが王族殺しを行った事を知っている者は限られている。外界とあまり交流を持たない名も無き村の住民と、エインとその周辺だけだ。それに今からシロッカスも加わるが、ヒヅキはそれであれば問題ないと判断する。しかし、だからといって、この地に留まる理由にはならないが。
そんな事を考えていると、部屋の扉が叩かれる。出てみると、少し熱めの湯の入った桶と、綺麗な手ぬぐいを持ってきたシンビの姿があった。
ヒヅキがそれらを受け取ると、使い終わったら廊下にでも出しておいてくださいと言い残して、シンビは戻っていく。
それを見届けて扉を閉めたヒヅキは、室内で服を脱いで、湯に浸した手ぬぐいで身体を清めていく。それで思った以上に湯が汚れたところで、清拭を終える。
ついでに固く絞った手ぬぐいで背嚢も軽く拭くと、冷めた湯の入った桶に手ぬぐいを掛けて廊下に置いておく。
そこまで終えたヒヅキが窓の外に目を向けると、外は大分明るくなり、窓の外からは喧騒が僅かに聞こえてくる。
(そろそろだろうか?)
一時期この屋敷で暮らしていただけに、ヒヅキはもうすぐシロッカスが起きて話ができる頃だろうかと予測を立てる。
それから程なくして、予想通りにヒヅキを呼びにシンビが訪ねてきたので、その案内に従い、ヒヅキはシロッカスの書斎へと移動した。