宿屋にて2
パタリと本を閉じると、ヒヅキはもう一度表紙を確認して首を捻った。
「この本はいったい………」
その本には何処にも著者名などは無く、誰がいつ何のために書いたのかを示すものは何一つとして見つけられなかった。
「あの、この本をどこで……?」
ヒヅキは店主にそう問うも、店主は「さぁ、忘れたね」 と答えるだけであった。
「……………」
ヒヅキは本へと視線を落とす。
正直、何を伝えたいのかは分からなかったが、何故だかヒヅキはその本に惹かれている自分がいることに気づく。
「それで、どうするんだい? 買うのかい? 買わないのかい?」
店主のその問いに、ヒヅキはハッとして顔を上げると、
「いくらですか?」
その本を購入したのだった。
余談だが、本はだいぶ普及しているとはいえ、まだまだ貴重品で、少し値の張る代物であった。そのことを踏まえてみても、この「時を越えた旅人」 の値段は少々高いもので、ヒヅキは値引き交渉を試みてはみたが、結局そこまで安くはならなかったのだった。
ヒヅキが本を購入したころには、時刻は昼になろうかという時間で、そろそろいいかと考えたヒヅキは、宿屋に戻ることにした。
ヒヅキが宿屋に戻ると、赤髪の男性以外は起きていた。
ヒヅキは桃茶色の髪の女性と青髪の女性にも挨拶をすると、互いに自己紹介も済ませた。桃茶色の髪の女性がサーラで、青髪の女性がルリというらしい。
それが済むと、ルルラが未だに寝ている赤髪の男性の元に歩み寄り、「そろそろ起きなさい!」 と、耳を引っ張って強引に起床させた。
「いたたたた!な、なんだよ一体………」
赤髪の男性は飛び起きると、突然の出来事に驚いて辺りを警戒するように見回す。
「ル、ルルラか………いきなりどうしたよ?」
微笑を浮かべながら傍らに立っているルルラの姿に、赤髪の男性はホッとしたように息を吐くと、訝しげにそう問い掛けた。
「ヒヅキさんがいらっしゃってるわよ、いつまでも寝てないでさっさと起きる!」
そんな赤髪の男性を叱りつけるかのようにそう告げる。そしてルルラはヒヅキの方へと身体の向きを変えると、申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさいね、彼が寝坊助なせいですっかり待たせてしまって」
ルルラのその言いように、赤髪の男性は少々なにか言いたげな表情をするも、ルルラが視線を赤髪の男性に向けるとすぐに神妙な顔つきになった。
赤髪の男性は現在の時刻を知るためにチラリと窓の外へと視線を向けると、
「あー、その、わざわざ来てくれたのに寝こけててすまなかったな。………昼飯は食べたのかい?」
太陽は中天に差し掛かり、すっかり昼の明るさになった外の様子に何を思ったのか、赤髪の男性は精一杯の優しい笑みを浮かべてそう語りかけてくる。
「いえ、昼食はまだです。それに、こちらに来る日付や時間は特に決めておりせんでしたので、こちらこそ、突然の訪問になり申し訳ありません」
ヒヅキは赤髪の男性にだけでなく、この場に居る冒険者全員に深々と頭を下げた。
ヒヅキ自身、少し早かっただろうかという思いがあっての謝罪だったのだが、それに慌てたのはサーラとルルラ、ガザンの三人であった。特にヒヅキをソヴァルシオンに誘った張本人であるサーラの驚いたような困ったような慌てようは、―――彼女には申し訳ないが―――少々見ものであった。