ガーデン防衛20
「まだ戻っていない?」
「はい。シロッカス殿の屋敷へ向かわせた使いの報告では、昨夜からヒヅキ様はお戻りになられていないそうです」
「……そうか。まあそれでもまだ一晩だ。どこかで休憩でもしているのであろう」
エインは手元の書類に目を通しながらプリスにそう返事をする。
「それにしても、こんな時まで書類仕事をさせられるとはな。それで、第二王子の動向はどうなっている?」
興味のないような事務的な口調の問いに、プリスは即座に返答を寄越す。
「あの王子は逃げる準備は整えたみたいです。自分の配下や女に家具などのお気に入りの持ち物はいつでも用意してある馬車に詰め込んでガーデンを脱せられるように手配を済ませております。南の門兵に手回しをしているところから、南側から脱出する予定かと」
「それで、いつ逃げる?」
「不明です」
「早く逃げればいいものを」
「それと」
「ん?」
「あの王子は母親も一緒に連れていく予定で、母親もそのつもりだとか」
「……はぁ!?」
エインは素っ頓狂な声を上げると、書類仕事をしていた手の動きを止めて、思わずプリスに信じられない事を聞いたという間抜けな表情を向ける。
「そして母親は夫、カーディニア王も引き連れようとしています。それと第一王子も」
「何をやっているんだあの王妃様は!? あれがかつて才色兼備の賢女と謳われた女性だとは……して、二人の反応は?」
「王も第一王子も流石に王都は捨てられないようです。少なくとも、スキアと戦うまでは逃げるつもりはないかと」
「それならばいい。最高責任者が敵前逃亡したとあっては笑い話にもならないからな」
エインはあまりにも馬鹿馬鹿しい事態に、思わず頭を抱え込んだ。
「しかし、どれだけこの国の根幹は脆くなっているのか……ああ、早くこんな王族などという呪いは解きたいものだ……いや、もうこの騒動が一息ついたら私は家を捨てよう。私如きが居なくなったからとて大した事にはならないだろう。むしろあの馬鹿どもは喜んでくれるだろうさ」
「その時は是非とも御供させてくださいませ」
「給金は出ぬよ?」
「構いませんとも」
「そうか。ならば好きにしろ」
「はい」
エインは小さく笑うと書類仕事を再開させる。
「そういえば、他の後継者候補たちはどうなっている?」
「王位継承権が2桁台の方々は、そのほとんどが親類縁者を頼り、ガーデンの外に身を置いております」
「その辺りはそもそも大半がガーデンに居なかったからな」
「王位継承権第4位から第9位までの一桁台の方々は、現状逃げる準備をする者や戦う用意をしている者とで半々といったところです」
「次期王はほぼ第一王子で決まっているからな。逃げる者はさっさと逃げて欲しいものだ。スキアとの戦闘の邪魔になりかねん。彼が虚言や大言の類いではなく、文字通りに命を懸けてくれているのだ。それの邪魔をするというのであれば、先にその愚か者どもを始末してしまいたくなる」
感情を窺えないその声音は、エインの本音のように聞こえた。
「その時はどうぞ私めに御命じ下さい」
「ふ。君の本職は侍女だろ? 物騒なものだ」
「はい。ですが、御存じの通りそういう方面の副業も少々嗜んでおりますれば」
「ああ、その時は頼むよ」
「御意に」
プリスは承知したとばかりに恭しく頭を下げる。エインはそれを一瞥して直ぐに手元の書類に視線を戻した。