旅路64
顔に水滴が当たる。それは雨が降ってきたからか、はたまた弾けた波の粒が風に乗って飛んできたからなのか。
頭上からは威嚇するようにゴロゴロと大きな音が届くが、まだ雷光は見えていない。いや、時折雲間に明滅する青白い光は確認出来た。
女性の方はまだ時間が掛かりそうなので、ヒヅキは風の結界でも展開させようかと思ったが、やめておく。荒れた海というのは、それはそれで何か出てきそうな雰囲気があるので、五感の多くを制限してしまう風の結界を展開させるのは躊躇われたのだった。
周囲を探ってみるも、ヒヅキの感知範囲には今のところ何の反応もない。海中は調べにくいものの、それでも地中よりかはマシ。
(魔物が多いと本には書いてあったのだがな……)
昔に読んだ書物を思い出したヒヅキは、未だに魔物の気配を感じ取れない状況にやや裏切られたような気分を抱く。
とはいえ、魔物が襲ってこない状況というのはむしろ歓迎すべき事なので、それを表には出さないが。
遠くの方で海と空を繋ぐ太い柱を目にする。それも3本も。
『大きな竜巻ですね』
『そうだね。距離があるから大丈夫だけれども、あれが近くで発生されると厄介だ』
『はい』
ヒヅキの視線の先に気づいたフォルトゥナが、ヒヅキに声を掛ける。それにそう返しつつ、ヒヅキは周囲に目を向けてみる。
航海の経験が無いのでヒヅキでは何も分からないだろうが、待っている間暇なので何となく。
ヒヅキには関係ない作業なので、女性の作業が終わるのを待たずに船室に戻ってもいいのだが、海上という特殊な環境はそうあるものでもないので、ヒヅキとしては現在の状況を暇だが楽しんでいた。
そうして周囲を見回していると、とうとう雨が降り出してくる。直ぐにザーザーと降り出した雨だが、フォルトゥナが直ぐに頭上と周囲に空気の膜を張ったので、ヒヅキ達は濡れずに済む。
空気の膜で周囲の音がある程度は遮られてしまうも、雨音がうるさいので丁度いい。むしろもう少し音を遮ってもいいかもしれないほど。
雨脚は段々と強くなっていく。視界も悪くなっていく中、空気の膜の中でも女性は変わらず周囲を探っている。
「ん?」
視界の大半を雨で遮られているなか、ヒヅキは遠くの方で何か大きなものが動いていたような気がした。もしかしたら魔物かもしれないが、厚い雲に覆われている為に周囲が薄暗いので見間違いという可能性もある。相手はヒヅキの探知魔法外なので、真相は分からなかった。
そうしているうちに女性の方は終わったらしく、手の光を消してヒヅキ達に話し掛ける。
「ここには無いようですね」
「そうでしたか。ですが、こんな場所に無かったのはよかったのかもしれませんね」
もしも海上に道が在った場合、行きはいいが帰りはどうなっているか分からない。時の流れが神の住む世界とこの世界で同じとは限らないが、もしも同じであれば、船を停泊し続ける人員は必要だっただろう。特にこんな嵐の中で停泊し続けるというのは難しそうだ。神を斃して戻ったら船が無かったでは困ってしまう。
「そうですね。まぁその時はその時で大丈夫でしたでしょうが」
そう言って軽く肩を竦めると、女性は「戻りましょうか」 と告げて歩き出す。ヒヅキ達もそれに続いて船室に入った。
三人が船室に入ると船が動き出す。徐々に船の速度が上がっていくが、ヒヅキは土砂降りの中で視界はちゃんと確保出来ているのだろうかと少し心配になった。
しかし出来る事もないので、部屋に戻り魔法で軽く身を清める。服も着替えた後、折角なので魔法で洗濯して奇麗にしておく。洗濯は水で洗って乾かしてと、幾つかの魔法を行使する必要があるので、結構魔法の練習になる。
洗った後の汚水をどうするかだが、それは甲板の方から海に捨てておいた。魔法で水分を飛ばして残ったモノを焼き払ってもいいが、それでも完ぺきに何も無くなるわけではない。
もっとも、フォルトゥナが一緒に居るので、水を捨てなくても消滅魔法を使用してもらうという手もあるにはあるが、あまり気乗りしないのでヒヅキは頼まなかった。
そうして洗濯を終えて片付けも済ませた後、ヒヅキはフォルトゥナと分けて干し肉を齧る。
いつ食べても美味しい干し肉なので、女将はいい仕事をしたようだ。ただ、最近干し肉が減ってきたのが少し気になった。量としてはまだまだ大量に在るのだが、それを把握していても、空になった小袋を見るとどうにも不安を駆り立ててくる。
かといって今出来る事もないので、食事を終えたら頭を切り替えて静かに過ごすことにした。




