旅路35
「ああ、やっと会えました」
戸口に立つ女性に、ヒヅキは笑いかけるように声を掛けると、そのまま入り口へと移動する。
「何か私に用事でもありましたか?」
ヒヅキの言葉に、女性は自分に何か用があったのだろうと思い、首を傾げる。しかし、特に何か用があった訳でもないので、ヒヅキは一瞬言葉に詰まった。
「いえ、何か用があった訳ではないのですが、こちらにいらしているという事で、漁村と言うのですか? に興味があったものですから、ついでに見て回ってみようかなと思いまして」
「そうでしたか。何か気になるモノでもありましたか?」
「いえ、これといって特には。大体の物は持ち出された後のようでしたし」
「まぁそうですね。ここは襲われた訳ではありませんし」
「そのようですね」
がらんとしている家の中を振り返ったヒヅキの言葉に女性は頷く。
家の中の一切合切を持っていったという訳ではないが、残っているのはゴミのような物とか何に使うか分からないような物など、明らかにどうでもいいような物ばかり。
それで何か気になったかと問われても、興味を惹かれるというほどの物は何も無かった。
そこまで考えて、ああそういえばとヒヅキはひとつ思い出す。
「ここの広場の隅に海神か何かの像がありました」
ヒヅキの言葉に、女性は何の事を言っているのかと思い出すように僅かに視線を動かした。
「ああ、あの石像ですか。確かに海神と言えば海神ですね」
「海神ではないのですか?」
思い出したような女性の言い方が気になってヒヅキが問うと、女性は小さく首を振る。
「いえ、海神ですよ。少なくともここの者達はそのつもりだったでしょうから」
「では、実際には違うのですか?」
「違うという訳ではないのですが、正確にはそういう側面も一応持っているというぐらいでしょうか」
「どういう事ですか?」
「実はあの海神ですが、別名にウィンディーネという名前を持っているのですよ」
「え?」
「つまりあの海神の像は、ヒヅキもよく知っているあのウィンディーネの別の姿なのですよ」
「そうなのですか……」
女性の言葉に驚きながらも、そういえばウィンディーネは様々な姿になれるのだったなと思い出した。ヒヅキが一緒に居た頃の美しい女性の姿もそのひとつに過ぎない。本来の姿は別だと、以前エルフの国で教えられた気がする。特に興味もなかったので、あまり気にしてはいなかったが。
「あれは水全般を司っていますからね、海水もその範囲内という事なのでしょう」
「なるほど」
「でもまぁ、あの姿は面白かったですが」
石像の姿を思い出したのか、女性はふふふと小さく笑う。
あの石像の人と魚を混ぜたような姿というのは、ヒヅキの知る美しい女性の姿からはあまりにもかけ離れているので、ヒヅキは女性の気持ちも分からなくはなかった。
「ウィンディーネも含めた亜神達は元々定まった形を持っていないので、どんな姿でも正しく、また間違ってもいますからね」
「そうなのですか?」
話の流れから、ヒヅキはウィンディーネの元々の姿というのに僅かに興味を示す。
「ええ。あれらは言ってしまえば、自然そのものに意思を持たせたような存在ですからね」
「自然そのものですか?」
「ええ。ウィンディーネの場合は、水に意思を持たせた存在です。それに自身で形を作ったのが、ヒヅキの知るあの姿という訳です。他にも様々な姿をしていたようですが、ここの石像もそのひとつですね。何を思ってあの姿を取ったのかは不明ですが」
「なるほど。だから水を司ると」
ヒヅキが納得するようにそう口にすると、女性はそうですよとでも言うように微笑みを浮かべる。
それからも少し話をしたが、いつまでもそうしている訳にもいかないので、ヒヅキ達はとりあえず休憩場所に戻る事にした。




