旅路30
それからも森の中を進んでいくも、強烈な甘い匂いの元は発見出来ずに匂いの範囲外に出る。
しかし、まだ鼻に匂いが残っているのか、匂いの外に出たというのに、ヒヅキは未だに鼻に匂いが纏わりついているような気がした。
それもしばらく経つと収まり、土と緑の混ざった森の匂いを鼻で感じられるようになった。それにホッとしつつも、先程まで感じていた匂いが気になったので、ヒヅキは歩みを少し速めて知っていそうな女性の近くに寄ると、気になった匂いの事を問い掛けてみる。
「先程まで漂っていた甘い匂いは何の匂いかご存知ですか?」
「あれは花の匂いですね。確か食肉花の匂いだったかと」
「食肉花ですか?」
返ってきたそのなんとも物騒な名前に、ヒヅキは首を捻る。匂いを感じている間は発生源を求めて周囲を見回していたが、木と土ぐらいしか見当たらなかった。
「ええ。食肉花にも種類が幾つかありますが、匂いだけで何の種類か特定出来るほど私も詳しくはありません。しかし、あの思考に霞を掛けるような甘ったるい匂いは食肉花の匂いで間違いないでしょう」
「それはどんな花なのですか?」
「名前の通りに肉食の花です。まぁ、正確には肉も食べる花なのでしょうが、その辺りはどうでもいいですね」
女性の言葉にヒヅキは頷く。肉が主食かどうかは別にどうだっていい話だろう。
「あの花は地面に埋まるようにして咲く巨大な花で、匂いで誘き寄せて足からがぶりと食べますね。花弁の中央には鋭い歯が並んでいますので、まぁ落とし穴みたいなものです」
「そんなもので誘い出せるのですか?」
ヒヅキは少し前に嗅いだ甘い匂い思い出し、あれ程広範囲に匂いが充満していては難しいのではないかと疑問に思った。
その疑問を察したのだろう、女性は僅かに苦笑を浮かべて口を開く。
「あの場所には食肉花が大量に咲いていたようですからね。本来であれば、あそこまで広範囲に匂いが漂っているものではありませんよ」
「そうなのですか」
「ええ。その分漂っている匂いも濃かった気がしますので、あそこは風通しがあまりよくないのかもしれませんね」
「ふむ。それにしても、それだけ大量に咲いているという事は、あの辺りには動物が沢山生息しているという事なのでしょうか?」
「可能性はありますが、確実ではないでしょう。先程言いましたが、食肉花は肉も食べる事が出来る花なので、肉が無くとも問題ないといえば問題ないのです」
「なるほど。では、土の栄養価が高いという事なのでしょうか?」
「そう考えるのが妥当かもしれませんが……それにしては数が多かった気がしますね。食肉花が固まって咲く事は珍しくはないですが、それでもあれだけ咲くのは見た事ありませんね」
「そうなんですか」
女性は長い間旅をしているだけに、様々な事を見聞きしている。それこそ世界中を巡ったのだろうが、それでも知らないという事は、相当珍しいのだろう。もしくは本来であればあり得ないか。
どちらにせよ、異常事態ではあるらしい。もっとも、花が沢山咲いている以外には何の異変もなかったが。もしかしたら放棄された町のように、既に何かが起きた後なのかもしれない。現状の滅びゆく世界を思えば、あながち間違ってはいない気がする。
「なんにしても、もう通りすぎましたからね。気にする必要もないかと。ああそれと、食肉花はあの匂いを香油としても使われますね。男性用と女性用で配合が異なりますが、異性を誘引する匂いとして重宝されているようで、花を持っていくだけで高値で買い取ってもらえますよ。割と危険で希少な花なので」
「なるほど。初めて聞きました」
「まぁ、あまり表には出ない品ですからね」
苦笑するように肩を竦める女性。調合するとどんな匂いになるか分からないが、それでも少し前に嗅いだ匂いとそう変わらないのであったならば、ヒヅキ個人としては避けてしまうかもしれないなと思ったのだった。




