表と裏と
翌朝、ヒヅキは目を覚ますと一度視線だけを動かして周囲を確認すると、二度、三度とぎゅっと力強く目を瞑っては開いてを繰り返してからむくりと上体を起こした。
「ここも変わらないな」
昨夜と違い、窓から射し込みだした朝日によって闇が薄くなってきた室内を見渡したヒヅキは、懐かしさのにじむ呟きを漏らした。
「さて、洗面所に行くか」
長年の習慣でほぼ朝日とともに起きたヒヅキは、ツグとミーコを起こしてしまわないようにと足音を忍ばせて洗面所へと移動する。
「…………さすがにもう、これも見慣れたものだな」
目の前の鏡に人当たりの良さそうな笑みを浮かべた男の姿が映ると、ヒヅキは感情を感じさせない声音でそう呟きを漏らした。
「約十四年か、アンタとも長い付き合いになるな。だけど、人の一生ってやつを考えるとまだまだ全体の半分にも満たないかも知れないんだよな」
ヒヅキはそのままため息でも吐きそうな口調でそう呟くと、手元に置いてある手桶で洗面台の隣に置かれている水瓶から水を少しだけ掬って、それを洗面台に設置されている少し小さめの桶に移すと、その水で気分を切り換えるように顔を洗った。日中あまり日が当たらない部屋だからか、水が少しだけ冷たかった。
「さて、どうしたものか……」
勝手知ったるなんとやらというやつで、洗顔後にも静かに家の中を移動して、寝起きにやることを一通り済ませたヒヅキは客室に戻ると、窓際に置かれている椅子に座りながら外の方へと視線を向ける。
外は太陽が昇ってきてはいたが、まだ辺りは少し暗かった。
外のその様子を確認したヒヅキは、困ったように考えだす。
「無言で出ていく訳にはいかないし、かといってわざわざ起こすのも申し訳ないし、置き手紙だと次に会った時に小言を言われそうだし……う~~ん、さてどうしたものか」
普段通りならミーコは夜遅い分、昼頃にならなければ起きては来ないのだが、ツグは朝には出掛けるので、食事を用意する時間を考えればもう少ししたら起きてくる頃合いのはずではあった。
「………あぁ、朝食の用意をしてれば良かった」
そこでふとそう思い立ったヒヅキは立ち上がろうと腰を浮かすが、ガチャリと、普段は聴こえないであろうその小さな音が、殆ど無音に近い空間に鳴り響いた。
「………起きたのかな?」
トントンという控えめな足音も聴こえてきて、ヒヅキはツグが起きたのだろうと推察した。
「………思っていたより長い時間考えていたらしい………とりあえず手伝いに行こうかな」
浮かしていた腰を戻すことなく立ち上がると、ヒヅキは部屋を出て台所へと移動する。
「あら?」
ヒヅキが居間と廊下を区切っている扉を開くと、ちょうど居間に隣接する台所で調理を始めようとしていたツグが音に気づいて声を出した。
「おはようヒヅキくん。相変わらず朝が早いわね」
「おはようございます。ツグさんも相変わらず朝が早いですね」
ツグの挨拶にヒヅキは頭を下げて挨拶を返すと、台所に近づきながらツグに問い掛ける。
「何かお手伝いする事はありますか?」
その問い掛けに、ツグは笑って首を横に振ると、
「そんなに手の込んだものは作らないから大丈夫よ。それよりも座って待っていて、すぐに出来るから」
ツグにそう言われて「そうですか?では何かありましたら遠慮なく言ってください」と、ヒヅキは申し訳なさそうに返すと、居間にある六人掛けのテーブルの椅子を一つ引いて腰を下ろした。
「はい、料理が出来るまでこれでも飲んで待っていて」
「あ、ありがとうございます!」
そのタイミングでツグはお茶が入ったコップをヒヅキの目の前に置くと、そのまま台所へと戻っていく。
ヒヅキはそのお茶を一口飲むと、コップを握ったまま料理をしているツグを眺める。
(変わらないな。本当にここはどこにでも思い出が転がっているから、何もかもが懐かしい)
昔もこうしてツグの料理が完成するのをツグの子どもたちと一緒に待っていたな、と思いだしてヒヅキは一人昔を懐かしむ。それと同時に、この場所がかつてのように壊されない事を切に願うのだった。
(その為には仕方がないかな……)
だからヒヅキは静かに決意するのだった、この大切な思い出の詰まった空間を壊しかねない要因の一つ排除しておくことを。




